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セーターに印象された憎しみの念の影響
ある家庭でその家の子供が、ある毛糸のセーターを着て家を出ると必ずつまずいて倒れたり、何かに衝突したりして怪我するのである。どうしてそんな事が起こるのであるかという理由が暫(しばら)くわからなかったのであるが、その後こんな事が判って来たのであった。そのセーターは、前にいた女中が、何か過ちをしたために、ひどく主婦(子供の母)から叱られて、その叱りようがひどかったので、腹が立って主婦を恨みながら、こん畜生、思い知れ、というような憎悪と呪咀の感情想念をいだきながら編みあげたセーターであったのである。だから、そのセーターを編んでいる間じゅう彼女が思いつめていた。「憎しみの念」がセーターに印象されていて、それが、そのセーターを着用したとき影響を及ぼして子供を突き倒したり、物を衝突させたりするのだということが判った。それ以来、そのセーターは焼き棄てて、子供に着せない事にしたらその子供がころんで怪我することも、衝突して負傷することなくなったのであった。
ものは、それを作るときに、どんな気持ちで作るかということで、その気持ちの霊的波及で人に不幸をも幸福をも、もたらすものなのである。こんな事は心霊研究家など誰でも知っている初歩の事実であるが、唯物論の跋扈(ばっこ)している現代人には知らぬ人があろうと思う。
誰でも知っている事実では、成田不動明王の、守り札、をもっていたために不慮の奇禍に遭ったが、不思議に怪我をしないで、身代わりのように、その、守り札、が二つにわれていたとか、その守り札、が弾丸よけのはたらきをしたとかいう話は随分あるのである。これは成田不動明王の霊験といってしまえば、ただ、神秘、というだけであるが、心霊学的に考察すれば、それは祭官又は修験者がゴマを焚いて陀羅尼(だらに)をとなえ、一心不乱に、守護の神霊この守り札に宿ります。と念じ籠めてあるので、その、善念、が守り札に印象されていて、そのお札をもっていたとき、善念は悪念や、悪運を遠ざけるので、危急の時の護りとなったと解釈されるのである。
つまり前掲の憎念のこもったセーターとは反対に、それを作るときに祈りこめられた、善念、または、護念、の作用するところなのである。
ものは、形は同じあっても、それを作るときの「人間の精神」即ち「念」がこもっていて、それが、善念であれば幸福をもたらすし、悪念であれば不幸をもたらすのである。 最近電波による月ロケットや金星ロケットの遠隔操縦により、ロケットの走る軌道を変化したり、修正したりすることができることを見ている人は、人間の念波が、人間の行動を遠隔操作によって、それを歪めて、電車や自動車に衝突させたり、飛んで来る弾丸を知らず識らず、体の位置を変化せしめて無事ならしめることができても不思議ではない筈である。 有名なベルギーの文豪・メーテルリンクはその晩年心霊研究に熱心であったが、その著「未知の賓客」の中で、念波というものが、隣室にいる人を傷つけることができる実験を書いているのである。例えば、(A)夫人を深い催眠状態に導いておいて、術者が隣室にいて、(A)夫人の肖像写真の顔に爪で掻き傷をつけるのである。すると、肉体の(A)夫人には指一本触れていないのに、(A)夫人の顔に掻き傷ができるのである。唯今、原書をしらべている暇がないので、その夫人の名前は茲では仮に(A)夫人とつけておいたのであるが、こんな事実によっても、人間の念が、互いに交感して、害を与えたり、祝福や守護を与えたりすることができるのは科学的事実であることが解るのである。 谷口雅春著「私の日本憲法論」 |
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