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やはり、いつか東京に行ったとき、駅前のイタリヤ料理店に入り、スパゲッティを注文しました。一応、家で食べるときもフォークを出されるので、それを使って食べています。テレビでスパゲッティを食べる場面は幾度か見てはいます。
しかし、フォークにくるくる器用に巻くのが出来ないんです。なんであんなに巻けるのかなあ。
このときも、30代後半と思しき女性のグループがペチャクチャ賑やかにお話しをしながら、慣れた手つきでスパゲッティを食べていました。
「ナン」のときとは違ってうまく真似ることができませんでした。
「まねる」と「まなぶ」はもともとは同じなんだそうです。
カレーを西洋料理として、女学校で習ったという母が我々子どもたちに「何かのとき」に恥をかかないようにと、ナイフとフォークの使い方を教えてくれました。実践としてナイフとフォークとを使ってご飯を食べることがありました。もちろんご飯は西洋皿に盛られていました。
献立が何だったか覚えていません。ハンバーグが出ることはありません。そのようなものがこの世にあることさえ知りませんでした。もしかしたら肉が出たんでしょうか。あのころは今と違い、肉も
が非常に高かったんです。だったら、骨のない切り身の魚だったんでしょうか。それとも、母の得意なカキのフライだったんでしょうか。
いずれ、初めはご飯を食べ終わっても、使い方に気を取られていて、食べたような気がしませんでした。単に食事が終わったという感じでした。回数を重ねることによって、慣れてきて余裕が出て食べ物の味が分かり、満腹感も感じるようになりました。
話しはガラッと変わりまして、私は英語が苦手です。高校のとき赤点(試験で40点未満で不合格、要追試)を取ったのは英語だけでした。(他の科目が特に良かったわけではありませんが)
大学に入ってからも苦手は同じです。英語力の差は縮まりません。しかし、ドイツ語はみんなと出発点が同じなので、これはまあまあの成績でした。
1年生のとき同じクラスに、入試のとき外国語はドイツ語で受けたという学生が1人いました。顔を見れば、なるほどそうか、と思われる顔立ちでした。〈美男子でした)
英語ができないのが、悔しくて、国際共通語であるエスペラントをかじってみました。本屋で「エスペラント4週間」という本を売っていたので、これを買って始めました。エスペラントは、やっている人が少ないし、また、やっている人は同志です。日本エスペラント学会にも入会しました。機関紙に新入会者として名前が出ましたら、同じ大学の人から同好会を作ろうと誘われ、2人で活動しました。
大学の学長もエスぺランティストでしたので、協力していただきました。日本エスペラント学会に2人で行って直接会長に講演をお願いしました。
そして、予定の講演会が終わったら、なんと大学側が会食の準備をしていてくれました。私たち2人はそんな準備は思い付きませんでした。学長のありがたい計らいでしょうね。
私たちがお客さんのように一室に案内されました。そこにはテーブルの上に、皿に盛ったご飯とおかずが並べられていました。「えっ」といささか戸惑いを感じました。
初めて他人前(ひとまえ)でナイフとフォークで食事をしました。いささか緊張はしましたが、無事に美味しく食べられました。
これが、母が言っていた「何かとき」だったんですね。このときは、ほんとに母に感謝しました。
昭和38年(1963)の晩夏でした。
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