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我が家のすぐそばの小学校が移転します。
あおぞらの母校です。
あおぞらの母校は、場所はここですが、校舎は現校舎ではなく、木造の校舎でした。 全校児童数は1,200人ほどでした。 それが50数年前に火事で全焼してしまったんです。 2週間ほど前、新校舎の見学会があり、参加しました。 今度の新校舎は色いろな設備、調理室、理科室にはガスも使用できます。
保健室には失禁した児童のためのシャワー室もありました。 、音楽室は合唱用に段差がありました。 当たり前のことながら、おあぞらのころには信じられないことでした。 児童数を伺いましたら、650人とのことでした。 これも信じられないことでした。児童数の激減です。 もちろん、図書室もあります。 でも、書架には1冊の本もありませんでした。 そして、案内の教育委員会の人は言いました。 図書室の本は校舎移転の参加意識を持ってもらうために児童に運んでもらうことになっていますと。 その後のある日、1クラスと思われる30人ほどの児童がランドセルを背負って、先生に引率されて下校方向に 進んでいました。
ランドセルを背負って遠足でもないだろうし、どこか見学にでも?と思っていました。 ところが、それが図書の引っ越しだったんだそうで、 ランドセルには7〜10冊の本が入っていたそうです。 そうそう。あれからもう64年にもなるんです。 そこは警察の武徳殿(柔道、剣道の稽古場)でした。それを幼稚園の園舎として借りていました。
武徳殿ですから、園庭はありません。 園舎内にあったものは滑り台と何年使ったか分からないような大きくて角が丸くなった積み木でした。 この幼稚園は大正14年設立ですので、その時のものでしょうか。
楽器はなかったように思います。あ、オルガンが1台ありました。
オルガンの姿は浮かんできませんが、ある歌のメロディーが浮かんできます。
そして新園舎が出来上がったのです。年度途中です。 80人ほどの園児は椅子を1つずつ持って、1Kmほど歩いて新園舎に引っ越しました。 昭和22(1947)年のことです。 これは園児に移転の参加意識を持たせるというより実利的な移転費用の節減だったんでしょうね。
自動車もあまりなかったころですから。 写真屋さんがフラッシュをボ〜ンと焚いたのを覚えています。
A子さんはこの日、休んだので、入っていません。
今日もおいでいただきありがとうございます。
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2012年03月23日
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