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非武装中立は理想論でなければ偽善である
昭和四十四年
社会党(民主党)は、「非武装、中立」の政策を打ち出し続けているのであるが、それは宗教的理想論として宗教者が、たとえばイエスが、みずからを無防備にして、全然無抵抗にして刑場に曳かれて行って十字架にかかるごとき純粋なる心境でそれが説かれるならば尊いことであるけれども、防備を現実的に必要としている現体制を打倒すゐためだけの「言論の爆弾」としてそれが用いられるときは、それは、悪質なる偽善となるのである。
社会党によれば、「日本国憲法の精神は、国際的な優越性をもつものであり、われわれはこの憲法制定以来、党の基本方針として非武装の絶対平和を完全に貫徹する方針を堅持してきたが、その正しさと重要性は現在少しも変っていないことを改めて確認する」と、四十四年一月二十二日の社会党第三十二回臨時全国大会に提出された「非武装・中立・平和への道」なる文章に於いて再確認した。
これを評して、民主社会主義研究会の遠藤欣之助氏は次のごとくいっている。「社会党は、幻想と希望的観測によって棲息している、世にも『不思議な政党』である。たとえ現実のきびしい国際政治のもとにあっても、ひとり超然として非武装平和の名のもとに反体制闘争に国民を巻き込むその感覚は、無責任時代の産物である。社会党が、ほんとうに国民ひとりひとりの人間の自由と生命・財産・国土の安全を約束し、現実の国際政治に対応する統治責任があるならば、こうした作文をつづけるには、その良心がうずくであろう。彼らが日米安保体制下にあって終始その立論の旗をふりつづける背景には、ほんとうのかくれた意図があるからなのではないか。つまり、資本主義→米帝国主義-→戦争勢力にたいして、中ソの社会主義→平和勢力といった図式への憧憬である。文字通り、自由と民主主義の日本の再建への努カとして社会党が非武装平和をのべつづけているのではなく、現体制をくつがえし、『社会主義日本』に至る革命の条件として日本を自由世界の環からきりはなすための非武装中立論にすぎないところに、社会党の虚偽があるL(「自由世界」四十四年四月号六十五頁)
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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