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つづき日本の国体と憲法との奥にあるもの 
― 仏典・聖書より観たる宇宙の実相 ―
 
 
○速かに明治憲法復元の必要に迫られている(過去記事1111日掲載) 
 
そして国民は下宿人の集りみたいに、テンデンばらばらに国民が白分の利己主義で勝手に行動したらよい、祖先伝来の家の財産でも家族がバラバラに分解して持って行ったらよい。家なんか存在しないから家督相続はないと定められているのが現行の憲法であります。国家としては、まだ天皇が「国民統合の象徴」として、「統合の中心体」として現行憲法に存在しておりますので、日本国はこのような安泰と繁栄の状態を続けておりますけれども、
この天皇の地位は現行憲法そのままでは国民の総意によっていつでも左右できるように規定してありますから、社会主義や共産主義系の政権が樹立され、そういう革新系の代議士の議席が三分の二を超えるようになると、その三分の二以上の発議が、「国民の総意」とみとめられて、天皇制廃止の社会主義憲法が新たに制定せられる倶(おそ)れがあるのであります。しかも社会党は一九七〇年代には日本に革命政権又は、革新系連合政権を樹立するといっているのですから、そういうことにならないように、今のうちに現行の憲法が本当の憲法ではなく、占領中に日本を弱体化する政策上押しつけられた"占領行政基本法。であることを明かにして、占領終了と同時に失効せるものであり、その失効と同時に、明治憲法はそのまま生きているということを宣言すべきなのであります
 
つまり、国家にも永久かわらざる中心が万世一系の天皇の形によって持続することによって、一切の存在が「永久変らざる中心を持つ」という天意の実現せる唯一の国家が日本国家であって、若し、この日本国家に天皇がなくなれば、すべての存在には永久変らざる中心があるという神の宇宙創造の基本形態が国家だけには当てはまらず破壊されることになります。今こそ吾々は神意を実現せる真理国家こそ日本国家であるという日本国家独特の神聖性を明かにするために明治憲法復元に踏み切るべき時であります。
 
 
こう申しますと、私の言うことは非常にナショナリズム的に他か観られるかも知れませんが、海外の書籍などにも、ナシヨナリズムにつながるというような紹介記事を書いたものがありますが、世界的に組織をもち生き生きと活動しているアメリカの新しいキリスト教リリジャス・サイエンスの理事長であるウイリアム.ホルナディ博士が数年前見えたときに、その事について質問せられたことがあります。その時に私はこう答えたのであります。
「イエスの教えた模範的祈りの“主の祈り”に於て“天にまします吾らの父よ、御名(みな)をあがめしめ給え御国(みくに)を来たらしめ給え。御心の天に成るが如く地にも成らしめ給え」と祈るように教えられているのであるが、天には唯一の永久変らざる神がいらつしやって、すべてのものがその唯一の神の御心に帰一しているのでありましよう。そうすれば、天にそのように御心の成るが如く地にも成るとすればその御心が地上に成り、その御心が国家にあらわれるならば、永久変らざる中心が国家にも成就しなければならない。そのような永久変らざる中心である万世一系の天皇をもつ国は日本だけであって、国家としては最も神意にかなう形態をととのえているのが日本国家である」と申し上げたのであります。すると、ホルナディ博士は大いに頷(うなず)いて賛成の意を表されたのであります。だから古事記、日本書紀等の示すところの天皇中心国家というものはキリスト教の示す世界観又は国家理想とも完全に一致するものであります。これをナシヨナリズムだ、軍国主義だとキリスト教側から反対されるのは理窟に合わないのであります。
 
 
○釈尊の教えも唯一の中心に帰一する国家を示された
(過去記事1112日掲載)
 
仏教に於きましても、天皇中心国家なるものは釈尊の教え又は釈尊の宗教的悟りの理想であったのであります。「世尊拈花(せそんねんげ)と日本国の憲法」という題で私は話すことになっているのでありますが、「世尊拈花」というのは、あの禅宗の聖典である『無門関』という本の公案の第六則であります。
・・・・・中略・・・・・
このように”波羅”という語は、“彼岸”即ち“実相世界“をあらわしているのであります。この実相世界のことを、キリスト教では、""とか”天国”とか申します。神道では高天原と言うのであります。その実相世界の構図の通りに、現象世界が成ることを、「みこころの天に成るが如く地にもなる」というのであります。
 
 
○蓮華の花の構造は何を象徴するか(過去記事1113日掲載)
 
さて、みこころの天に成れる相(すがた)は、金波羅華(こんぱらげ) ― 即(すなわ)ち金色の蓬華の花にはハチスといって中心に“ス”があるように統一の中心がある世界である。まだ、みこころが“天“(実相)だけに成っていて”地“(現象世界)にはまだ完全にその通りに成っていない現在に於ては、天界の構図を肉眼で示す訳にはまいりませんが、お釈迦さんは蓮華の花を、その象徴として示されたのであります。
・・・・省略・・・
 
 
○釈尊出興(しゅっこう)の最大目的は(過去記事1114日)
 
釈尊が此の世に出興せられた最大の目的は宇宙の実相が、蓮華の花びらの如く、中心に巣(す)(統(す)・.枢(す))があって、万象悉(ことごと)くその巣より出で巣に還るー即ち宇宙の実相は、中心に“ス”即ちスメラミコト在(ましま)して万象悉くそれより発しそれに還るーその実相を説き明かさんがために出興せられたのが釈尊がこの世に出興された目的であり使命であると私は思うのであります。
・・・中略・・・・
『大方広仏華厳経』が竜宮に秘められていたということには、深い象徴的意義があるのであります。竜宮というのは、あの浦島太郎の神話で御存知の竜宮であります。竜宮とは浜の砂を掘って、三池炭鉱のように深く深く海の底へ沈んで往つたら、そこが竜宮というようなお伽噺ではないのであります。竜宮とは海の底であります。一切のものを「生(う)み出す根底(こんてい)」の世界「生(う)みの底(そこ)」のことであります。換言すれば創造の本源世界のことであります。創造の本源世界は、時間空間以前の世界でありますから、超時間の世界です。だから浦島太郎が竜宮海に往っていた間は年が寄らなかったという神話になっているのであります。
・・・中略・・・・
そこには沢山の乙姫が住んでいました創造の本源世界に沢山の乙姫が住んでいるというのは、どういう意味でありましょうか。乙姫は“音秘め”であります。“音”とはコトバでありまして、この講話の冒頭で申しましたように、創造はコトバによって行われるのでありまして、それは秘められたる創造の力であるから、“音秘め”であります。さて、その宇宙普遍の叡智に導かれて解釈してみますと、竜宮海即ち、「生(う)みの底(そこ)」(創造の本源世界)には無限の音姫即ち「秘められたる実相のコトバ」が充ち満ちているのであります。その創造の本源に秘められてある真理のコトバそのものが『華厳経』でありますから、『華厳経』を読むには神通力によって竜宮へ降りて行かねばなりません。そこへ降りて往(い)って『華厳経』を読んで来たのが竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)であります。
 
つづく
 
 
谷口雅春著 「私の日本国憲法論」
 
 
 仏典・聖書より観たる宇宙の実相
 
○一切の存在はコトバにて成る(過去記事118日掲載)
 
聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)の物これに由(よ)りて成(な)り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と録(しる)されております。
すべてのものは言(ことば)によって成ったというのがキリスト教の宇宙創造説であります。以下省略
 
○すべての物の本質はコトバである(過去記事119日掲載)
 
すべてのものは、外面から眺めますと、物質のように見えますけれども、その本質はコトバであります。それを日本人は古来ちゃんと、潜在意識にそれを悟っておりましたので、この「湯呑(ゆのみ)」を指しても、」「これは“湯呑”というものである」と言います。またこの「書物」を指しても、「これは本というものである」と言います。そのほか何を指しても、「これは人間というもの」「これは動物というもの」・・・などと言うのであります。
「これは物質だ」と言い切らないで、「これは物質というものだ」と吾々が言うのは、すべてのものは、それは物質に見えても、実は「言うもの」なのだ、「コトバ」の具体的表現なのだ、本質はコトバなんだと知っているからなのであります。
 
 
○日本国の本質は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(みことのり)である (過去記事119日掲載)
 
私がこんな話をいたしますのは、実は日本国家の本質について皆さんの御理解を得たいからなのであります。日本国は誰が何を如何にして創造されたかという問題であります。日本国がどのようにし出来たかと申しますと、日本書紀には、天照大御神の勅(みことのり)によりまして「豊葦原(とよあしはら)の干五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みじほ)の国は、是れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫就(いましずめみまゆ)きて治(しら)せ、行矣(ゆきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか」えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし」と録(しる)されているのであります。天照大御神の「天(あま)」とは天球即ち宇宙でありまして、天照大御神とは宇宙の大神であらせられます。大神が出現せられた時の有様を日本書紀には、「光華明彩六合照徹(ひかりうるわしくりくごうにてりとおらせり)」と書かれており、宇宙全体にその光明がうるわしく照り徹っている有様が形容されているのであります。
 
○日本の本当の建国は何時か(過去記事119日掲載)
 
日本国の建国はいつの時代かという問題は建国記念日制定以前から色々の説があり、建国記念日制定後にも尾を曳いている問題でありますが、コトバが神であり、神はコトバと偕(とも)にあり、一切のものはコトバによって生じたという哲学から申しますと、日本の建国は、宇宙の大神にまします天照大御神が「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」とコトバによって宣言された時に日本国は、「神のコトバの世界」即ち「理念の世界」に於いて成立したのであります。
 
理念とは如何なるものか(過去記事119日掲載)
 
もっとも「理念」というものは、コトバ即ち「神の生命の智的表現としての振動」即ち神の心の中にに想い浮かべられた“形相”でありますから、それは物質的形相ではありません。従って縦横厚みの三次元的な空間的大小のひろがりをもっていません。すなわち物質的な形や大きさを抽(ぬ)きにした超空間的な純粋な形相であります。だから、その理念が現象面に投映して来る場合には、大にも小にも顕われて来るのであります。
 
天照大御神が天孫降臨の神勅に於て仰せられた「豊葦原の瑞穂国」というのも色いろの解釈がありますが、これは大には現象宇宙ぜんたいを表わしており、国家的には日本国を表現しており、極微の世界に於ては物質原子の構成をあらわしていると見ることができます。というのは、瑞穂国というのはこれを哲学的に解釈いたしますと水火国(みずほのくに)ということになります。“水”は陰の象徴であり、“火“は陽の象徴であります。陰陽の組合せによる結合によって出現したものはすべて、大小に拘らず水火国であります。大は太陽系統から小は物質原子に至るまで、すべて水火国であります。国家も家庭もすべて陰陽結合によって成り立つ水火国であります。
 
 
○瑞穂(みずほ)の国の根本構図について(過去記事1110日掲載)
 
その水火国(みずほのくに)が如何なる形相をもつべぎか、換言すれば如何なる構造であるべきかの、根本構図として示ざれたのが、「世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」というコトバであります。これは「この根本構図は、一切の存在は世々変らざる即ち永久不変の中心をもつべきものである」という意味であります。これが宇宙の大神たる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御宣言なのであります。それは宇宙の大神の御宣言でありますから、宇宙の万物すべてのものにあらわれている存在の根本構図の原理であります。
 
だから吾々が知っている最も小さな存在たる"原子"も、原子核という永久変らざる中心をもっているのであります。
・・・・中略・・・
 
.ところが現行の憲法では、国家の中心である天皇を象徴と称して半ば破壊し、“家”の制度を根本的に破壊した。家長とか戸主とかいうものはなくて唯夫婦単位に、陰陽がただ集っているのが家庭であって、中心というものはない。恰度それは分子を滅茶苦茶に集合さしただけであるから、親の言うことをきく必要もなければ、親孝行する義務もない。夫に操をつくすという要請もない。ほかに好きな男が出来たら離婚するのは自由だというようにできている。中心のない家族雑居は、もう既に「家」ではないのであって、それはただの下宿人の集りである。太陽を失った遊星のようにみんな冷えつつある。
 
つづく
 
 
谷口雅春著 「私の日本国憲法論」
 
 
 
 
特集 何故憲法を変えなければならないか
 
大和理念としての日本国
 
 
「日本的なるもの」とは、必ずしも単に過去の現象歴史の上に於いて、日本人が行為し来った行為の中に現れているものではないまたその総和でもない。「日本的なるもの」は、他の「ヨーロツパ的なるもの」と同じく、まず「理念」の世界に於いて生み出され、それが徐々に歴史的現実となって具現化し出づるものであるから、歴史的現実を跡辿(たど)って行くとき、その中にも発見されるが、発見されるすべてが「日本的なるもの」と云うことは出来ないのである。現象界は「理念」の現実化の世界であると同時に、それは「妄念」の具象化でもある。真象(理念の具象化)と、偽象(妄念の具象化)とが交々(こもごも)相錯綜しているのが歴史的現実である。日本の歴史全部を日本的理念の表現だと考えることは、真妄を甄別(けんべつ)しないことになる。何処の国に於ける現代の市井の出来事にも、殺人も強盗もあるが、それが「人間なるもの」の理念の表現ではなく、迷える一部人の妄念の表現であるのと同じように、歴史的現実にあらわれたる日本民族の諸相の中にも真に「日本的な理念」の表現であるものと、そうでない迷える人間の妄念の表現であるものとがある。それをハツキリ区別し、理念の表現であるものを発見し、妄念の表現であるものを非日本的なものとして排除し、正しく理念(又は理想)を生き切って行くべく努力するところに、人間生命の知性の純化と、意志の鍛錬と感情の陶冶(とうや)とがあるのである。それは可成り難かしい仕事であるけれども、その難かしい仕事を努力して成し就げて行くところに人間の魂の向上があるのである。
〈中賂〉                                                                                                       
大和の心こそ真の日本の国であり、国とは形ではなく、「心」そのものが日本の国であるそして具体的「国」なるものは「心」の展開であるが故に、大和の「心」が真に深く行じられたとき、真の日本の国は生れるのである。まだ、謂わば真の日本の国は生れていなかったのである。真の大和日本(理念の日本)は理念の奥深く眠っていたと云うほかはない戦争をした軍国日本の如きは真の日本を遠ざかること甚だしかったに拘らず、僭上にも日本国と号した。併(しか)しそれは大和国ではなかったのである。今や大和国は「理念」の底深きところからやっと生れ出でようとしているのである。軍国主義のニセ日本の敗北が、理念の底に眠っていた「真の大和の国」に対してその目覚めるべき契機を与えてくれたのである。軍国主義日本の敗退を嘆いてはならない。吾らの実相の「平和日本」は今理念の世界から顔を出しつつある。太陽は今昇り始めたばかりである。国民よ、この幼い日本愛し育てようではないか。  (昭和二十一年)
 
 
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
 
 
      
このブログに掲載している「私の日本憲法論」を発売当時にお読みになっている方が安倍総理の側にいることが先日わかりました。
内閣総理大臣補佐官 衛藤 晟一(えとう せいいち)氏です。今回参議院選挙全国区で立候補されるということです。一週間位前の産経新聞に安倍総理の5人の補佐官の紹介記事があり、安倍総理の兄貴的存在とか書いてありました。安倍総理の憲法発言が当ブログに、にているなと以前から思っていましたが、さすが良く勉強しておられると思っていましたが、側に 衛藤 晟一氏という内閣総理大臣補佐官がおられていたんですね。自民党政権崩壊後からずーと勉強会をやってこられて今回政権について憲法改正に向けて頑張っていると話(講演)されていました。因みに大分県出身で通算4期と書いてありますね。私としては心強い味方の出現です。頑張って欲しいですね。因みに私は自民党員でもどこの政党を応援しているわけでもありません。ただ日本国家再建の為に働く方に応援します。  
 
大和理念としての日本国
 
私は日本を限りなく愛する。私は限りなく愛国者であることを欲する。こう云う言葉は真に日本を愛しない非愛国者から僧まれるかも知れない。僧まれても好い、私は限りなく日本を愛し、日本的なるものを愛するのである。兎も角も日本国が地上にいつの時代からか存在し、神が日本人なるものを此の地上に生んだことは、何か日本国なるものや、日本民族なるものに特殊の使命が与えられているのだと考えざるを得ない。特殊だと云っても必ずしも、日本民族が他民族に優れていると云うのではない。ささやかな梅の花にも梅の花としての特殊の美しさがある。それは豊艶な桜や牡丹の花には及ばないにしても、梅の花には梅の花に許された特殊の美がある。日本民族にも日本民族に許された小さいながらも梅の花のような美があるのではなかろうか。私は、それがあることを信ずる、信ぜざるを得ない。私は、桜の花や牡丹の花を愛しないのではないが、此の小さい梅の花の雪に蔽(おお)われ、寒気と戦いながら清楚に咲き出でた其の美を限りなく愛するように、何か日本民族に許されたる日本的な美しさがあることを信じ、これを愛せざるを得ないし、愛し育てたいことを念願とするのである。
 
日本的なものと云えば、直ぐ人々は軍国主義的なもの、好戦的なもの、侵略的なもの、掠奪的なもの、狡滑なもの……等々とすべて悪しきものの総称が日本的なものと誤解せられ、かかる「日本的なもの」を撥無(はつむ)し、除外し、消滅せしむることが、日本人にとって必要な緊急の課題だと考えている向もあるらしい。例えば、かつて「人間」と云う雑誌に出ていた「文学者の責務」と云う座談会に於いて、荒正人と云う人が、「その日本的自我を解放しなければならぬ。それはヨーロッパ的な個人主義であっていい」と平然として云い放っていた如きはそれである。
 
 何が日本的であるか、若し「日本的」なるものが全面的に悪しきものであるならば、それらすべてを抹殺し除去しそれらから人間を解放しなければならぬのは当然のことである。ただ敗戦のためゆえに、全面的に日本的なものが悪いと考えるような考え方は、若し日本が日清日露の両戦のように勝っていたときには、「日本的なもの」は善きものだと考える考え方であり、かかる考え方は、善悪の真理についての一貫した考え方ではなく、その時その場の現象的勝敗と云う環境に迎合する時局便乗的な考え方であって、真に善悪を定めるところの考え方ではないのである。
 
 吾々は「日本的なもの」を肯定し、又は否定するまでに、「目本的』とは如何なるものであるか、その前提をハッキリさせて置かなければ、「日本的なもの」を排斥しても肯定しても、何を排斥するのか肯定するのか判らないことになると思う。
 
それでは「日本的」とは如何なることを指すのであろうか。日本人が行為したから、それは悉(ことごと)く日本的だと考えるのは愚かなことである。日本人は戦争をしたから、戦争をすることが果して「日本的」であろうか、私はこれに対して否と答える。そう云う好戦的なことを「日本的な」と云うのであるならば私は「日本的なものを限りなく愛する」とは云わぬ。私は却って、「日本的なものを限りなく排する」と云ったであろう。日本的なものを愛すると云い、排すると云い、どちらにしても、吾々は「日本的な」と云うものの中から、真に「日本的なもの」と、真個(ほんとう)は日本的ではないが誤って「日本人が犯したもの」との区別をハッキリさせて置かなければならないと思う。
 
日本は今開闢(かいびゃく)以来の危機に直面している。それは形骸の頽廃も重大な危機ではあるが、それは単なる肉体的危機である。それよりも一層重大なのは日本民族が、理想を失おうとしているζとであり、すべての理想を失って、ただ焼跡に蠢動(しゅんどう)する蛆虫や昆虫のように、亡国の民のみじめなる姿の中に闇から闇を追いつつ彷徨しつづけようとしているということである。形の国は崩壊しても、キリストも云ったように「我が国は此の世の国にあらず」であるからそれは重大なるものではない。最も重大なるものは、日本人であるところの、「日本に生れた人間」の内部にある理想(これこそ本当の日本の国であり、「日本的なもの」である)が崩壊すると云うことである。それが崩壊したとき、真に日本は、形の上でも魂の上でも滅びたと云うことになる。今やそれが滅びつつあるのではないか。長谷川如是閑氏がこれを評して「敗戦後も日本はまだ敗けつづけている」と云った如き状態がつづいていることである。形の上での日本の崩壊よりも尚恐ろしいのは日本の魂の崩壊であるのであるその日本の魂が、今もまだ崩壊しつづけていると云うことは何と云う悲惨なことであろうか。私は限りなき悲痛をもって慟哭せざるを得ないのである。
 
私の限りなく愛すると云った「日本的なもの」とは、日本の国号が過去に於いてありし如く「大和」であると云うことである。私の限りなく愛すると云った「日本的なもの」とは、日本の国旗の標識が○であるようにすべてのものと手をつないで真に丸く、円満完全に、○の中が空であるが如く、虚心無我にして、苟(いやしく)も私心を差し挿まない大調和な心と、それより発し育てられ来たった大調和の事々物々を指すのであつて好戦的と云うこととは全く反対(うらはら)のことを指すのである。私の信念に於いては本当に「日本的なもの」即ち「大和の理念」があらわれたら、あの戦争は起らなかったに相違ないのである。今後日本が国連の一員として平和を護って行く上に最も大切なのは「大和」の理想の培養であらねばならぬ。形の世界は心の世界の反影(リフレクション)であるから、心の世界に「大和」の理念が、真に「日本的なもの」として、換言すれば、「日本本来の姿」として、確立せられなければ、形の上にも真の「平和日本」は確立せられないのである。
 
つづく
 
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
 
特集 つづき 占領憲法の非真理性とその影響
 
反国家的思想・学間の自由(過去記事1228日掲載)
 
占領憲法第十九条には
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とあります。
 
そして第二十三条には
「学間の自由は、これを保障する」とあるから、国民は反国家的思想をもち、それを""として学校で講義して反国家的人間を養成してもそれを国家が制止しようとするならば"違憲〃だということになるのである。
・・・中略・・・・
この占領憲法は、日本を弱体化するために起草されたものであるから、国家の権力を制限し国家そのものを縛るような条項を多数含んでいる、きわめて不思議な憲法なのである。
 
国民は、国家に属するものではなく、彼がその国家の国民となっているのは、自分の福利のためにつくった組合員になっているのであるから、国民がその国家に属していることが自分の福利に反すると思えば、いつでも、彼はその国家をはなれて、日本国民であるという国籍を脱することが自由にできるということを定めたのが、
 
第二十二条の
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」という条項であります。
この条項で注目すべき点は、「公共」と「国家」とがハッキリ区別されて書かれていることであります。国家は国民の福利のため奉仕する組合にすぎないのであるから、離脱すること自由とあるわけであります。
 
 
国家は義務ばかりで、国民は権利ばかりの憲法
 
この占領憲法では、国家は国民の福利のために奉仕する義務があり、国民は国家から福利を得る権利があるのであって、国民の権利の条章のみが多くて、国家はほとんど義務ばかりを負わせられているのがこの憲法なのであります。
 
たとえば、その第二十五条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあるが、これは国家がその義務を負うということを言い換えたにすぎないのであります。私が不審に感ずることは、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努カしなければならないのは、人間自身の努カにまつべきであるのに、人間の方には努力の義務はなく、ただそれによる福祉を受ける権利のみがあって、国家の方はそのために尽す義務があるばかりなのであります。
 
もっともただ一箇条、国民の義務が規定されているのは、第三十条の「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」という税金支払の義務だけであって、いかにこの憲法が金銭的であり、福利的であり、唯物論的であるかを暴露しているのであります。
 
 
国民の権利の根拠はどこにあるか(過去記事1230日掲載)
 
だいたいこの占領憲法が国家の権利に優先して個人の権利が一層尊重されているのは、いかなる根拠によるものだろうか。"権利""権利"と個人の飽くなき欲望の満足を主張して互いの欲望の主張が衝突するところに闘争が起るのであり、予想した欲望が充足されない時、欲求不満が起り、政府を怨み、国家を憎む不逞(ふてい)の国民を産みだすにいたるのであります。
・・・・中略・・・・
占領憲法の第二十五条のように「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」などとそんな権利を主張する根拠があるのだろうかこれは権利なのではなく、「そのような健康で文化的な生活を創造するの義務を負う」でなければならないのであります
 
 
 
本来権利なき者の権利闘争(過去記事1231日掲載)
 
権利の根拠もないのに、権利を主張するのだからそれは空想の権利であるから、実質的にその権利の分量を測定することができないから、これだけ権利を満足したら、もうこれで十分ということはないのである。一つの権利を満足すれば、さらに一層その権利を満足しようという飽くなき権利主張が起って来て、それは停止するところを知らないことになるのであります。
・・・中略・・・・
できるだけ少く働いて、できるだけ多々益々の給料を貰うために闘争するのは、本来何の権利もなき人間が飽くなき権利を主張する矛盾から生じたものであるといわなければならないのであります。
こうして権利なき人間が「権利々々」と主張しながら阿修羅(あしゅら)の如き闘争世界を現じ、交通事故でゴルゴタの如き地獄世界に墜落しつつあるのが現状であります。そして、「それは自分が悪いのではない。国が悪いのである」義務と責任とを他に転嫁するこうした気の毒な人間を生み出したのが、現行の占領憲法の精神なのであります。
 
 
○“許されて生きる”心境 (過去記事1231日掲載)
 
本当の世界平和のためには、一燈園の西田天香師の説いたような「神に許されて生きる」謙虚なる精神に国民のすべてがならなければならないのである。「奪い合いをして生きるくらいならば生きまい」という聖なる決意をもって生活を出発すべきである。"戦争の放棄“も、負けて、敵が上陸したので今は敵にあやまるより仕方がないから、近隣の諸国民には「平和を愛する公正も信義もない事実」を知りながら
 
 
自分を欺いて、あやまり証文のように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などと、捕虜が占領軍に媚(こ)びるような文句を、一国の憲法に書き込んで、かろうじて、占領軍に寛大に取扱って貰おうというような卑怯な気持で、この押付け英文憲法を直訳で受け入れたような精神では、世界に恒久の平和がもたらされるはずはないのである。
 
・・・省略・・・・
 
 
 
谷口雅春著 「私の日本憲法論」より
 

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