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各国のお慈悲にすがる告白文
さてその「あなた委せ」に、ひたすら、「そのお慈悲にたよって生存いたします」と日本国民が誓うところのその相手国である諸国民がそんなに公正で信義ある国民だろうか。この憲法を護持する、この憲法こそ正しいと称する革新系の人々は、この草案を書き、かつ戦勝国の代表者として、この憲法を押しつけたところのアメリカ合衆国を、本当に平和を愛好する信義あつき国だと信じているのであろうか。彼ら革新系の人々は、二言目には「アメリカ帝国主義」と罵(ののし)り、「侵略国アメリカは平和の敵である」と、中共とともに共同宣言することを辞さないのであるから、われわれの隣国に、公正と信義を保つ諾国民が存在しないことを、夙(つと)に知っているのは、社会党等の、この革新系の人々ではなかろうか。だから「諸国民の公正と信義に信頼しうる」と仮定したこの憲法は真実を語るものでないことを知っているのがこの革新系の人々なのである。それなのに、真実を語るものでないこの憲法をなぜ彼らは護持しようとするのであろうか。しかもこれらの革新系の人たちは「戦争を廃絶する唯一の道は戦争によるほかはないのである」という毛沢東一流の考え方に基づいて、「平和共存路線」に踏み出したソ連を「修正主義」と称してはげしく攻撃している中共と手をつないで、アメリカを「日中共同の敵」と宣言することを敢(あえ)てしているのである。
「戦争を廃絶する道は戦争によるほかはない」と隣国に分裂内戦の火をつけるだけではなく、コンゴやインドネシアに革命内戦の火をつけ、これは失敗したが、現にベトナムを南北に分裂させて、同一民族を互いに戦わせて、"漁夫の利"を得ようとしている隣国が現にいるのに、「平和を愛する諸国民の公正と信義とに信頼する」という決意によって起草されたこの憲法全体は、すでに事実と相違するところの死法にすぎないのではないだろうか。
このような不合理な憲法を「自分の生存の保持も安全もあなたまかせに いたします」とお辞儀をして受諾したのは、広島や長崎に、人類がいまだ経験したことのない原爆による巨大なる被害を受け、その上、占領軍が上陸して来て、「占領軍の言いなりになるほかない、どんな抵抗をする力もわれわれにはないのだ」と、国民が虚脱状態になっているとき、「このアメリカ製憲法を受諾しなければ"天皇の人体〃(person of Emperor という語を使ったという) もどうなるか分からぬ」と占領軍におどかされて、ひたすら、占領軍の“打首の剣(つるぎ)〃の下におののいていたのが当時の日本国民の現状であったのだ。こうして、一方では天皇を打首にするかも知れぬと"不可視の剣"をふり上げながら、「しかし一国の憲法はその国の国民が定めるのであるから自分でよく考えて、このアメリカ草案の憲法に基づいて日本国憲法を改正するかどうか、ちょっとお庭を二十分間ほど散歩してくるからその間に考えて返事をしなさい」といってホィットニー准将は散歩に出ていったというのである。
これでは、ちょうど強盗がピストルで一方でおどしながら、「お前の家の財産はお前が渡すか渡さぬかきめるものであって、決して俺が強制して定めるものでない。それはお前の自由意志が定めるのだ。しかし俺の勧告に従って金を出さねば、このピストルの弾がお前の脳天を貫くかもしれない。しかしその決定権はお前にある。俺はただ勧告するだけだ」というようなものなのである。これが"勧告"と偽称する 恐るべき恐喝(きょうかつ)でなくて何であろうか。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2013年01月17日
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