|
二人の大谷 翔平と刑部吉継
高校卒業時点からアメリカでの活動を希望していました。
国内で地固めをしてついに米大リーグへ挑戦。
わが市 出身の大谷選手
応援してます。 先日岩谷堂城顕彰会と岩谷堂地区振興会の共催で岩谷堂城址の散策会がありました。
隣りの地区は南部(盛岡)領になりますので、
ここは仙台領の北辺になります。
右中段に水堀とありますが、現在も残っていて、下の写真です。 二の丸跡
岩谷堂高校のグランドになっていましたが、高校が移転した
ので、空き地になっています。
明治2年の状態のようです。
一国一城令により正式には陣屋ということになるのでしょう。
明治2年に明治政府に明け渡しをしました。 ただ、その主はその後、政府に申請して、払い下げを受けました。
本丸跡 本丸跡の大銀杏 ところで、大谷刑部少輔吉継との関係は何?
こんな北の地方で何があったのか。
秀吉の全国統一の最後の戦いは現二戸市にある九戸城の九戸政実の乱で奥州再仕置きと呼ばれるものだったという。
その際に大谷は岩手県まで来ましたが、九戸城には行かず岩谷堂城に留まり、岩谷堂城を修復しました。
そして岩谷堂城は伊達政宗に遣わされました。
というわけで、2人の大谷のお話しでした。
今日もおいでいただき、
ありがとうございます。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2017年11月13日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




