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1952年4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効し、日本の 主権が回復、
アメリカに代わってソ連が日本を占領してくれる日まで待つといった東大、学習院、法政大学総長達
日本は少なくとも25年は独立できないだろうと言われていたのが昭和25年に朝鮮戦争をきっかけに講和条約の話が浮かび上がりました。この条約を結べば日本は独立できる、ということになったのです。
ところが、共産党と社会党はその講和条約に反対でした。ソ連もふくんだ「全面講和」でなければいけないと言い出したのです。ところが、当のソ連はもちろん西側主導の講和条約に反対である。これではいつになったら日本は独立できるか、ただし、イギリスやアメリカなど、日本と戦争をした国々はみな講和に賛成していました。反対はソ連とその衛星国だけです。したがって、サンフランシスコ講和条約は結局アメリカほか五十二か国が参加して条約は成立しました。 講和条約に反対してこれに参加しなかった国は、ソ連とチェコスロバキア、それにポーランドの三か国だけです。明らかにこれは「絶対多数講和」でした。それにもかかわらず、これを「全面講和」対「単独講和」という嘘に仕立て上げたのは戦後の日本のマスコミです。これは重大な犯罪と呼ぶべきでしょう。そのとき、「全面講和」対「単独講和」というフィクションを担いだのはリベラル派の学者たちです。かれらが率先して日本の独立の邪魔をしたのです。「平和問題談話会」に結集した安倍能成学習院大学院長、大内兵衛法政大学総長、恒藤恭大阪商大学長、末川博立命館大学学長(いずれも当時の肩書き)たちです。 彼らは声明のなかでこう主張しました。 所謂単独講和はわれわれを相対立する二つの陣営の一方(自由主義陣営)に投じ、それとの結合を強める反面、他方(共産主義陣営)との間に、単に依然たる戦争状態を残すにとどまらず、更にこれとの間に不幸なる敵対関係を生み出し、総じて世界的対立を激化せしめるであろう。これ、われわれの到底忍び得ざるところである。そして、アメリカ滞在中にこれと同じ趣旨の全面講和論を叫んだのが東京大学総長・南原繁でした。こうしマスコミ・文化人たちのソ連寄りの主張にたまりかね、時の首相・吉田茂は象徴的に東大の南原総長を槍玉に挙げ、「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒」と呼びました。世に阿(おもね)るインチキ学者、といったほどの意味です。 それにくらべて、慶應大学の塾長小泉信三先生は。雑誌「文藝春秋」に論文をお書きになってーいま講和条約を結ばないというのは日本をずっと占領状態に置くことである、それでいいのかと、曲学阿世の徒たちに鋭く迫りました。 いわゆる進歩的文化人たちは「平和の実」ではなく「平和の名」のほうを取る、すなわちあくまでもソ連と立場を同じくするといったのです。なんと愚かな人たちでしようか。まったくお話しなりません。アメリカに代わってソ連が日本を占領してくれる日まで待つ、というのだからひどい話です。だから私は、当時の社会党に与するいまの民主党や共産党、あるいは講和反対を叫んだ大マスコミがデカ顔して歩いているのを見ると、腹立たしくなる。 |
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2013年04月28日
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