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特集 なぜ憲法をえなければならないか
憲法について知らねばならぬこと
明治憲法の自動的復原(過去記事1月11日掲載)
兎も角、以上述べたところで明かであるように、占領憲法は色々の理由によって無効であることは明かである。
・・・・中略・・・・
この復原の可能については、井上孚麿氏は次のように述べているのである。
「占領の実情に鑑(かんが)みて全面無効説を採るにせよ、その実情に目を閉じて一時的部分的有効説を採るにせよ、占領終了と共に、日本国憲法が失効消滅し、帝国憲法が全面的に発効復活すべきことに変りはない。これは格段なる人為の認定を待つことなく、占領終了という期間の到来につれて、自動的に行われるものである。人間の役割は、ただこれを自覚し確認し顕彰し、その他これに即応して適当なる措置を執るだけのことである。
・・・・省略・・・・
法理の筋を通すのが法秩序の根本である
(過去記事1月11日掲載)
現行憲法擁護論者の中には往々に新旧憲法を比較して、「その制定が違法であろうとなかろうと、新憲法は戦争を放棄してある平和憲法だからそれを保存すべきである」と説く人があるのであるが、井上孚麿氏は「このこと(占領終了後に、旧憲法の自然的復活)は新旧両法の内容の優劣長短とか、問題処理の難易、得失とか、殊にはこれらに対する愛僧好悪とかいうような比較計量取捨選択には関わりなく、当然かくあるべく、かくなくてはならぬ事物自然の法則である。帝国憲法が優秀であり、日本国憲法が劣悪であるからという理由によって、帝国憲法の復原が要求せられるのでもなく、新憲法の内容が優っており、帝国憲法の内容が劣っておるにしても、復原が拒否せらるべきものではない…」と言って、憲法復原は便宜上でもなければ愛憎好悪の問題でもなくして、法秩序の必然の帰趨(きすう)を示すことによって、当然、無効なるものが無効となり、本来有効なる帝国憲法がその有効なる実(じつ)をあらわすのであり、便宜主義にながれず、どこまでも法理の筋を通すことによってのみ法の権威が示されるのだと説いており、まことに、私が従来、明治憲法復原論を説いて来たものを、法理論上から堂々と説いていられるので嬉しいきわみである。
憲法復原の実施は如何にすべきか(過去記事1月12日掲載)
法理は法理として、それでは、憲法復原を実施するのに如何にすべきかの問題があるのである。現行憲法が果して無効であるとするならば、無効なるその憲法下において行われたところの諸種の法的行為は果して有効か、無効か、その変転に関しての混乱、また無効を宣言する場合、何人が為すべきか等の複雑な問題を生ずる。私は鳩山一郎氏(元民主党の鳩山首相の祖父)が首相在任中、鳩山首相自身の明断によって、占領憲法の占領終了と共に無効となること、従ってまた、明治憲法の復活すべきことを宣言するよう建言したのであったが、井上孚麿氏はこの手続を「占領憲法の無効確認」を行えばよいのだという風に書いている。
憲法復原の宣言者は天皇が最適なリとの説
(過去記事1月13日掲載)
占領憲法がたとい、本来無効なるものであるとしても、「各人勝手に自己の所信のままに、無効の現行憲法に従うことをやめて、これに背反し、これを蹂躙してよい」ということになれば、「国を挙げて収拾すべからざる無政府的混乱に陥る外はない」「その手段は何かといえば、先ず公の権威による無効の確認が必要とせられる。この確認によって、初めて無効の法が無効となり、正当の憲法が正当の地位に復帰することになる」と井上氏は言うのである。ではその「公の権威」とは誰をもって権威の代表となすべきかと言えば、井上氏は、
「かかる無効確認を為すべき公の権威者は単なる立法府とか行政府とか裁判所とか、凡そ他と互角に対立するようなものでなくして、一切の対立を絶し、一切を超越する至尊者を要することになるのである。…日本では、実質的にかかる権威者がある。しかもそれがそのまま成文憲法の文面にも現れておる。帝国憲法は勿論であるが、日本国憲法の第一条の規定にも残されておる。憲法の無効確認者が天皇にして天皇に限られていることはいうまでもない」と言っている。
憲法無効確認後の諸問題(過去記事1月13日掲載)
理論的にはそうであり、帝国憲法は欽定憲法であり発議者が天皇であるのは勿論であるが、日本国憲法も帝国憲法七十三条の規定をもってそれが改正せられた形をもっているのであるから、その無効宣言も天皇が為されるべきものではある。併し、そのような形をとるということは、天皇が自由に恣意(しい)をもってほしいままに憲法を改廃する専制君主の如き観念を国民に与えるおそれがあるので、私は鳩山首相に首相みずから「日本国憲法の無効、帝国憲法の復原」を建言したのであった。ところが、井上氏もこの問題にも触れていて、「天皇には常に輔翼機関が随伴するのであって、その輔翼機関をして無効確認を行わしめると、事態を円滑に処理できるであろう」意味のことを述べている。ところでその無効確認を行う天皇の輔翼機関とは一体誰であるか。現行の日本国憲法は無効であるから、無効なる憲法の下に成立している輔翼機関が、現行憲法無効確認を行い得る実権を有するであろうかという疑間が生ずるのである。井上氏はこれに対して、「本来無効のものであるに拘らず、差当り、実定法の世界に於て有効の推定を受くべき地位にあるものは、現行憲法下に於ける諸機関であり」「これまで無効の法を無効とも知らずに迂闊(うかつ)に過して来たことを詫び無効を無効と見るの聡明と、これを確認する勇気とをもって、無効者が無効なりと自己確認することにすればよいのだ」という意味(意味というのは、その通りの文章ではない)のことを述べているのである。つまり輔翼大臣が無効を確認し、無効宣言の詔書煥発を天皇に奏請し、その詔書に輔翼大臣が副署すればよい訳である。
自然に復原するのだから国会の審議は不要である 昭和34年
(過去記事1月14日掲載)
しかし井上氏は、天皇の輔翼機関に「政府国会」の四字を用いているが、国会で無効確認を審議することになると、現在の国会では杜会党の勢カが強過ぎ「現行憲法擁護全国共同闘争」などを行って、「帝国憲法復原の詔書換発までに国内に大騒擾(だいそうじょう) を惹起(ひきおこ)すおそれ」がある。
ところが現在の民主憲法は「占領状態に奉仕するために時節随順の仮憲法」に過ぎないのであるから、明治憲法復活の時節到来の「今」であるから、国会の審議など行う必要はなく、(審議によって出来た憲法は欽定憲法でなく民定憲法となる)欽定憲法の復活の性質上、国会審議不要であり、輔翼大臣だけが「日本国憲法無効、帝国憲法復帰の詔書換発」を奏請すればよいと思う。
井上氏はあれほど理路整然と、現行憲法の無効論を説きながら、現在の国内状勢を鑑みて それを実現するのは中々むっかしいと悲観的なことを述べているが、それは国会審議などを考えているからではなかろうか。無論、「明治憲法復帰宣言」に先立って、現行憲法が何故無効であるかを国民に充分 PRしておくことはその「復帰宣言」にともなう国内の騒擾をふせぐのに有効である。私がこの稿を書いたのも、そのPRの一端としたい念願からである。また実際それを宣言してみれば、天皇の御徳のゆえに、案ずるよりも産むがやすく国民の大多数は歓呼の声を挙げて喜び、祝賀の堤燈(ちょうちん)行列などもやり兼ねないと思われる。
私が憲法復原を願うのは井上孚麿氏のように単に法理論上から言うのではなく現行憲法が占領軍の日本弱体化政策上つくられたものであるから、この憲法を楯にして、どんな法律や条例でも憲法違反として無効の判決を下し得るからである。その実例は既に、砂川事件の判決や、全学連幹部の東京都条例違反などにも、安保条約や都条例そのものが憲法違反だというので、無効の判決がでているのである。
現行憲法には日本弱体化の政策として根本的に「集会、結杜及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となつているので、どんな大仕掛の集会(暴動的な大衆行進でもどんなエロ行為の映画上映)でもそれを禁止すれば、それは違憲として無効の訴訟が出来、裁判官が「赤」であれば、どんな日本破壊行為をも止めることができないからである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
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2013年05月27日
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