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生命の全的把握としての「国」と「家」

「家」を尊ぶという場合の「家」は、決して「建物」という意味でもなければ、個人の生命を縛るところの「封建的制度」でもないのである。「家」とは「宗祖」の生命と「個」の生命との「一連続」を表現する言葉である。

 
戦後の日本人は「個」の生命には目覚めたけれども、概ね唯物論であるから、「祖孫一体・親子一体」の、連続体としての生命、の自覚を欠く傾向が非常に強いのである。人間の生命は「個」だけで忽然と地上に生まれたのではない。祖を通じ、父母を通じ、その生命の一連続の地上への顕現として此処に在る。それを自覚しないことは、人間生命の部分的自覚に過ぎない。私たちは生命の部分だけで生きるだけで満足してはならない。私たちは生命の「全」を生きなければならない。それこそ自己の「全」を真に愛する道である。それゆえに真に自己の「全」を愛するためには祖先の生命が其処に生きている「国」を愛しなければならないし「家」を愛しなければならない。


私たちは憲法にどうきめてあるから「国」を愛するというのではなく、法令で「家」の制度がなくなり「戸主」がなくなったからとて「家」を愛しないというのではない。
 
 
「国」と「家」とは私たちの「個」のいのちが其処に生きてある本源であり、単に本源であるばかりではなく「祖」の生命が自己と家族の生命として文化し発展してその空間的広袤(こうぼう)としてあらわれたものが「国」であり「家」であるから、「国」を単に「人民」に対立してそれを束縛する存在と見たり、単に人民が住むための土地の面積だと思ったり、「家」を単に「個人」の集団の場に過ぎぬと思ったりするのは誤りであるのである。

つづく
 
                    谷口雅春著「私の日本憲法論」
 

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