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「神ながらの行事」は議会にかける要なし

しかし占領憲法を無効として考えない場合でも、国家を独立の人格をもった、生命体、として見る場合、それは一個の「人格」であるから、一個の人間と同じく、憲法第二十条の定めるところの「信教の自由」は「日本国家」という人格に於いてもあり得なければならないのである。そして日本国家の信教というのは「神ながらの道」(即ち俗称、神道、である。但し宗派神道を除く)それは「国家」という包容力の大きい人格の「信教の自由」であるから、国家の中に住む個人の人格の「信教の自由」と抵触することはないのである。


即ち個人としては仏教の信者でありながら、伊勢神宮や熱田神宮や明治神宮や靖国神社に参拝して少しも矛盾を感じない国民が寔(まこと)に多数存在することは、「国家人格の信教の自由」(神ながらの道)は「個人の信教の自由」(宗派宗教)とは矛盾なく併存し得ることを、証明しているのである。だから国家人格という、生命体、が一人格としての「信教の自由」を行使して、国家にいのち捧げた殉教功労者の霊を斎祀する「神ながらの行事」は、何も議会にかけて立法して貰わなくとも、国家は、それを自由に堂々と行えばよいのである。


それを国会という立法府の議会にかけて議決したり否定したりしようとすることは、国家という、生命体、の「信教の自由」を侵犯し「政治上」の権力を祭祀団体に及ぼすことになるから現行憲法第二十条に照らして寧ろ違憲ということになるのである。
併し反対のための反対をしようと思えば、善事を行おうとすれば必ず「違憲」といって
反対することが出来るように矛盾だらけの条文を「日本弱体化」の目的で占領軍が起草した憲法であるから、国家が奉斎団体となり靖国神社を祭祀しようとするならば、尚、文句のつけようは色々とあり得るのであるから、日本国憲法の無効宣言が成立するまでは、国家が奉斎団体となる代わりに、天皇が「個人の信教の自由」の原則に基き靖国神社を奉斎することにし、それに要する費用は皇室費を増額して賄うことにすればよいと提言したのである。
 
 
                                                                   谷口雅春著「私の日本憲法論」
 
 
 

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