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特集 憲法をなぜかえなければならないか
限りなく日本を愛する
男女の天分の相異と東西文化の使命(過去記事11月26日掲載)
さて男性と女性とは、ともに「一」なる神から分化し、その生命を宿してゐるのですから、その基本的人権は平等でありますけれども、ひとたび男性となり女性となって出現した以上は、それは頭脳と心臓との働きが異なり、その措(お)かれてゐる位置が異なりますように、女性と男性とは異る役割を分担し、その措(お)かれてゐる位置も異なるのであります。
・・・中略・・・・・ 男性原理は「陽足(ひだり)」であり、左は進むのであります。 女性原理は水極(みぎ)でありまして、右は退(ひ)くのであります。それによって一圓相(えんそう)となり、家庭が国家が完全に調和するのであります。 ・・・・中略・・・・ 「古事記」によりますと、イザナミは黄泉国(よもつくに)の神と云うことになってをります。ナミは水平運動でありますが、「一體の水」の波瀾(はらん)によって分裂した相(すがた)になります。この水平運動原理は、嘗(かつ)てロシアの労農運動となって現れたのであったし、ソ連の社会主義運動となって現れたり、また米国の民主主義運動ともなって現れてゐるのであります。それは個人主義であり、「分割して支配せよ」の文化であります。 黄泉国(夜見(よみ)の国)は日の落つるところ、即ち西欧にあたるのでありまして、西欧文化が「分割して支配せよ」の原理によって発達してゐるのはその分担せる使命の達成でありまして、これが霊的文化以上に発達してまゐりますと、それは凹の分化でありますから、中から割れてゐるのであります。 家族国家を分割して個人烏合の集合の国たらしめ、姦通を公許して夫婦の乖離することを容易ならしめ、独占禁止法によって大産業を分断して生産を減少せしめ、忠孝の思想を分断して人情の美を破壊し、物質を分割して分子とし、分子を分割して原子とし、原子を分割して原子崩壊を惹起(じゃっき)せしめ、広島を長崎を烏有(ういう)に帰せしめ、更に第三次世界戦を惹起きして世界全體を粉砕して「空無(くうむ)」に帰せしめようとしてゐるのであります。日本の失敗は本来の霊的文化の使命を忘れて西欧の物質文化に心酔し、物質の破壊的方面をもって世界を征服しようと點にあるのであります。 ・・・・中略・・・・・ 国家と云うものの本質も、「国」なる「理念」だとは理会出来ず、人民の「鳥合の集団」だと思えるのも無理はないのであります。「国家」が「理念」の顕現として理会出来るのはただ霊的な直観的把握によってのみであって、感覚による証拠はないのであります。その反駁論の一つとして、ある青年は
・・・・中略・・・・
「天皇に国民の運命を裁決させることには賛成できません」と云っているその青年自身が天皇の自己の生命を賭してのポツダム宣言受諾によって、現在安泰なる平和裡に生活し得ている事実を見なければならぬと思います。天皇がただの「看板」である時代に於いて、軍閥が、天皇の名に於いて、天皇を利用して、自己の権勢慾のために、そして群衆心理の盲動のために大東亜戦争を始めたのでありました。天皇に国民運命の裁決権を与えないで、多数決の一票の差の如きもので吾々の運命が左右されることの方が余程危険なのであります。
・・・・中略・・・・
尤も現在の日本の民主主義そのものが占領政策としてのアメリカのコンマーシャリズムから出発したものであるために、それに踊らされている人が利害打算の商売主義を以て民主主義だと誤解しているのでもありましょうが。
天皇から叡智を引き出すのは国民の天皇信仰による
(過去記事11月28日掲載)
私は仮りに反對論者の云ふやうに「一時的の叡智の晦ましから國民を不幸に陥れることがある」としても、天皇愛の感情から、それに従ふ純忠の精神が、損得によって離反迎合する商賣主義よりも一層美しく価値あると云ひましたが、これは反對論者の提出せる仮定の下に仮りに申上げたのでありまして、私は國民が 天皇の叡智を完全に信じ全托する心境になるとき、天皇は決してその叡智を晦まされるものでないことを信ずるのであります。
・・・・省略・・・・・・ 過去世に十善の徳を積んだ者が王として生れる
(過去記事11月29日掲載)
・・・・中略・・・・ 次に多くの青年の投書に現れたる意見には、「天皇制を存続するならば、天皇がファッシヨ勢力に利用される虞(おそ)れがある。天皇がたとい如何に立派であろうとも、その下につくものが天皇の名を利用して国民を苦しめる虞れがある」と云う意味の事が書かれています。そう云うことはあり得ると私も思います。それはどんな立派な会杜の杜長があっても、その部下が時にはその会杜の名を利用して詐欺を働いて私腹をこやす場合があるようなものであります。しかし杜長に部下を任免する権利があり、拒否権があり、部下の手腕や人格を大体見る目があれば、杜員の好策もあまり大事に至らずに、そう云う不都合な杜員は免職することが出来るでしょう。それは恰(あたか)も敗戦の結果遂に軍閥の威信が地に堕ちた時、本土決戦に到らずに、天皇が戦争の継続を抑止せられたようにであります。
天皇を単なる機関にせずにもっと天皇に強力な任免権があったらあの大東亜戦争も抑止し得た筈であります。だから天皇を何ら政治的実権なき「国民尊崇の理想目標」として、単に看板の如く置く場合には却(かえ)って奸侫(かんねい)なる政治家に利用される虞れがありますが、天皇が政治的実権と最後の任免の権をお有ちになった上で、閣僚に政治を委任されるならば、閣僚の行き過ぎは天皇に於いてこれを是正したまうから、理想政治を行うに近しと云うことになるのであります。だから天皇はただ「機関」や「看板」や「ロボット」であられてはならないのでありまして、政治の大綱は天皇より発しその大綱の実現の上に精紬な計画を行うブレン・トラスト( Brain Trust)を必要とするのであります。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2013年05月21日
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