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平和憲法、実は内乱憲法
昭和四十三年
”平和憲法””平和憲法”と尊称を奉っ、て革新政治家や左翼寄りの新聞雑誌からもてはやされている現行の日本国憲法が、ようやくちかごろ三派全学連の騒擾(そうじょう)事件の実態をめぐって、決して”平和憲法”ではなく”内乱憲法”である事実を暴露して来た。二回にわたる羽田空港に於ける全学連の暴動、それから佐世保港に於ける原子力航空母艦エンタープライズ号入港阻止の三派全学連の暴動事件、それから成田空港建設反対の同全学連暴動事件、王子、新宿駅での暴動、そして東大闘争その他各大学の紛争。これらは、事前に、それらの騒擾が計画され、だいたい幾百名または幾千名の学生たちがその騒擾に参加するかも内偵されてわかっており、あるいは内偵まつまでもなく、大騒擾を起こすぞよと、あらかじめ、その騒擾の予告をおおっぴらに堂々と発表しているのであるけれども、騒擾が起こること必至、そのために数百人が負傷することが必至(その際、死者を生ずる可能性も含む)であっても、それを事前に取り締まることができないのは何故でるか。 それは現行の”平和憲法”ならぬ”内乱憲法”とも”革命準備憲法”ともいうべき、日本国憲法、が極端に”集会の自由”やデモの自由を強調しているし、思想、及び、表現、の自由を強調しているから、事前に集まっている国民の集団が、その思想が日本国顛覆(てんぷく)の思想であっても(思想の自由)また日本国顛覆のために集会しているのであっても(集会の自由)、それを取締まることは、現行の日本国憲法に照らして違憲となるからである。
無論、凶器準備集合罪というのかあるそうだが、角材や瓦礫は建築資材であるから、それをいくら準備し携帯していても、それをもって戦闘行為にうつる(または人を擲(なぐる))その瞬間になるまでは、それは凶器と断定することができないのである。だから、闘争または擲(なぐ)り合いの現場になるまでは、どれだけ多数の人間が集合し、そのような見込み凶器を準備していようと、それを解散せしめることはできないのである。 それを未然に防ぐことができないのは政府に治安維持の能力が欠けており、日本国憲法を背景に、革新政党から「違憲」とか「取締まりの行き過ぎだ」とかいって攻撃されることを佐藤内閣が極端に恐れているからなのである。現に佐世保事件では取り締まりが行き過ぎだと社会党(現民主党の中核では政府に抗議したのである。恐れ入った社会党ではある。 しかし、これらの騒擾は、学生数千によって行なわれたに過ぎないので、あの程度のことで一応おさまったのであるけれども、あのやり方で味をおぼえて、あるいは騒擾のコップをおぼえて、数十万の人数が「革命」を叫んで(思想及び表現の自由)諸方に集合し(集会の自由)、角材や丸太棒(成田では角材のほかに丸太や竹槍も準備された)をもって行動を始めたら、政府はそれをどのようにして防止することができるか。現行の憲法ではそれを防ぎようがないではないか。占領中につくられたアメリカ製の現行憲法はその成立が不合法にできたもので無効であることを明らかにするほかに、この”革命準備憲法”に護られているところの革命準備行動も、大量負傷者をつくること必然と予想される凶器準備行動も、それをとどめることはできないではないか。 谷口雅春著「私の日本憲法論」
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