|
つづき外人記者もみとめる日本の美風
昭和二十七年
その一二の箇所を抜率して見るならば、先ず、
「……街路に沿って所々に拡声機が据えられて、べートーヴェンの交響楽も、アメリカのダンスのヒツト曲も、ゲイシャの唄も、能楽の謡も、無差別にがなり立てる。また一人は和服を着ている二人連の若い女が一緒に散歩している姿も、しばしば見うけられる。前者は、きらびやかだが、いつも調和のとれた色彩を身にまとった、小柄なしとやかな娘で、仔鹿のように身軽に、下駄ばきで軽快な足どりを運んでいる」と日本人本来の服装の調和を賞め、それから洋装に浮き身を窶(やつ)している婦人を、「後者は彼女の体のぶざまにふくれている部分の両脚を、十分重んじたような、短いドレスを着て、一まわりか二まわりも大きい形のくずれた靴をはき、明るい緑色か桃色の、足首までの短い一対のソックスをはいているのが目をひく」
と書いてその不様(ぶざま)さを嗤(わら)って書いているのである。そして占領軍が日本猥褻化の目的を達した事実として次のような光景を描写しているのである。
「ダンス一ホールは“今晩アベック・タイム“と広告している。アベツク・タイムなるものは大へん新しい魅力で、そこはホールの電燈を賠くし、こってり、ポマードで髪を固めた若い男がけばけばしい化粧をした女の子と、ぴったり頬をくっつけ合い、低脳みたいな面附(かおつ)きで、床を廻っている。見なければ信じられぬ情景だ・・・・」
最後の「見なければ信じられぬ清景だ」と云うのは西洋にも見られない猥雑な光景で、話した位ではウソだと思うほどの露骨な低能さだと云う意味であると思う。そんな情景は、占領軍の来るまでは日本人にはなかった風習であり、占領軍が日本に播種(はしゅ)した風俗の頽廃である。日本を真に健全に再建し発達させるためには、杜会習憤、服装、交際の儀礼、家庭の装飾等に到るまで、日本の本来のものの中に西洋にくらべて優秀なるものがあることを再認識し、西洋の悪い方面にし辵(しんにゅう)をかけて輸入し模倣するようなことを止めなければならないのである。
トレイシー女史は日本の愚かな西洋風の模倣を次の如くこっぴどく叩いているのであるー「日本人たちは、東京のあのぞっとするような西洋風の厭なものの間を、平気でうろついている。彼等はよい洋画を選ぶことができないし、西洋風に品よく部屋を整えることも出来ない。……彼等の言によれば西洋風は有用であり、実利的だからなのだ。だが、あなた方も、西洋風は全くぞっとすると思わないだろうか?」
まったくぞっとするような、愚かなる破行的な西洋模倣である。それが所謂る民主主義であって、此の場合の民主主義とは個人主義、利己主義的主張、そして肉体の快楽追求主義であって人間の道徳性を破壊させる主義なのである。そして愚かなる個人にとっては、個人の快楽ほど好ましいものはないのであるから多勢の人は民主主義に賛成する。議会でも囂囂(ごうごう)の論議をひきおこすのはそう云う利已主義的主張を制御しようと云う法案に対する反対の野次である。そして反対の理由は、それは反民主主義だと云うのである。しかし、日本の民主化と云うことは占領軍がポツダム宣言によって規定したところの日本精神を弱体化せしめるために、日本精神におきかえるための頽廃化政策だと云うことを、もうそろそろ日本人は気がついてもよい筈である。これには外人記者の方がもっともっと早く気がついているのである。「占領の目的は昔のように、敵を抑えつけて武装解除をさせたり、損害賠償をさせたりするのではなくて、被征服者の生活態度を、すっかり征服者の生活態度に見倣(みなら)わせるように、作り直すことであった」とトレィシー女史は云っているではないか。
つづく
谷口雅春著「私の日本憲法論」
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年03月16日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




