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増してや、この 大正元年などは 電話交換局 自体が 非常に少なく、電話が 使用し にい時代であった。 自宅に 電話がないので、電話のある郵便局に 行って、通話を 申し込んで、利用した のである。 前回 書いたように、電話は 繋がるまでに 時間が 掛かる。 ただ、電報と 異なり、会話が 出来ることが、非常に 便利である。 この 通話券の 場合は、市内なので、待ち 時間は あまりなかったと 思う。 通 話 券 大正 元年 9月 15日 大阪・下三番局 通話地 市内 通話料金 5銭 電話交換は 交換手が 行っていた。 写真などで ご覧になったことも あろう。 市外 長距離だと、交換局を 幾つも 経て 繋がる。 回線が 多くないので、時には 何時間も 待つことになる。 日本も 近代的になったと 思われる 東京オリンピックが 開催された 昭和39年。 私が 就職した 茨城県の食品会社。 工場から 東京の本社に 電話申し込むと、急 行で 2時間も 掛かると、事務員が 言っていた。
長距離に なれば、なるほど、音声が 小さくなり、いかにも 遠距離という 感じだっ
た。 下の 通話券は 昭和5 ( 1930 ) 年 2月、静岡県 村節局から、堀江局と あ るが、なに 県か 分らない。 事情が 飲み込めない 若い人は、申し込んだりしないで、すぐボタンを 押せば良い のに、と思うかも しれない。 ボタンも ダイヤルも 無いのである。 全国 即時 ダイヤル通話が 実現したのは、ずっと 後の昭和53 ( 1978 )年 のことである。 お読みいただき、ありがとうございます。
明日は、「 蛍が 寄って 来た 」 です。 |

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なるほど、そうなのですか。
うちの母親は若い頃、『電話の交換手』をしていたそうなんです。
電話の交換??ん??と思っていたのですが、実際ホントに
いたんですね☆
時代の流れを感じました。
電話はないと困りますね。
2009/6/15(月) 午後 1:34 [ うここ ]
昭和の終わりごろ、伊豆下田の民宿で、「市外に電話するときの手順」というのが、電話の前に貼ってありました。交換に接続するようでした。たしか、そこの電話番号は市内局番がなくて、市内に電話するときは4ケタだったと記憶しています。
20年ほど前のことなので、電話の進化スピードには驚きですね。
2009/6/15(月) 午後 6:15
僕の職場は今でも交換手の方が居ますが、電話交換の機械は
最新型のようで、昔のようにピンを差し込むわけではないようです。
2009/6/15(月) 午後 6:17
うここさん
お母さんは先端のお仕事をなさってたんですね。
大事な電話を、姿見えないのをいいことに、振り
込めサギなんかに使って欲しくないですね。
2009/6/15(月) 午後 7:48
ゆきりンさん。
公衆電話は、また一段と面倒でしたね。
110番や119番に掛けるときも。
電話も進歩が凄いですね。
2009/6/15(月) 午後 8:13
北風さん
会社の代表電話に来たのを振り分けるのですか。
大きい会社では、交換機が必要なんですね。
2009/6/15(月) 午後 8:16
長距離になると声が小さくなったんですね。
電話も1桁、2桁の時代ですね。
2009/6/15(月) 午後 8:21 [ bluebell ]
電話は、ライフラインのひとつですね。
共同回線を使っていたと・・・
何件かで集まって1回線なので・・・
どこかの家が使っている間は、話中で使用不可だったとか?
今は、携帯電話が主流となり、どこでもいつでもで・・・
本当の意味でのライフライン?^^;
2009/6/15(月) 午後 11:40
bluebell さん。
長距離になると、さらに混信して、無関係の声が
聞こえたりしました。
不思議です。
電話が少ないころは、交換手に番号ではなく、
店の名前を言って、繋いでもらいました。
2009/6/16(火) 午前 11:41
えがおさん
電話普及のためのそのような方式もありました。
多分、1軒どこかが使用中ならば、空くのを待った
んだろうと思います。
携帯電話。
地元の新聞に、平成2年1月、「ポケット電話普及の兆し。現在の国産の重量は630g」とあります。
たった20年ほど前ですよ。
今は、随分小型化・軽量化されました。
2009/6/16(火) 午前 11:54