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“痩せたブタ”になった
先月号(『文藝春秋』四十三年十二月)の東大問題の座談会に出て、いろいろ面白かったけれども、あれからほぼ一ヵ月間、いったい何が起ったか。林さんの不法監禁、三派と民青の大乱闘、総長代行はといえば三派に行っちゃ拒否され、民青に行っちゃ拒否され、要するに両方から小突かれて難行している。今に林健太郎さんの守った最後の一線さえ踏み外すのじゃないかと心配でたまらない。
あの座談会をふりかえってみると、今日のそういう事態を予想し得た教師は、ただの一人もいなかったじゃないか。学生の要求をのむことが真実を尊重し人間を尊重することになる、なんていっていた現実認識の甘さ、それが見事に証明されたわけだよ。そして彼らはいまオロオロしている。
学生の要求・狙いはいったい何なのか、それをのめば結果はどうなるのか、あの五時間足らずの座談会でも十分にわかりそうなものだ。それに気がつかないで、学生諸君の要求をのみます、のむべきです……。なアにをいってるんだといいたいね。
結局、身をもって真実を守り人間を尊重したのは、林健太郎教授ただのひとりじゃないか。ああして最後まで頑張って自己を尊重し、自尊心を守ることが、とりもなおさず人間を尊重することになるんだ。自己を尊重できない者が、どうして人間を尊重でき、真実を尊重できるのかね。
教育者として、人間としてのプライドを捨てた恰好で学生の顔色をうかがい、やれ人間を尊重するの、真実がどうのといってるのは欺瞞以外のなにものでもない。
そういう教師が東大教授の九十パーセントぐらいを占めているんじゃないか。忿懣(ふんまん)にたえんねえ。
聞けば林さんの救出署名運動をやったところ、教養学部二百五十名余の教師のうち、九十名かそこらしか署名が集まらない。さらに職を賭しても事態を収拾しようという署名運動には、六十名前後の署名なんだってね。
あるいはまた三十人ぐらいの教師が集まり、林さんが捕われている窓の下にいって、
「林学部長を返せ!不法監禁反対!」
シュプレヒコールをやったまではよかったが、中から血相変えた学生が四、五人飛び出してきただけで、もう蜘蛛の子を散らすように逃げ出して、逃げおくれたのが学生に捕まってギュウギュウやられたというじゃないか。
新執行部の招集で御殿下グラウンドに五百人ぐらいの教師が集まった。そこへ百五十人かそこらの学生が現れただけで、この青空集会もたちまちにして雲散霧消させられちまった。
そういう連中がこれまで何をしていたか。〃変革の情熱"だの〃変革の思想。だのと、エラそうなことをいって学生に吹きこみ、みずからも変革の情勲だか妄想にとりつかれていたんだ。
その彼らがいま、当の学生に見事に足もとをすくわれてヒーヒーいってるのも、みんな自業自得なんだよ。
「私は、勉強する学生よりも、学生運動をする学生の方が好きです」
なんていってたのは、どこの誰だい?大河内一男前総長だよ。それならそれで、愛する学生運動家の吊し上げを最後まで食って死ねばいいじゃないか。それこそが男としての一貫性だ。言行一致だ。
それをナンだい、遠くの方から“告示“を出して、入れられないと被害者面してやめてしまう。
「肥ったブタよりも痩せたソクラテスになれ」といっていた人が、なんと"痩せたブタ"になっちまった。
それはともかく、力をもたない知性なんて屁の役にも立たないってことを、彼ら全東大教師は悟る必要がある。大正教養主義からの見事な成果がここへきて現れてる。
一般学生はといえば、明治の帝大以来の、立身出世主義と個人主義がこれまた見事な成果をあげているんだね。テメェには洋々たる未来がある、つまらん紛争にかかずり合って大学を守ったって仕様がない、大学は腰かけ、世の中へ出て出世するんだ、という卑しい根性が見事に成果をあげている。
なるほど一所懸命やってる一般学生もいるにはいる。しかしいかんせん極めて少数だ。以上を要するに、教師も一般学生も弥縫(びほう)策以上のビジョンを大学に対して持ち得ない、ということは明らかだ。
三島由紀夫著 「若きサムライのために」
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