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あるんですね。
もう抜けてもいいような歯もよく磨けてると言われた歯なんです。 左上の奥歯。
このごろ、動きが大きく、また噛むこともできません。
噛むと痛いんです。
やむなく、抜く決心をして歯科医に抜歯の予約をしました。
早くて15日とのことでした。
ま、何もしなければ痛いわけでもありません。
昨晩の夕ご飯のとき、いつもより噛みにくい感じがしました。
昨夜、歯を磨こうとしたら、いつもと違って痛いんです。
舌でちょっと動かしただけでも痛いんです。
その歯は磨けませんでした。
夜、ふと目覚めました。でも、目はつぶったままです。
舌が動きました。
歯が痛くありません。
ん? 意識してあの歯のところに舌をやりました。
ない! 無い! 痛くない! 歯が無い!
そこが少しくぼんでいます。
痛くもなんともありません。
で、歯は?
口の中には? ありません。
無意識に飲み込んだのでしょうか。
それならそれでもいいのですが。
一応、枕の辺りを手探りしたら、すぐそれらしいものが手に触れました。
ありました。
やっと目を開け、時計を見ましたら3時半でした。
早朝抜けた歯
長いことお世話になりました。
歯科医には15日には行きます。
次に義歯のこともありますので。
あるんですねえ。 こんなことも。
こんなことにお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
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2010年12月12日
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特養の勤務シリーズ176
文集から(18) 悪夢のような
じいばあ園では入居者の生活の聞き取り文集を作ってました。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
昭和20年8月9日、午前7時45分ころ、突然空襲警報のサイレンが鳴った。
朝ご飯を食べ終わってラジオを聴いていたが、爆音が聞こえてきたのだ。 雲の切れ間よりチラリチラリと見える。
敵の飛行機か、日本の飛行機か。分からないが15機だった。 友だち同士でガヤガヤ騒ぎながら見ていると、駅から5キロほどのところで、先頭の飛行機が翼を振った。
それを合図に急降下を始めた。急降下しながら機銃掃射や爆弾を投下して攻撃してきた。 まもなく、兄嫁が肩から背中に掛けて爆弾の破片を受けて即死したとの知らせがあった。 兄嫁は早朝に草刈に行った父の代わりに松根油の採集場に作業員として行ったのだった。 父が出かけた後に班長から各戸1人出るようにと連絡があり、父の代わりに出たのだった。 その日は従兄弟も機銃の直撃を受けて即死した。 他にも民間人、兵隊が数人亡くなったという。 隣の地区では2軒全焼したという。 翌日10日も夕方も機銃掃射があった。 その夕方に兄嫁、従兄弟の葬儀がひっそりと執り行われた。 寂しさがこみ上げてくるのを今でも覚えている。 そんなときに古老が言っていた。
「敵もこっちまで来るようになっては、もう戦争も終わりだなあ」と。 そして、予想は当たり5日後の15日に終戦となった。 このとき私は14歳だった。 あの戦争で兄達は戦争に行き、一人は硫黄島で戦死。
もう一人はニューギニアから生きて帰ってきたがその後、急性白血病で亡くなった。 その後、優しかった母は子宮がんで亡くなり、またさらにその後原因不明の火災で家が全焼してしまうなど不幸なことが多かった。
私は悪夢のような日々を乗り越え、父、母、兄弟に見守られて元気で暮らせる幸福に感謝しながら、早くなくなった人の分まで長生きしていけたらと思っています。
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この人自身も先天性と思われる身障者でした。でも理知的で穏やかで、あおぞらは彼が好きでした。 最期は舌癌で、入院先の医大病院で亡くなりました。 入院中は60キロほど離れた病院でしたが、2度見舞いに訪れたことがあります。(1度はA子さんも一緒でした) ご覧いただき、ありがとうございます。
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