|
仏典・聖書より観たる宇宙の実相
○一切の存在はコトバにて成る(過去記事11月8日掲載)
聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由(よ)りて成(な)り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と録(しる)されております。
すべてのものは言(ことば)によって成ったというのがキリスト教の宇宙創造説であります。以下省略
○すべての物の本質はコトバである(過去記事11月9日掲載)
すべてのものは、外面から眺めますと、物質のように見えますけれども、その本質はコトバであります。それを日本人は古来ちゃんと、潜在意識にそれを悟っておりましたので、この「湯呑(ゆのみ)」を指しても、」「これは“湯呑”というものである」と言います。またこの「書物」を指しても、「これは本というものである」と言います。そのほか何を指しても、「これは人間というもの」「これは動物というもの」・・・などと言うのであります。
「これは物質だ」と言い切らないで、「これは物質というものだ」と吾々が言うのは、すべてのものは、それは物質に見えても、実は「言うもの」なのだ、「コトバ」の具体的表現なのだ、本質はコトバなんだと知っているからなのであります。
○日本国の本質は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(みことのり)である (過去記事11月9日掲載)
私がこんな話をいたしますのは、実は日本国家の本質について皆さんの御理解を得たいからなのであります。日本国は誰が何を如何にして創造されたかという問題であります。日本国がどのようにし出来たかと申しますと、日本書紀には、天照大御神の勅(みことのり)によりまして「豊葦原(とよあしはら)の干五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みじほ)の国は、是れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫就(いましずめみまゆ)きて治(しら)せ、行矣(ゆきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか」えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし」と録(しる)されているのであります。天照大御神の「天(あま)」とは天球即ち宇宙でありまして、天照大御神とは宇宙の大神であらせられます。大神が出現せられた時の有様を日本書紀には、「光華明彩六合照徹(ひかりうるわしくりくごうにてりとおらせり)」と書かれており、宇宙全体にその光明がうるわしく照り徹っている有様が形容されているのであります。
○日本の本当の建国は何時か(過去記事11月9日掲載)
日本国の建国はいつの時代かという問題は建国記念日制定以前から色々の説があり、建国記念日制定後にも尾を曳いている問題でありますが、コトバが神であり、神はコトバと偕(とも)にあり、一切のものはコトバによって生じたという哲学から申しますと、日本の建国は、宇宙の大神にまします天照大御神が「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」とコトバによって宣言された時に日本国は、「神のコトバの世界」即ち「理念の世界」に於いて成立したのであります。
○理念とは如何なるものか(過去記事11月9日掲載)
もっとも「理念」というものは、コトバ即ち「神の生命の智的表現としての振動」即ち神の心の中にに想い浮かべられた“形相”でありますから、それは物質的形相ではありません。従って縦横厚みの三次元的な空間的大小のひろがりをもっていません。すなわち物質的な形や大きさを抽(ぬ)きにした超空間的な純粋な形相であります。だから、その理念が現象面に投映して来る場合には、大にも小にも顕われて来るのであります。
天照大御神が天孫降臨の神勅に於て仰せられた「豊葦原の瑞穂国」というのも色いろの解釈がありますが、これは大には現象宇宙ぜんたいを表わしており、国家的には日本国を表現しており、極微の世界に於ては物質原子の構成をあらわしていると見ることができます。というのは、瑞穂国というのはこれを哲学的に解釈いたしますと水火国(みずほのくに)ということになります。“水”は陰の象徴であり、“火“は陽の象徴であります。陰陽の組合せによる結合によって出現したものはすべて、大小に拘らず水火国であります。大は太陽系統から小は物質原子に至るまで、すべて水火国であります。国家も家庭もすべて陰陽結合によって成り立つ水火国であります。
○瑞穂(みずほ)の国の根本構図について(過去記事11月10日掲載)
その水火国(みずほのくに)が如何なる形相をもつべぎか、換言すれば如何なる構造であるべきかの、根本構図として示ざれたのが、「世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」というコトバであります。これは「この根本構図は、一切の存在は世々変らざる即ち永久不変の中心をもつべきものである」という意味であります。これが宇宙の大神たる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御宣言なのであります。それは宇宙の大神の御宣言でありますから、宇宙の万物すべてのものにあらわれている存在の根本構図の原理であります。
だから吾々が知っている最も小さな存在たる"原子"も、原子核という永久変らざる中心をもっているのであります。
・・・・中略・・・
.ところが現行の憲法では、国家の中心である天皇を象徴と称して半ば破壊し、“家”の制度を根本的に破壊した。家長とか戸主とかいうものはなくて唯夫婦単位に、陰陽がただ集っているのが家庭であって、中心というものはない。恰度それは分子を滅茶苦茶に集合さしただけであるから、親の言うことをきく必要もなければ、親孝行する義務もない。夫に操をつくすという要請もない。ほかに好きな男が出来たら離婚するのは自由だというようにできている。中心のない家族雑居は、もう既に「家」ではないのであって、それはただの下宿人の集りである。太陽を失った遊星のようにみんな冷えつつある。
つづく
谷口雅春著 「私の日本国憲法論」
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年05月17日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




