|
つづき 日本国憲法の背景となる哲学
愛国組織の連合体 日本国民会議における講演
(昭和四十二年)
唯物論に立つ日本憲国法(過去記事11月3日掲載)
しかし残念ながら今の日本国の政治は、憲法そのものが唯物論的であります。唯物論は、原子・分子が集まって全体ができるという物の考え方に立脚するのであります。即ち部分が先きで全体が後であると言う。国民と云う部分が先ず在って、それが集まって国家という全体を拵(あつら)えているんだと云う唯物論的立場に立つのが今の日本国憲法であり
・・・中略・・・
さて、この唯物論と云うものは、存在を細かく分子に還元し分子を細かく分けて原子とし更にそれを細かく分けて素粒子にして、その素粒子と云うような小さいものが集まって全体が出来るのであると云う機械観的な世界観なのであります。それが結局日本国を如何に観るかと云う国家観と云うものにも現われており、そう云う考え方が基になって今の憲法が出来ているのであります。この憲法は民主主義憲法と言われておりますが、民主主義と云うのは、最大多数の国民の幸福を目的とする政治的イデオロギーであると思うのであります。しかし最大多数の人間の幸福と云ってもその「人間の把(とら)え方」と云うものが唯物論的であり、その上に現憲法が成り立っているのであります。それには人間の幸福を護るように書いてありますけれども「人間とは何ぞや」と云う根本の把え方が唯物論的であり肉体主義なのであります。ですから現憲法では例えば、その第二十四条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とありますが、この文章の通りに解釈したら、婚姻即ち結婚は両性のセックスが合意したら、それのみに基いて成立すると云うのであります。両方のセックスのみが快楽を得て幸福感を得られるなら、その結婚は成立すると云うのであり、其処には魂的なものは少しも書かれていないのであります。「両性の合意のみに基いて成立し」と「のみ」まで附いている処に注目すべきであります。だから両方のセックスの合意以上のもの、本当の愛と云うようなものであって結婚するなら、もう既に現憲法違反と云うことになる恐れがあるのであります。況(いわん)や親に相談をしたりしたら憲法違反であると云うことになるのです。そう云うふうに肉体の快楽のみが中心になって結婚と云うものは成立するのであると書かれている。此処に明かに、現憲法と云うものは民主主義憲法とは言うが、肉体民主主義憲法であって決して人間を霊的存在として認めている憲法ではない生言うことが出来ると思うのであります。
現行憲法が生み出した色々の社会的不祥事(過去記事11月4日掲載)
だから幾ら人間を尊重する憲法であると言っても根本的に人間をセックスから産まれて来たところのそう云う低い次元に於ける唯物論的人間として認めているのでありますから、本当に人間の尊厳と云うものを認めている憲法ではないのであります。
だからセックスの快楽のみが重んじられて、その結果生じたところの胎児は堕胎してもよいという法津がこの憲法を背景に出来ているのであります。更に現憲法には団体争議権と云うものが認められております。大変便利なようでありますけれども結局赤い思想の人達がこの憲法の条項を利用して革命準備演習をするのを停めることが出来ないように作られているのです。で、毎年の定期闘争の如く、総評議長の命令一下、忽ち日本の大動脈であるところの国鉄を全部止め得るところの権利を持っている訳なのであります。で、何干万人の国民の足が奪われて、国民がどんなに迷惑を蒙っても「我々働く者がもっと多く給料を貰いたければ、闘争して国民の足ぐらい止まってもいいじゃないか。儂(わし)のふところさえ肥ればいいのである」という利己的な餓鬼道的な人間の物質的慾望の上に更に慾望を飽くなく追求して闘う煩悩を正しいとして基本人権として肯定しているのが現憲法であります。これは結局癌細胞が「儂さえ増殖して肥れば全体としての肉体が弱って行こうがどうでもいいじゃないか」と言って愈々(いよいよ)増殖して行くようなものであり、そう云う考えが現憲法の奥にあると考えられるのであります。
・・・中略・・・
或いは交通事故対策というようなことが盛んに唱えられても、ジャリトラックが無暗に積載量以上のジヤリを積んで走り回ったり、人を轢(ひ)いて何とも思わないというのも、結局は「自分さえ肥れば自分の収入さえ増えればよいのである」というような唯物論的考えから来ているのでありまして現憲法が唯物論的哲学により成り立っているものですから、そのようになってしまっていると思うのであります。
青少年の非行化ということも問題になっておりますが、現憲法には、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」、というように定められている一方、表現の自由、言論の自由ということが保障されております“戦中或いは戦前においでは.一寸猥褻(ちょっとわいせつ)な文章が一行でもあるとそこを削除しなければ発売禁止になったのでありましたげれども、近頃の大抵の小説は何処かに赤裸々に女性の肉体を露出さして、そして猥褻な行為をするような描写がこと細かに書いてあるが、それを押えることが出来ない。それを押えたら憲法違反であるということになるのであります。
・・・中略・・・
そして性欲が興奮する。その上、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」と憲法で決められてあるのですから、どうしても日本の少年青年の非行化を止めようと思っても止めることは出来ない。その上、そのような非行によって妊娠した子供に対しては責任をもたないで堕胎すればよろしいという法律になっているのは現憲法が肉体民主主義憲法であるからでありまして、現憲法をこのままに保存して置く限り日本国民の道徳生活というものは益々低下するより仕方がないと思うのであります。
つづく
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年05月09日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]





