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昭和25,6(1950、51)年頃か、この町に パチンコ というものが 入ってきた。 娯楽が少ない時代なので、大いに 受け入れられた。 私が小学校の3,4年生の頃で、小さい町の中に 2,3軒 出来た。 台数は 20〜30台の 小さい パチンコ屋だ。 今のとは、見た目が 少し似ているだけで、かなり ちがう代物だ。 もっとも 今のパチンコは 私は よく知らない。 当時の パチンコ、玉代は いくらだったんだろうか。 1個 1円かな、2円かな。 物価水準がまるっきり違うからねえ。 1日働いて200円〜300円なのかなあ。 日雇い労働者の別名に「にこよん」なんて言葉があった。1こが100円、よんは4、即ち240円。 1日働いて240円。 パチンコ台の 右脇の 穴から、手で 1個ずつ 入れて、右手で 弾くんだ。 玉を入れる穴が 右にあって 高さは 肩くらいかな。、弾くハンドルも 右にある、ということは、玉を1個入れて、弾いて、また1個入れて弾く、という 仕掛けなんだね。 1個ずつ 入れて、ゆっくり 楽しめる。 馴れれば、早くも できるように なる。 即ち、左手を右に伸ばして、左手で玉を入れて、右手で弾くんだ。 1番下の穴に入れば、その玉は ダメなわけだが、途中の 穴に入れば、手元の 受け皿に 玉が返ってくる。 途中の穴に 結構 入り易い。 しかし、入り易いが、返ってくる玉は 2個とか 3個 なんだ。 単純に 「 遊んでる 」 場合には、それで良いんだが、それで 飽き足らない人が 多くなったのか、「 オール15 」 という機械が 出現した。 入りにくくなったが、どこでも 入れば、15個 返って くる。 勝つも 負けるも、勝負が 早くなった。 長男が 幼稚園の時 ( 昭和49年か )、連れて行って 遊ばせたたことが ある。 このときも、まだ手で弾いていた。 いつからか、玉を 手で入れなくても 自動で、出てきて、弾くのではなく、つまみを 回すように なった。 この頃になると、「 弾いて 遊ぶ 」、というのではなく、「 勝つ 」、「 負ける 」というものに なった。 お読みいただき、ありがとうございます。
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2009年12月11日
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