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特養の勤務シリーズ 149 外国人寮母
きつい、汚い、臭い、そして給料が安い、ということで、介護の仕事に就く人は大分減ってしまったようです。
介護福祉士養成校に入る高校卒業生も少なくなり、またそこを卒業しても他の仕事に就いてしまう人も多いといいます。
この養成校を卒業すると 介護福祉士の資格が得られます。 政府ではインドネシアから、介護の仕事に就く人を受け入れました。 現地で日本語を学んできたそうです。 こちらの施設で、3年間介護の仕事をして、介護福祉士の受験資格を得て、受験します。
3年後、受験1回で合格しないと、帰国させられることになっています。
介護経験3年で受験資格を得られるのは、これは日本人でも同じです。
私も3年の勤務実績に基づいて 受験しました。
第1回目でしたので、傾向と対策が分からず、苦労しました。
でも、筆記試験は 無事合格しました。
介護福祉士の資格は介護福祉士養成校を卒業する方法と受験資格を得て試験に合格する方法があります。
ところで、
現在、介護現場で働いている人に対する給与面でも 政府は多少考え直してきているようです。 じいばあ園でも人員的にきつくなり、行事は大分減り、
今は、運動会なし。 文化祭なし。 誕生会なし とのことです。
まあ、夏祭り、敬老会、忘年会は残っているようですが。
そして、有給休暇もなかなか取れないとのことです。
私が勤務していた頃は、有給休暇も普通に取ることが出来ました。
給与が改善されて良き人材が集まれば良いですね。
さて、じいばあ園にフィリピン出身の女性が寮母として働いていたことがあります。 地元の男性と結婚して住んでいました。
母国では看護婦だったそうです。
彼女は会話には不自由しませんが、読み書きができませんでした。
仕事を覚えても、自立して仕事をしてもらうことができません。
介護は記録をしなければなりません。
誰がどうした、こうしたと、書くことができないので、誰か寮母に付いて、仕事をしなければなりませんでした。
日勤が何人と決まっていても、彼女を1人と勘定できません。
洗濯当番なら、良いかと思っても衣類に 書かれた 名前が読めない ので、配達が出来ません。
私達はなかなか彼女を生かし切れませんでした。
今、インドネシアから来て、受験に備えている人も 読み書きに苦労 してるようです。
それと、入居者との会話で、地方語にも苦労してるようです。
向こうでは共通語しか勉強してこなかったでしょうから。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。 用語は 当時のものを 使用しています 。 私は既に 退職しています 。 お読みいただき、 ありがとうございます 。 |
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2010年05月09日
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