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占領軍司令官が占領地の憲法を恒久的に変更する権限はない
つづき
殊に況(いわ)んや、帝国憲法の『全面的改正』更には帝国憲法の『廃棄』を意味する『新憲法制定』の如きは政府当路者(とうろうしゃ)も宮中府中の憲法問題関係者も夢想だにしなかったに違いない。二十一年の一月頃迄はこの状態が続いておったものと思われる。さればこそ、二月十三日の司令部側によるマッカーサー憲法草案の交付は、日本政府にとっては正に、晴天の霹靂(へきれき)であったのである。尚、この間、司令部自体の態度にも激変があったものと思われる。これは二十年十二月のモスクワ外相会議で、極東委員会が二月下旬には発足せしめられることになっており、それによって、軍司令官の憲法問題に対する権限は著しく制限を受けねばならぬことになるのに、この極東委員会の内部に於てはソ連等の君主制廃絶の要求が増強する見通しが顕著となっておったので、マッカーサー司令官はこれを阻止する為にも早急に帝国憲法に根本的変革を加うることによってソ連等の革命的要求の出鼻を挫く必要ありと見たものかと思われる。これより先き、司令部の督促によって心ならずも提出されておった日本側の改正試案は、軍司令官の意に副わずとして全面的に却下され、その代りに、司令部の幕僚を構成分子とする、日本憲法草案起草班(?)が 一週間で作り上げた所謂るマッカーサー憲法草案が日本政府側に交付されることになったのである。そして『この草案の根本内容と根本体裁は断じて変更してはならぬ。枝葉末節の条項とか表現の形式とかについては相談に乗らぬでもない』ということ『諾否は即刻返事せよ。もしこれを呑むのでなければ天皇の御安否も保障の限りでない』という、それこそ抗拒不能に乗ずる急迫不当の強要が行われたということは、当時の責任者たりし松本国務大臣の自由党憲法調査会に於ける報告によっても明かである」
この松本国務大臣の報告と、前記の当時の内閣書記官長たりし楢橋渡氏との証言は一致するのである。兎も角、当時の閣僚にとっては、新憲法にどんな表現形式がとられようとも天皇制だけは残して置きたい。それでないと国体が護持できない、二干六百年つづいた皇統連綿の国柄がなくなって別の国になってしまう。それで象徴でも何でもよい、天皇制の持続さえあれば、ソ連提案の「君主制廃止」よりはましであるという気持から、マツカーサー憲法草案を呑むことにしたのである。どこにも「自由意志による改定」というものはない、それは占領による従属関係による「押しつけ」のほか何ものでもない。
マツカーサーが何故ソ連の「君主制度廃止提案」を制(おさ)えるために新憲法草案をつくったかと言うと日本に君主制がなくなると、日本は速かに共産国家となり、アメリカの極東防衛戦線の第一線が崩れると思ったからにちがいない。しかし国際法上、占領軍は占領区域の法律を恒久的に改変することが出来ないという制約上、マッカーサーは、日本が自主的に憲法改正を行ったという形式をとらせようとして、実質的にはマツカーサー草案の憲法であるけれども「欽定改正を形式的にだけでも保持する為に、帝国憲法(明治憲法)第七十三条による改正の形式を採るように指示し、明治憲法の条章に基いた憲法であるから、それは決して革命的に法的断絶したものではなく、法的継続をとらせるようにした」のである。「かくて憲法問題の処理はすべて七十三条の手続方法によって取り運ばれることになったのである。改正草案の発議も、帝国議会への付議も、帝国議会の議事議決の方法等も、すべて形式的には明治憲法七十三条に準拠して行われた……大多数の日本国民が素朴にその通り受取っておるばかりでなく……学者の中にさえも現行憲法の有効根拠をここに求むる者も少しはあるわけである」
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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