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ブログ10年記念焼き直し(14)
平成20年10月19日(日)のブログの焼き直しです。
子供の小遣い稼ぎ(3)
これは昭和20年代で小学生の時のことです。
祖母は古着の仕事をしていた。古着を買ってきて染め直したり、また取っ手を付けて手提げ袋を作ったりしていた。手提げ袋を作るのは母がやっていた。竹で作った取っ手がたくさんあった。あのころこの辺ではそのような手提げ袋が流行っていた。
私たち兄弟は祖母に頼まれて古着をほどく仕事をした。1日1着はほどいたのかな。2枚かな。
かみそりで縫ってある糸を丁寧に切ってほどいた。ま、たまには失敗して布の方に刃がいくこともあった。
祖母の仕事は家業とは別だった。だから手伝いはただではなかった。1着ほどくと5円だった。
また毛布のようなものを染め直したものに4周に短い毛糸を括り付ける仕事もあった。
これは川端康成の「雪国」に出てくる駒子も使用していたあの角巻(かくまき)だ。
大人に頼めば手間賃はもっと高かったのであろう。私たちは祖母の下請け職人のようなものだった。ま、どっちも商売、商売。
母も昔の嫁のこと、自由になるお金はない。祖母の仕事でいくばくかの小遣いを稼いで、たまの婦人会の旅行にも行けたらしい。
私もこんなことをやればこそ、ビー玉やめんこも買うことが出来、たまには紙芝居も見られたんだなあ。
祖母は祖父の後妻で商売っ気のある人だった。田舎のおばあさんにしては変わった人で、私たち兄弟は百人一首を教えてもらったり、他所のお祭りに連れってもらったりした。
関東大震災のときは東京で働いていて、それを体験したという。
(母に連れて行ってもらったことはない。自由が無いということ)
今日もおいでいただき、
ありがとうございます。
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祖母・・・・粋な人だったのでしょうね!
当時百人一首を教えられる教養を持っていたなんて素晴らしいです。 おかげで小遣いも稼げたのはありがたい(笑)
2018/10/13(土) 午後 2:28
> 酔渓さん
そうなんですよ。当時の田舎のおばあさんとは違ってました。
小遣いも稼がせてもらいました。
あの頃は子供の現金収入なんてめったにありませんでしたね。
親に小遣いをもらえるわけじゃなし。
祖母は東京に住んでいたことがあったそうです。
ナイス!ありがとうございます。
2018/10/13(土) 午後 5:52
内職するおばあちゃんの姿が想像できる、素敵なコメントですね
私の母も洋裁和裁が趣味なのでとても共感できました
2018/10/13(土) 午後 10:35
> BebeMobileさん
祖母のおかげでお小遣いが出来ました。
子どもの現金収入があまりないころ、ありがたいことです。
母も収入ができたんですね。
2018/10/15(月) 午後 6:41
お母様は、お姑さんに苦労されたのでしょうか。
嫁姑問題には縁がない私は、平々凡々と気楽に過ごしてしまいました。
⭐
2018/10/17(水) 午後 3:32
> 飛べ飛べみみとごろさん
さまありがとうございます。
母はとても苦労したようです。
祖母が倒れてから、介護のために嫁いだようです。気の強い祖母と父の弟の意地悪に苦労したそうです。
祖母はおあぞらが生まれる少し前になくなりました。
父の弟のその後、戦死しました。
苦労話はあおぞらが大人になってから聞きました。
ハハハ、その点、飛べ飛べさんは苦労知らずということになりますね。
そういうおあぞらもぼ〜っとして苦労知らずで今日まで来ました。
お
2018/10/18(木) 午後 6:14
今は、服もある程度着たら、捨てますけど
昔は、そうやって大事に使い回してたりしてたんですね。
私は、ローラインガルスワイルダーの
大草原の小さな家とか、大きな森の小さな家などの物語が
好きなんですけど、そこでもお母さんが古着をパッチワークしたり
布きれも大事にしています。同じですね。
2018/10/19(金) 午前 6:20
> すみれさん
そうですね。
昔は物を大事にしてました。
時代をさかのぼると、糸を1本1本撚って作って機織りして布を作ってました。
布は貴重なものだったんですね。
2018/10/19(金) 午前 9:37