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動物の記事3題 鳥の死の闘争
学資自給の養兎
珍獣牛馬(うしうま)
昭和11年2月7日付け
喰ふか喰はれるか 雪の北国空の綺譚 数千羽の鳥死の闘争 (敦賀電話)北陸地方一帯に亘って連日に亘る猛吹雪と深雪は 六十年来のことゝ言はれ 積雪のために糧を失った鳥類は凍てつ
くやうな寒さと飢ゑのため 遂に喰ふか喰はれるかの生の闘争に
まで追ひ詰められ 敦賀金崎付近では数千羽の鳥が空を掩うて死
の闘争を演じ 約五千羽の弱者は痛ましい死屍を白雪の上にさら
し付近住民を驚かしてゐる。
上の記事と同じページ すぐ下の記事
養兎 気仙郡大船渡小学校では学資自給と皇大神宮社参拝等の資金 に供する目的で種々の副業化に馬力をかけてゐるが 今回更にこ れが施設計画を拡充し 養兎飼育を奨励することになり 大船渡学 園養兎組合組織し 五日これが発会式をあげたが これは各児童
一頭当りの養兎飼育をなし 『副業指導は児童より家庭に』のモット ーで極力馬力をかけると共に学資その他の資金にあてると言ふこと で、父兄達より非常な人気を博してゐる
昭和12年8月28日付け
珍獣”牛馬(うしうま)”
日本国中にたった十三頭 『牛馬』は珍しい動物の一つであるが絶滅に瀕したので昭和六年 保存法によって文部省から指定された、
それが今度始めて繁殖の兆を現し二頭の『子牛馬』が生まれた これは右指定の結果保存を計り繁殖を助成するために十一年 度から奨励補助金を支給した その結果がてきめんに現れた訳で
あって誠に喜ばしいことである
此の『牛馬』は鹿児島県種子ケ島に産するもので普通の馬よりは 体が小さく角は無いが馬のやうでもあり、牛のやうな所もある一種
奇怪な動物である、
これまで産地ーー 種子ケ島に十一頭と東京の上野動物園に1
頭と僅かに十二頭であったが去る五月末頃牝牡二頭生まれ計十
四頭となったがそのうち去る七月十二日他の牝の牛馬が一頭斃
死したので結局十三頭となった
爾来この牛馬は減滅の一路を辿って居たものであるが今度二 頭生まれ順調に生育しつゝあることは喜びに堪えない、
種子ケ島では土地の有力者である田上治吉氏が二頭、他九頭 は各一頭づつ他の人々によって飼育されてゐるがこの牛馬の飼
育法は之またなかなかむづかしくて手入れや手当等に相当努力を 要する、
まづ飼料には甘藷、糠、食塩、牧草といったものを与へる、
今の処十一頭の一年の飼育費は合計五百余円程であるが、そ
のうちの半額は文部省から支給しこれが保存奨励の意味で補助
してゐるのである
この珍獣牛馬は種子島産の日本在来馬であろうと思われる。
ウィキペディアには現在在来馬は8種あげられ、
北海道和種 北海道 (道産子) 木曽馬 長野県木曽地方 御崎馬 宮崎県都井岬 対馬馬 長崎県対馬 野間馬 愛媛県今治市野間 トカラ馬 鹿児島県トカラ列島 宮古馬 沖縄県宮古島 与那国馬 沖縄県与那国島 これに種子島産の記載はない。
絶滅を免れた種は島のものが圧倒的に多い。
この記事(昭和12年)のあと、馬は軍馬としての要素が濃くな り、大型である洋種馬が重要視され、各地の在来馬は滅亡へと
向かったという。
今日もおいでいただき、ありがとうございます。 |
新聞
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牛馬。
昨日、お坊さんが来て下さったので牛馬のお供えをしました。
作り物の牛馬ですが
昔はキュウリとナスに割り箸で足を付けたものですが..
牛と馬のあいの子って本当にいたんですね。
鳥たちの生存競争?それも人間たちは見守るべき自然淘汰なのでしょう。
今日も興味深い記事をありがとうございました
2013/7/13(土) 午前 11:27
飛べ飛べさん、1番にコメントありがとうございます。
「牛馬のお供えをしました。」
そういうことがあるんですか。
初めて聞きました。
牛と馬のあいの子はできないでしょう。
種類が遠過ぎます。
降雪地の冬は野生動物には大変な試練です。
雪が深いと餌の確保は難しいです。
自然の淘汰がなされるのでしょう。
今日もキラキラ☆、ありがとうございます。
2013/7/13(土) 午後 0:08
昭和11年の冬は寒かったのですね、5000羽も死んだとは・・・・・。一か所に群れが集まるとこのような危険が大きくなるんですね。鳥切手もありますか、これも集めたあおぞらさんにナイス。牛馬は絶滅しましたか・・・・戦争の影響がこんなところにも現れてくるとは・・・・。
2013/7/13(土) 午後 1:23
野間馬を見ました。
当地、松山は今治の直ぐ近くです。60kmぐらい。
明治の騎馬兵を率いた伊豫出身の秋山好古は洋種軍馬の導入に大いに
努めたようです。
それ以前の日本の馬はだいぶ小さかった様ですね。
義経の鵯越えの馬も小さかったのでしょうね。
絵になり難いですね。
2013/7/13(土) 午後 7:01 [ ノブジ ]
酔渓さん
昔、私の子供のころも鳥は非常に多かったです。
鳥だけじゃなくトンボでもゲンゴロウでもハエでも生き物は多かったですね。
そういう環境だったんですね。
牛馬は絶滅しました。当時の政府の方針だったようです。
軍馬、軍馬と。
Y!ナイス! ありがとうございます。
2013/7/13(土) 午後 7:09
ノブジさん
野間馬が見られるんですか。
羨ましいですね。
在来馬は小さいので洋種馬を導入し、在来馬はないがしろにされました。それも当時の社会情勢でしょう。
「絵になり難いですね。」
はい。それで皇居前広場の 楠正成公は当時いなかった洋種馬に乗っています。
作者が、史実に基づいて正成公を在来種に載せると様にならないので、仕方なく洋種馬に載せたということを言ってます。
2013/7/13(土) 午後 7:18
こんばんは
鳥の死の闘争‥
寒さと飢えとの戦いだったのでしょうか
異常気象は、弱者が一番に被害を受けますね
今年も猛暑です、反動で厳冬が来ないと良いのですがねぇ
2013/7/13(土) 午後 7:33
ほのさんこちらは今日も雨です。
この争いは共食いをするのではなく、少ない餌の奪い合いだったのでしょうか。これも自然の摂理なんですね。
どんな鳥だったのか分かりませんが、大変な数ですよね。
2013/7/13(土) 午後 8:57