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日本人では野茂英雄、佐々木主浩、イチローに続き17年ぶり4人目の快挙となりました。
投手としての復活を祈ってます。
今日もおいでいただき、
ありがとうございます。
(大谷選手はわが市の出身です。)
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日本人では野茂英雄、佐々木主浩、イチローに続き17年ぶり4人目の快挙となりました。
投手としての復活を祈ってます。
今日もおいでいただき、
ありがとうございます。
(大谷選手はわが市の出身です。)
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ブログ10年記念焼き直し(20) 平成20年10月16日 昭和20年代前半の田舎の小学校(1) 私は昭和23(1948)年4月に「小学校」に入りました。戦後なので今の小学校と基本的には同じだと思います。 少し前の学年の子どもは「国民学校」と行ったそうです。かの有名な墨塗りの教科書を使ったんでしょう。 教育勅語は聞きませんでした。 私のころは少し落ち着いて、ま、普通の教科書でした。 校舎は当然木造で2階建てでした。児童数は1200人ほどで、離れた地域の子どもには分校が3か所で、3年生、4年生になると本校への通学となります。 服装は一年生から一応洋服(単に和服ではないということ)で和服で来る子はいませんでした。2,3年前まではいたようです。そしてそのころは未就学の弟や妹を連れて来る子もあったらしいです。それでも学校に行かせてもらえばいいのです。 ランドセルはどうだったでしょうか。少なかったかもしれません。あおぞらは母の実家が文房具店でランドセルもあったらしい。それで皮ではないがランドセルを背負わされてもらいました。 一年生の時、「ひらがな」を先に習いました。3年上の子は「カタカナ」が先でした。 「みんないいこ。おはなをかざる。みんないいこ」これが一年生の最初だったのかなあ。 判然としません。 算数の教科書には足し算は2+3= のようには書いてありませんでした。 2と3は と書いてありました。 ほかの教科書はどんなだったか理科も社会も全然覚えていません。音楽と言えば歌うことと児童が使う楽器はカスタネットだけでした。先生にはオルガンがありました。 教科書は毎年同じものを使用するので、新しいのを買わないで上級生のを譲ってもらって使うこともありました。 続く 今日もおいでいただき、
ありがとうございます。
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ブログ10年記念焼き直し(19) 平成20年11月12日のブログ 中学生3年生の職場実習 これは昭和31(1956)年の夏休みでのことです。
あのころは中学校を卒業して、そのまま就職する人が多かったんです。金の卵だって。もてはやされて。 そのような時代ですのでした。 職場実習というのが夏休みの期間に1週間ありました。もちろん希望者だけで、職種も希望です。 私は事務系ではなく、工業系を希望しました。ところがそのころ街には工場らしいものがありませんでした。 それぞれが町役場、運送会社、パン屋やお菓子、農協などに行きました。 私ともう1人クラスの仲間と自転車屋に行くことにしました。最初は先生に連れられて行きました。 朝、出勤(?)して挨拶のあと、仕事の手伝いをするわけですが、自転車が1日に1台売れるわけでもありませんでした。並べてある自転車を磨いたり、分解掃除のため自転車をばらしたり、パンクの修理を手伝いました。 そっちを上げて。これを拭いて。2人で、はい。はい。 パンク修理はチューブをタイヤとリムから外して、その状態で一度空気を入れてみる。そして浅い桶に汲んだ水の中にチューブを少しずつ回しながら入れて、空気の泡が出てくる場所を見つけます。そこがパンクしている場所ということです。 見つかったらそこに印を付けて、布で拭いて、乾かします。 修理部分が乾いたら、そこをヤスリで磨っておきます。またそこを覆うゴム板も同様に磨っておきます。この両方に専用のゴム糊をきれいに薄く塗ります。少し時間をおいてから両方をぴったり合わせて、ヘラでコリコリやって密着させます。 落ち着いたら、元のようにタイヤとリムにセットして、空気を入れて、終了をなります。 ただ、1度だけですが、これで終了にならなかったんです。それはパンク個所がもう1か所あったのでした。また空気が抜けてしまいました。残念やり直し。
あ、そうだ。エンジン付きの自転車か、バイクがあったんだなあ。メーターが付いているものがあった。 お昼はお弁当を持って行き、居間にあげてもらい、店の人と一緒に食べました。お弁当は楽しいが、店の人と一緒なので、ちょっと緊張してお茶をこぼしてしまったことがありました。
実習期間が終わり、最後の日に夏の下着のシャツを2枚頂戴しました。 さしたることもしないで、役にも立たないで、もしかしたら邪魔だったろうに。全く恐縮なことです。
その自転車屋はまだそこに店があります。当時のご主人はとうになくなり息子さん夫婦がやっています。
平成30年11月現在もそこの自転車屋さんは健在です。 その時のクラスメイトは昨年亡くなりました。
今日もおいでいただき、 ありがとうございます。
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