|
占領憲法下では首相が事実上の元首である
私のように「天皇に大政を奉還すべし」と説くのではないが、「天皇を元首にすべし」と説いている武藤貞一氏にも反対する人からの投書や意見が送られて行くのか、武藤氏は次のように述べている。
「説をなす者は、天皇のおために象徴の方がご安泰でよい。元首となられると、風当りが強くなり、結局政治にまき込まれる恐れがあると、いかにも天皇をかばっての至誠の言といえないこともないが、これこそ一知半解の弁であろう。天皇が天皇たるは元首なるがいえではないか。わが民族悠遠の伝統は、天皇を国の元首と仰ぐところにあった。天皇が元首の座から下りられたことは、あたかも神話の天岩戸に隠れられたのと同じで『これより天地晦冥(きめい)』なのである。万悪の因(もと)をなす米製憲法のうち、とりわけこれこそ万悪の因の因と指摘しなければならぬのは、憲法による元首の抹殺である」しかし、
今の憲法では“元首"という称呼を用いてはいないけれども、実権上、多数党の党首にして総理大臣になった者が、国家権力実行上、事実上の”元首"をなすのであって、“象徴"になった天皇には何の実権もないのである。この”事実上の元首"として戦後の日本の政治の実権を握り、自衛隊の陸海空三軍の指揮権を一手におさめていることは、人間として最高の権力を掌握することだから、まことに気持がよいことで、たとい、その実権を占領軍から貰ったものであるにしても、その実権を棄てたくないのは人情の然らしむるところであるけれども、日本の総理たるものは、決してそのような"私"の権力を持続したい欲望の誘惑に負けて臣節をやぶるようなことがあってはならないのである。
武藤貞一氏は言う。「山口県第二区選出代議士佐藤栄作のために、戦場で決死、敵に当る兵士はあるまい。佐藤氏は首相でも、国家の象徴たり得るには無縁だからである。にも拘らず、現憲法は、これを三軍の統帥者に位置づけている。はたしてこれでよいと思うか」(『改憲か革命か』三十五頁)
これでは、"実権〃を握っている者よりも"象徴“である方が立派であるように聞えるが、武藤氏は果たして、そんな気持でいったのであろうか。そうではあるまいと私は思いたいのである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年01月30日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




