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神社の本質と国家宗教
さて現行憲法第二十条の第三項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」と規定してあるのでこのままの憲法では、「国家が、神社の奉斎を行うことは出来ない」という訳で、それを根拠として靖国神社の国家祭祀に反対するのが反国家群のインテリ屋であり、戦中に国家から弾圧を受けたのを恨みに思っているキリスト教徒の一部であるのである。怨みに報いるに怨みをもってせず、「なやめ責むる者のために祈れ」というイエスの教えを信奉している筈のキリスト教徒が、戦争中の弾圧に報復するような手段に出るのでは教祖イエスが嘆かれるであろうと思うのである。一方、反国家群のインテリ屋が靖国神社の国家祭祀に反対するのは、靖国神社の神霊は、軍人の霊魂であるから、それを優遇することは軍国主義を鼓吹するということになる、その国家祭祀は国家そのものの軍国主義化の徴候であるという意味であるのである。 しかしこのような考えが間違っていることは当然である。軍人が自分の属する国家に外国からの侵攻がある場合、または外国からの侵攻が必然の危機として自国に迫って来ている場合、それを防衛するために、戦うのは、国家を、生命体、として観る場合、その、生命体、を危機から護るために、その、生命体、を構成している、細胞、にあたる国民が決起して戦うのは当然のことであるのである。そして全体の、生命体、である、国家、を護る職務に殉じた者が、どうして軍国主義者だということになるのであろうか。自国を敵が侵攻して来た場合「どうぞ自由にこの国を侵略して下さい。わたしは決して自国を護ろうとはいたしません。あなた達の公正と信義に信頼して自国の安全と生存とをおまかせ致します」とお辞儀をして国民総捕虜になって自国が敵に蹂躙せられるに委せている卑怯者だけが軍国主義者でないのだろうか。
無論、現行憲法は占領憲法であり、国民総捕虜憲法であるから、その前文に「あなた達の公正と信義に信頼して自国の安全と生存とを保持しようとと決意しました」という意味は書いてある。しかしこれはアメリカが占領当時無理押しに軍力で制定さした占領の名残りではないか。それゆえにこそ、日本のナショナリストがアメリカ占領の名残りがあるが故にこそ、「完全独立でない」といって、「完全独立」の実を得ようとしてゲバ棒をもって起ちあがり「アメリカの基地撤去せよ」「アメリカ軍よ、自国に帰れ」と叫んでいるのではないか。ゲバ棒をもって外国軍隊に向かって「汝、還れ」と蟷螂(とうろう)の斧を揮(ふ)るって起ちあがるのも、そのやり方や行き方は見当ちがいであるけれども、祖国を外国軍隊に占領しつづけていて貰いたくないという精神は、靖国神社に奉斎されている軍人精神と同じではないか。どうして靖国神社に奉斎された軍人が軍国主義者であるか。それこそ、君たちと同じく、祖国の純粋を護ろうとして犠牲になった殉国の聖者ではないか。
祖国を護るために、生命、を捧げたものの霊魂を、その祖国たる国家が、祭祀し敬礼し供養し、霊界に於けるその冥福を、国民への恩返しに祈るのが、どうして悪いのであるか。それが悪いというのは日本国憲法第二十条に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」と規定してあるからであるというであろう。だから現行憲法は生命が生命の危険を護る自然の行為さえも「軍国主義奨励だ」とそれに反対するような誤解を招くように出来ているところの、人類の自然的感情に反するものであるから速やかに、その、成立の違法性、を明らかにして「占領憲法無効」を宣言せよというのである。
谷口雅春著「私の日本憲法論」 |
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2013年03月01日
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