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明治45年と
大正2年の正月の挨拶の違い
明治45年1月1日付け
恭賀新年 恭賀新禧 賀正
お役所単位でも挨拶を乗せています。
名前が面白いです。 下の1字が「郎」が多いです。助、治も多いです 以上は明治45年正月の何の変哲も新年の
挨拶です。
次は翌年です。
大正2年1月1日付け
諒闇中ニ付歳末年始欠礼 加藤甚太夫
御諒闇中新年の礼を欠く 宮本和合
諒闇中に付歳末年始の礼を欠く 今出栄吉
諒闇中年始の礼を欠き申候 菊平旅館
諒闇という言葉を使っています。
前年の年賀と異なり「賀」とか「禧(き、めでたい)」とかのお祝いの 字ががありません。
明治天皇は明治45年7月30日に崩御されました。
そして改元されて大正になりました。7月31日から大正元年です。
明けての正月は大正2年の正月になります。
大正元年の正月というのはありません。
「諒闇(りょうあん)」 私は初めて出会った言葉です。 天子が父母の喪に服する期間。その期間は1年と定められ、
国民も服喪した。(広辞苑)
明治45年7月31日付け 全ページ黒枠です。 あゝ。我等六千万同胞か、日夜熱誠に熱誠を凝らし、以て御大患の 御平癒を天地神明に祈願せるに、其の甲斐なく、
我か
天皇陛下には、崩御遊はせらる、恐懼戦慄、情せまり胸塞かり、涕涙滂〇言ふ所を知らず。
下段の公報にはルビがありません。
今三十日午前0時四十三分心臓麻痺により崩御遊はさる誠に恐 懼(きょうく)に堪へず岡、青山、三浦以下各侍医拝診
今崩御あらせらる 皇太子直ちに践祚(せんそ、皇位を継ぐこと) 帝位に即(つ)かせらる
元号制定 明治四十五年七月三十一日以後を以て年号を『大正』と改めらる 其出処を尋むれは公羊伝に君主大居正、易経(えききょう、仏教のお経ではない)に曰(いわく)大亨以正天道也に起原せるものなりと この新聞は明治45年7月31日付けです。
7月30日から大正です。郵便局では新聞の情報では遅いです。
郵便局には電報が発せられ、2年7月30日に日付印が変更され
たそうです。
(大きい声では言えませんが、混乱を避けるため予め準備させておいた
んでしょうね。)
電報は片仮名です。「タイセウノタイハダイセウノダイ、セウハタ
ダシトイフジ」(大正の大は大小の大、正は正しという字)というふ
うだったとか。
つまらないお話で申し訳ありません。
それにもかかわらず、お読みいただきありがとうございます。
こんなキノコ
昨日の状態 同じもの 角度をかえただけです
裏はこのよう。
今朝見たらこんな状態です。
以前ここに生えたキノコはもっと大きく、もっと黄色みがありました。 ブログに載せて、どなたかに名前を教えていただきました。
前のとはちがうキノコのようです。
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