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特集(二)占領憲法の非真理性とその影響
○天皇中心理念の顕現としての日本国家(過去記事12月20日掲載)
外国の国家のうちには、人民が集まって協議して自已防衛のための団体をつくり、その人民群の福利のための信託組合のような形で国家が形成されたのがずいぶんあるようであります。しかしそのような国家形成の原理を日本民族国家の形成にまで当てはめて考えることは間違いなのであります。この間違いの原理を、国家形成の「普遍の原理」だなどと称して日本に押しつけたのが現行の占領憲催であります。
日本国家の形成は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天孫降臨の神勅(みことのり)にある如く、天照大御神がその大御心(おおみごころ)の中に「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は世々(よよ)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」という日本国家形成の個性ある根本原型が設計せられ、その精神的原型(すなわち理念)が天降って、その理念の具象化として神武天皇の建国となり、爾来、二干六百三十年にわたって、日本にのみ存在するこの個性ある天皇中心国家が連綿として継続して来たことは、それが人類普遍の個性なき国家形成の原理に従って機械的に形成された国家でないからこそであり、それが天授の国家理念の具体化であればこそ、このように天皇中心制度が二千六百三十年にもわたって継続し得たのであります。
これは他国に比類なきことであります。
○皇位の神聖性は失われず
国家というものが「国民の福利のための信託組合」にすぎないところの諸外国においては、その国民から、選出または擁立(ようりつ)された「国民主権の代行者」であるところの“大統領”“首相”その他“為政の中心人物”が行なう政治が、国民の福利に背いていると国民の一部の有カ者又は国民の大部分が考えるにいたったとき、有カな一部の国民が“謀(はかりごと)”をもって、従来の為政者を倒して自分が為政の首班者としての地位につく。その“はかりごと”の中には暴カによる権カ者殺害によるクーデターから、権カ者の軟禁または追放や、軍の圧カによるものや、国会等の会議において従来の為政者の欠点を摘発して、群衆の総意または多数決によって前の権カ者を退陣せしめる方法にいたるまでいろいろの段階があるのであります。が、ともかく、世界各国の王位または権カの主班は、このようてして常に頻々(ひんぴん)として崩れ去って、ま別の王朝または権カ者の首班ができて、常に交代を繰返して来たのであります。ところが日本国塚においては、そのような易姓革命(えきせいかくめい)行なわれず、国政の首班は天皇によって任ぜられた。武家階級の相互間では権カの争奪戦はありましたが、天皇それみずからは、それらの争奪戦の上に超在する神聖な存在であったので、武家の最も有力なる者も、天皇−によって征夷大将軍の印璽(いんじ)を授かったのであjました。
ある時代においては、天皇家の中で、南北朝のごとく本家争いは一時あったが、それは天皇家内部の皇統のうちどちらが皇位を継ぐべきかの争いであって、天皇家の神聖性の皇位はその超在性を失わなかったのであります。ここに世界各国と日本国家の成立理念の相異が見られるのであります。
○部分が全体の意志から断絶するとき死を招く
(過去記事12月22日掲載)
部分に主権があり、全体に統治の主権がないということは、これは人体にたとえれば、胃袋には胃袋自身の主権があり、腎臓には腎臓自身の主権があり、心臓には心臓自身の主権があり、おのおの自治的に生理作用を営んでいるのであるという考え方に似ているのであります、・・・中略・・・
このことは国家の場合も同様であります。国民のうちのある階級が、国家の統制から断絶して自分だけの繁栄を目的として、国家に反抗している場合には、これと同様の結果を招くのであります。
○国家に統一意思はなく内戦を孕む民主政治
(過去記事12月23日掲載)
占領軍が上陸して来て日本弱体化の政策を遂行するにあたって、第一に行なったことは、日本国家を「生きている生命体」で置くときは、日本は復活するに相違ないというので、生命体の中枢と部分とのつながりを断絶することにしたのである。つまり心臓は心臓だけの中枢で動けばよいのであって、生命の中枢が部分を支配する権限を奪ってしまったことである。・・・・省略
○個性ある伝統を剥奪された国はすでに植民地である
すべての高級な生命体には個性があるのである。生命の個性ある顕現の歴史的文化的発展がいわゆる伝統というものであって、単なる民族の習慣とか〃しきたり"とかいうものではないのである。国家は生命体であるから、歴史を通じてその個性ある表現をつづける。その伝統を破壊することは国家という生命体の個性を破壊されるということになる。国家とその文化とが個性を剥奪されて、外国のそれを押し付けられたとき、その国家は仮りに独立国の体面を保っているにしても、その国の内容は植民地であり、その国の文化は植民地文化となったのである。その国の文化の中には、その国独得の政治形態が含まれていること無論である。政治形態を占領軍に押しつけられた時、日本はアメリカの殖民地になったのである。それが今もなおつづいているのが日本の現体制民主政治であるのである。私は反体制であるというのは、そういう意味においてである。
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
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2013年05月12日
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