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特養の勤務 シリーズ 142 送別会
向かって右の若い寮母
あの頃は 「 寮母 」 という言い方でした。 介護は 女性の仕事でした。 男性が進出してきましたが、まだ少数ですので、「 寮母 (寮夫を含む) 」、 文章を作るときは、 こんな表現でした。
ですので、男性が圧倒的に少なく、ときには こんな写真も ありました。 前列中央が あおぞら です。
昭和時代は、施設によっては、寮夫 ( 寮父 ) が 1人も 居ないという 施設も ごく普通だったようです。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。 用語は 当時のものを 使用しています。 私は既に 退職しています。 ご覧いただき、ありがとうございます。 これは新バージョンの練習用に載せてみました。 |
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2010年03月21日
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特養に勤務していると、色んなことを やります、と言うか、やらされますと 言うか。 運動会。 雨のため室内でした。 いつかの室内の 運動会とは 場所が違っています。 応援団の 白組の リーダーに なりました。 赤組のリーダーが 「 恵比寿様 」 の 扮装をすると言い出しました。 そうすると、釣り合い上、私は 「 大黒様 」 と いうことになります。 彼女は それらしい扮装の衣装が あったらしいのです。 私は白組のリーダーですので、分りやすく、オリジナルで 白尽くめに することに しました。 選手 宣誓 帽子は 入居者用の 枕カバー 袋状に なっている。 上着は おむつ交換用の 予防衣 背負った袋は シーツ 何枚かを 包んだシーツ 膝に当ててるのは、俵に乗ってる、つもり 誰かに 作ってもらった。 ひげも描いてもらった。 こんなんで、いかがでしょうか。 雰囲気 出てますか。 これも 別の年の運動会 オヨネーズの「 麦畑 」 という歌が 流行った頃です。 紅白が リレーで それぞれ 男、女に 衣類を 着せる競技です。 着せられ終わって、皆さんに 挨拶?して 戻るところです。 こういうことでもないと、女性と 腕を組むことも ありませんね。 いつかの誕生会ときの アトラクション 何を やってるんでしょうか。 安来節のように 見えませんか。 誰に教わったのか、記憶にありません。 やった記憶は微かに 太めですね。減量前のようです。 減量前は67、8キロありましたよ。 今はそれより 10キロほど 少ないです。 リバウンドしないように 気を付けてます。 この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。
私は既に 退職しています 。
ご覧いただき、ありがとうございます。
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