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つづき 現行日本国憲法前文の非真理性
この憲法前文は言う。「日本國民は……平和を愛する諾國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。これを意訳するならば、
「日本国民は、あなたがた戦勝国民はみな公正で信義に篤(あつ)い国民であると信じます。いけなかったのは日本国民だけです。今後われわれは、みなさん列国民がわれわれに公正で信義ある扱いをしてくださることを信じて、自分の安全と生存とを自分の力で保とうとは思わないで皆さんにお委(まか)せしようと決心しました」という意味になるのである。
私はこの憲法の前文を読むたびごとに悲しくなって泣きだしたくなるのである。「自分の安全も生存も自主的に自分で護(まも)る権利を放棄します。自分の生存を保持することすら、平和を愛するあなたがた諾国民の公正と信義におまかせします」というのである。
一国の憲法に、このような卑屈な言葉の表現があってよいものだろうか。国民の決意なら決意で、もっと自主的な決意があってよいはずなのに、「今まで自分の国は悪うございました。それで今後は自分で自分の生存をも護りません。皆様のあなたまかせにいたします」とあるのである。このような文章は強圧者の前にひたすら処刑をまぬかれるために憐れみを請(こ)う気持でなければ書けぬ文章なのである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2013年01月16日
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