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ブログ10年記念焼き直し(10)
平成20年10月17日(火)のブログの焼き直し
  子供の仕事は多かった。

 これは昭和20年代のことです。
あの頃、子どもの仕事は多かった。代表的なものはお掃除。室内を掃くこと、床拭き、庭掃除。ガラス拭き、味噌擂りもやった。今は擂ったのを売っているので、する必要はない。
 農家の子どもはよく働いたようだ。中学生にもなると大人並みに。
なにしろ小学2年生から農繁休業があったくらいだから。
 あおぞらは遊んでいた。
 
 我が家で鶏を飼っていた時期があった。ちょっと広い敷地に放し飼いになっていた。品種の異なるものを数羽飼っていて、私の担当は横斑プリマスロックという品種だった。兄弟それぞれ担当が決められた。これは父の作戦だったのであろう。みんなで、というのは無責任になり勝ちだ。それを防ぐつもりだったのではないか。
 担当を決められれば少なくともそれには世話をする。秋にはイナゴを取ってきて食べさせるとか。
 卵が楽しみだった。放し飼いなので、鳥小屋以外に外に生むこともあった。
 卵を産む瞬間を見ることもあった。生んだばかりの卵は濡れているが、すぐにスーっと乾くのも見られた。手に取ってみると温かい。皆さんはこのようなことを見たことがありますか。
 採った卵は日付を書いておきます。 
 
 中学生になると薪割り、商店なので店番や配達も。
 あの頃は商店は朝起きたら戸を開けて、寝るまで開けていた。

 今日もおいでいただき、
     ありがとうございます。
 

大谷 メジャー初快挙

大谷 メジャー初快挙
10登板 20本塁打 10盗塁

 「4番指名打者」でフル出場し、2回に
10個目の盗塁をマーク。
 球団によるとメジャー史上初となる「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成した。

イメージ 1
 
イメージ 2

 今試合では3打数3安打2打点、1試合3安打以上は今期4度目。

これまで大リーグで同一シーズンに10登板と20本塁打を記録したのは、1919年のベーブ・ルースと大谷だけ。
 伝説の選手ルースはその年7盗塁だった。

  今日もおいでいただき、
       ありがとうございます。

                     大谷選手はわが市の出身です。


ブログ10年記念 焼き直し(9) 
      給食は脱脂粉乳

平成20年10月7日(火)のブログの焼き直しです。
 これは昭和20年代前半のことです。
 私が小学校に入学したのは昭和23(1948)年だった。
 1年生の時に給食があったかどうか定かではない。2年生のときは確実にあった。
 給食は今は死語になった「部分給食」だった。当時は特に部分給食とは言わなかった。単に「給食」と言っていた。「部分給食」という言葉は「完全給食」という言葉ができたので、区別するためにできたのであろう。
 部分給食はパンやご飯はない。
 当時、給食で多かったのは言わずと知れた「脱脂粉乳」を溶かしたものだった。当時の製造方法によるものか溶けきれない部分もあったようだ。
 でも、私は好きだった。お代わりをしても好いほどに。嫌いだったという人もあり、妻もその一人だったようだ。飲んだふりをして捨てたという。罰当たりなことだ。
 ほかに、トマトジュース、キューブ状の干しリンゴ、味噌汁。味噌汁は父兄が作ったのかな。
 この給食が何年続いたのか分からない。
 ただ一度だけは白桃の缶詰が供されたことがあった。2つ割りが1個だった。甘いものに飢えていた時なので、シロップの甘さに飛び上がらんばかりだった。香りも良かった。シロップを一口飲んで止めてしまった。直ぐに思った。こんなおいしいものを一人で食べてはいけないと。弟や妹にも分けてやろうと。
 容器は取っ手の付いたアルマイトのコップだった。学校が引けるとそれを持って大事に大事にこぼさないように一歩一歩気を付けて家に帰った。無事持って帰って弟、妹に分けて食べさせることができた。
このコップは毎日持ち帰り、また翌朝に持参するものだった。
妹は大人になってもこのことを覚えていた。

 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。

 
ブログ10年記念焼き直し(8)  電気のありがたさ
平成20年10月7日(火)の焼き直し
 これは昭和20年代前半のことです。
  小学生のころ、電気事情が悪く、よく停電がありました。
 停電のときは夜は石油ランプを使いました。ランプの使用方法は一昔前の石油ストーブと同じで芯を出してマッチで火を付けました。あまり煤が出ないように芯を調節します。
 停電が夕ご飯のときは最悪でした。せっかくの夕ご飯が美味しなくなります。停電時間はどれくらいだったんでしょう。
 電気がぱっと点くと子供たちは一斉に上を見上げて「ああ」と喜びの声を上げました。
 翌日はランプのホヤ(火屋?)の掃除をしなければなりません。これは子供の仕事でした。
 ランプから火屋を外して、新聞紙をよく揉んで柔らかくしてホヤの内側に付いた煤をふき取りました。火屋は落としたら壊れてしまいます。気を付けました。
あの頃、電話、ラジオのほかに電気を使用するものに何があったろうか。
冷蔵庫は氷使用。こたつは炭、火鉢も炭、洗濯機はまだない。ストーブは薪。扇風機はまだない。蓄音機は手回し。時計はネジ巻き。お風呂も薪と亜炭。テレビ・電子レンジはない。
明かりはさすがに行灯はなかった。
電気を365日24時間、上の道具も電気でいつでも自由に使えるようになったのはいつからだろうか。どっぷり電気の恩恵に浴して、災害時にそのありがたを思い知らされます。
 そんなことを書いていたらふと思い出しました。小学校の3年か4年の時に買ってもらった雑誌「小学〇年生」の付録、発明・発見かるたに「山おくの一けんやにも赤々と電灯ともるはエジソンの力」
 
 今日もおいでいただき、
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ブログ10年記念焼き直し(7)
      財布を落とした。 帰れない。 
 平成20年10月4日(土)のブログの焼き直しです。
 
 これは昭和37(1962)年ころのことです。
 あっ。ない。新宿駅で帰りの切符を買おうとしたら、ん?財布がない。ない。ない。
 顔面蒼白、頭真っ白。へたり込みそう。どうしょう、どうしょう。もう暗くなっている。
 帰れない。帰れない。
 東京で知ってる人は居ない。いや、居る。ただ学生だ。学生は電話がない。
 交番へ行こうか、お金を借りに。でも、こんな輩が多くて、また借りても返さない恩知らずが多いため、貸さなくなったと聞く。
少し落ち着いてきた。さて、落とした可能性の一番高い場所に戻ろう。
新宿・末広亭で落語を聞いての帰りだった。末広亭に戻って木戸口で事情を話したら中に入れてくれた。どうか見つかりますように。落語家の話と話の間に腰かけていたと思われる辺りをお客さんに謝りながら暗い足元を一生懸命捜した。だめだ、ない、ない。
万事休す。泣きたくなって途方に暮れていると声を掛けてくれた人があった。顔を上げてみたら煎餅売りのおじさんだった。地獄で仏だった。何回か煎餅を買ったことがあったので、顔見知りになっていた。事情を話すと「いくらあれば帰れるの?」と聞いてくれた。「130円あれば」と答えると「じゃあ」と言って200円貸してくれた。
なんとありがたいことか。電車が津田沼まで100円、それからバスが30円だった。
あ〜、帰れる、帰れる。
お名前と住所をお伺いして、後日礼状とともにお返しした。
私としては寄席の中で煎餅を買うのはちょっとした贅沢だった。でも、それが幸いしたのだった。
寄席の入場料は300円くらいだった。

 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。

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あおぞら
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