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抗拒不能の状態で売った国家的貞操
この経過を評して井上孚麿氏は、「たとえ行為の手続方法の形式だけは如法にされておっても、実質的に之を構成する意思に重大なる欠陥があれば有効に成立するわけには行かぬ……私生活の瑣末(さまつ)な一度限りの行為でもそうである。
.殊に一般的規律たる法令の制定行為がそうでない訳はない。殊に況(いわ)んや一国の根本法たる憲法を左右する行為が、かかる要件を円満に具足すべきはいうまでもない。現に帝国憲法の全面的改正、殊には帝国憲法の実質的廃棄も、欽定憲法の形式に民約憲法の実を盛り込むことも、いずれも七十三条とは両立すべからざることを時の政府は承知しておりながらも、占領下、抗拒不能の故に、これを敢えてせねばならなかったことは当時の当路者の後日物語にも明かである。(白由党憲法調査会特別資料)
かかる法的不能を知りながら、知って殊更に犯す行為が、無効以外の何物でもないことは天下周知の理法である。……唯、この理不尽、法不能を糊塗し、一つには当面の反対を封殺し、二つには将来の復原を未然に防がしめる為めの手段として、『特に勅語(三月五日)を秦請した』が、『主権者の鶴の一声によって容易に適法となり有効となる』と解する如きは、憲法一般の普遍的法理に背反する……」とマツヵーサー憲法の無効理由を一 諄々(じゅんじゅん)と説いているのである。(註.奏請した勅語というのは、三月五目の新憲法制定に関する勅語である)
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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