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特養の勤務シリーズ 文集から(4) 重い石を背負いて
じいばあ園では入居者の生活の聞き取り集を作ってました。
寮母が聞き取りをし、第14集まで作りました。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 家族がこんなことは聞いたことがなかった、なんてこともありました。 お話が出来なくなったかたの分は子どもさんから聞いたりしました。 この方は、じいばあ園に入所した頃は、車椅子を自分で操行していました。
私は、山間部で、大正9年に、7人兄弟の4番目として生を受けました。 そして、昭和17年に結婚しました。 戦時中は出征した夫の留守を舅、姑、義妹等をともに守りました。 戦後、戦地から帰った夫とともに田畑の耕作、開墾と自然を相手の戦いに精を出しました。 二男、三男、長女と4人の子宝に恵まれ、貧しいながらも充実した日々を過ごしました。 3人の息子たちもそれぞれ就職し、やっと一息という折りに、夫と長男が入院してしまいました。 退院後、長男は職に復帰しましたが、夫は無理の出来ない体となりました。 そのため、私が一人で田畑を耕し、一家の生計を立てていました。 そして、苦労の末、家と納屋を新築しました。 しかし、その喜びも束の間で、田んぼの畔を直しに行った夫はその無理がたたり、昭和50年に帰らぬ人となりました。 周りの人にも支えられ、なんとか人並みの作物を作れるようになり、近隣の人とお茶を飲んだり、旅行も出来るようになりました。
さらにゲートボールの仲間にも入れてもらい、楽しみが1つ増えました。 昭和63年のこと、米の出荷を終えて、こ日も楽しみにしていたゲートボール会場へと いそいそと出かけました。
しかし、急に気分が悪くなり、救急車で病院に運ばれるという事態になってしまいました。 「くも膜下出血」 ということで翌日手術を受けました。
手術後は持ち前の頑張りで、懸命にリハビリに励む毎日でした。 その折りも折り、なんと長男が同じ病院に入院して来るという不幸に見舞われました。
平成2年、病院で長男に先立たれました。 リハビリの成果が上がったとは言え、右半身不随 という状態でした。
私は失意の中、同じ年に1年半の闘病生活の末、退院しました。
そして、退院後は じいばあ園 のお世話になりました。
「人生は重い石を背負いて長い坂を登るが如し」とか。 母の人生もそのような感じです。 以上は3男のかたの文章に、本人の話を付け加えたものです。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
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