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特養の勤務シリーズ 文集から(14)
産婆をやった
大正7年2月に4人兄弟の長女として生まれた。
小学校を卒業するときに地元の女学校を受験して合格したけど、親から「女は学問も何も要らない」と言われ、とても行きたかったけど、断念した。 父親は頑固だったので、母親も苦労したなあ。 その後、北海道に行き、尋常小学校高等科に通った。 16歳のとき、父親が亡くなり、郷里に戻り、百姓をしたり、工場勤めをしたりした。 女学校に入るのを反対されてから、自分で手に職を付けてひとり立ちしたいと思っていた。
だから、産婆をやっているおばさんに憧れ、たった一人で仙台まで行った。
どうしても産婆になりたいという気持が通じたのか、縁あって菊池医師の義理のお兄さんの病院で働くことになり、働きながら助産婦と看護婦の資格を取った。 どんな苦しいことがあっても自分の選んだ道だから、いやだと思ったことはなかった。 戦争が終わり、結婚しても仕事は続けた。 電話もない頃だから、歩いて呼びに来られた。 生まれるとめでたいからとお酒をご馳走になったんだ。 それが楽しみでねえ。 しばらくすると、みんな病院で産むようになり、産婆の仕事はなくなったので、妊産婦検診や乳児検診をやった。
今思えば、働いてるときが一番幸せだったなあ。 今日もお読みいただき、ありがとうございます。
またおいでください。お待ちしています。 |
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産婆さんかぁ・・・いい仕事なんだけど・・・時代と共に変わったんだよね!?
産婦人科の看護婦さんは産婆さんの免許が要るらしいよね!?
自分で選んだ道だから苦しくても嫌だと思わない・・・いい言葉だ・・・(≧∀≦)/
楽しい事も嫌な事もあるのが仕事なんだけど・・・。
やっぱり働いてる時が一番なんだよね・・・(゜_゜)(。_。) うん♪うん♪
いい人生だった・・・と言って・・・あの世にいきたいです・・・( ̄― ̄)
2010/10/24(日) 午後 9:56 [ ヒロ爺 ]
今の時代自分の好きな仕事を探していますが昔は何でも働く所があれば御の字。仕事をやっていくうちに仕事を好きになっていった。
2010/10/25(月) 午前 9:03
ヒロさん
産科医が不足になって、助産師さんも見直されてきました。
この人が亡くなったとき、あおぞらは担当だったので、葬式に参列しました。上膳(会食)にも呼ばれました。
ヒロさんは今亡くなったら、いい人生だった言えるでしょうね。
2010/10/25(月) 午後 7:52
ぽちゃさん
そうですね。仕事を選ぶ。
生活が優先の時代もありましたね。
2010/10/25(月) 午後 7:54
おはようございます。
今日から気温がグッと下がるようなので、体調管理には気をつけて、今日も明るく頑張りましょう!
本日の凸ポチッ☆と。
懐かしいです。いい時代だったんでしょうね。
2010/10/26(火) 午前 8:29 [ 社会福祉法人光照園 ]
苑長さん
寒くなりました。
気を付けてご活躍ください。
2010/10/26(火) 午前 9:49