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  図書館で古い岩手日報をマイクロフィルムで見ています。
  マイクロフィルムと言ってもカメラのネガの長いものと同じ状態です。
  フィルムをリールに巻いてあります。ブラウン管のテレビのような画面に映 して見ます。
  1日分が日刊4ページ、夕刊4ページ計8ページです。
  これを数か月分見ます。
  自分の捜してる記事がなさそうなページはよく見ないで、次のページに移
 ります。
  目的以外でふと目に付いたものをプリントして、ここで紹介しています。
 
 
  今はありませんよね。こんな新聞。
   今こんな新聞発行したら大変なブーイングが起こるでしょうね。
 
                 明治44年9月14日
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1面が広告 
候補者推薦広告 選挙
他の記事もニュースではありません。
 
 
              大正2年4月9日
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             大正9年10月10月20日イメージ 2
広告収入が大事とはいえ、なにも1面でなくとも良さそうに思います。
 でも、予め印刷しておけるので、処理しやすいのでしょうか。
 
 
大正11年8月20日
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全面広告
         この時期 何年かは毎日がこんな状態です。
 
 
                  大正2年10月17日
 
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              大正3年4月15日 
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 新聞用紙が折れていたり、しわがあったりした紙に印刷した場合
     印刷してから紙を伸ばすと印刷面がこんな状態。
 
             昭和14年4月17日
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                空白部分がある。
 
                          昭和14年4月19日
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                               空白部分がある。
  新聞社の都合なのか、軍関係の統制によるものか。
  このころは日支事変で中国と戦争中

      今日もお寄りいただき、ありがとうございます。
 
   死亡保険受領広告
 
今朝NHKの番組あさいちで死亡保険の事をやってました。
せっかく入っていた保険なのに夫が死亡して保険金が受け取れなかった、とかの事例を。
 
  さて、おなじみになってきました昔の新聞記事などに保険金を受け 取ったという広告がありました。
  もちろん受け取った人も地元の人で実名・事実のことでしょう。
 
  生命保険に入ってるとこのような大金を受け取ることができますよという
 保険会社の宣伝になります。
  受取人の許可を得て保険会社または代理店で出した広告でしょう。
 
  受け取った本人はこんな広告は必要ないでしょう。
  むしろ、伏しておきたいところでしょう。
 
 
    明治45年5月28日付け 岩手日報
 
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   保険金受領広告
  父善八儀兼テ福寿生命保険株式会社ヘ保険契約致  居候今回死亡ニ付金千円也同会社代理店盛岡市馬町村  井三治殿ノ手ヲ経テ正ニ領収仕候ニ付キ同社ノ確実ナルヲ  広告候ナリ
    盛岡市仙北町小笠原善十郎
 
 
 
大正2年6月10日付け 岩手日報
 
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広       告
一 保険金壱千円也
     岩手県東磐井郡興田村沖田字八日町六番地
             亡  及 川 ク マ
   右者明治四十三年十二月二十一日富士生命保険
 会社ト契約致居候処今回死亡ニ付キ前記金額おきた代理店
  伊東小一郎殿ヲ経テ速ニ払渡相成候人生ハ朝露ノ如ク生死ハ予
  メ側ルベカラス今回ノ不幸ニ際シ生命保険ノ必要ヲ深ク感得スル
  ト共ニ仝社ノ堅実ニシテ支払迅速ナルヲ確認シ茲ニ江湖
  ニ推奨候也
          六月二日
  保険金受取人 及川正之助
 
 
 
  「人生ハ朝露ノ如ク生死ハ予メ側ルベカラス」
  「生命保険ノ必要ヲ深ク感得スル」
  「茲ニ江湖ニ推奨候也」
 これは全く保険の宣伝ですよね。
 あおぞら注:「側ル」は「測ル(はかる)」の誤植と思う。
        :江湖は 世の中。世間
 
 今日もおいでいただき、ありがとうございます。
 

行き倒れ

行き倒れ
 
      大正元年9月22日付け 岩手日報
 
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    乃木将軍(乃木希典)は明治天皇7月30日崩御のあと、
    大正元年9月13日に夫人とともに殉死しました。
 
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                      公   告
              及川ワキ
 齢七十年位体格瘠タル方 〇身丈四尺六寸〇頭髪白髪交リ
 〇顔色青キ方 〇口耳並眼ハ半目ニシテ前歯欠ケ 〇着衣破損襦
  袢二枚〇所持品襦袢一枚 〇(乞食)
 右本月九日ヨリ行旅病人トシテ救護中の処本月十九日衣川村大字 下衣川字渕端に於テ病死 候ニ付仮埋葬取計置候条心当たリノ者  ハ当役場へ申出ツヘシ
 
    大正元年九月弐拾日
                衣川村役場
 
 
 
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         公示催告
  不在者 小野寺惣左衛門
                     明治十三年九月一日生
 利害関係人小野寺登ヨリ失踪宣告の申立ヲ為シタルニ因リ不在者ハ大正四年十二月二十日午前九時ノ期日マテニ当裁判所ニ生存ノ届出ヲ為スヘク若シ其届出ヲ為サザルトキハ失踪の宣告ヲ受クヘシ
 不在者ノ生死ヲ知ルモノハ右期日マテニ其届出ヲ為スヘシ
             関区裁判所
 
 
 
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         公  告
             氏名不詳男一人
 齢三十五六年〇体格肥エタル方〇身丈四尺九寸〇顏丸色白キ方
 〇頭髪濃黒五分刈前少長シ〇口耳並鼻低キ方〇鼻下ニ八分位髯ヲ貯フ
 〇特徴前上歯弐枚蝕〇着本紺木綿単衣印半天二枚但シ一枚ハ背ニ丸ヱ
 襟ニ青木ト記シ一枚ハ綾菊襟ニ竹木ト記〇紺茶縦縞地織木綿単衣シャッチ一枚〇紺木綿縮八尺帯一筋〇晒白八尺褌一筋〇目倉地袷股引壱足〇藁製「ハバキヲ」穿チ〇死後四五拾日間ヲ経過シタルモノト推定〇
 
 右五月十八日本村大字小本字小掛ト称スル小本川岸ニ漂着候ニ付仮埋葬取計候条心当ノ者ハ当役場ヘ申出ヘシ
         下閉伊郡小本村役場
 
 あおぞら注 : 「ハバキヲ」 は 「ハバキ」ヲ の誤植であろう。
          「はばき」とは昔、旅などの時に脛に巻きつけたりしたもの。
          脚絆のようなもの。
          当地では旅行後の会食を「はばき脱ぎ」という。
          旅行が終わったので「ハバキ」を脱ぐということらしいです。
 
     このような行き倒れの公告は時々見かけます。
 
   行き倒れなどは警察ではなく役場で処理したようです。
 
      当時は保健所がないので、今は保健所で扱うような
        病気、牛乳、理髪店などは警察の管轄でした。
 
       今日もおいでいただき、ありがとうございます。
 
 
盛岡銀行 明治44年5月7日付け岩手日報
           本日新築落成式挙行の盛岡銀行
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 この建物はどこかの駅の建物に似てませんか。
 辰野金吾の設計です。と言えば分る人がいるかもしれません。
 そうですね。東京駅です。
 東京駅は昨年10月に復元開業しました。
 
 この建物は明治44年5月に落成式を迎えました。
 当時盛岡銀行の建物として建設されました。
 現在は岩手銀行の所有で近年まで「岩手銀行中の橋支店」として使用されてました。 (
盛岡銀行が単に岩手銀行と改名したという単純なものでは有りません)
 東京駅はこれより遅く大正3年12月の開業となっています。
 両方とも辰野金吾が設計したものです。
 赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは特徴的です。
 
 
 

 
  歌舞伎座 大正14年1月7日付け岩手日報
           新装の歌舞伎座
 
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 東京の歌舞伎座が過般完成しました。 
 
 新装の
  歌舞伎座見物
   東京にて  北畠記者
 新装のなった歌舞伎座は四日開場式を行ひ、六日から華々しく初日の蓋をあけたが四日午後三時からの開場式には東京の知名の人々、実業家、外国大使、俳優、作家、後援者、各夫人等やく四千人といふ人々を招待した、さなきだに通りの狭い木挽町は是等 りかける自動車やでこむことお話にならない、
               △
 建築は日本様式で最も困難といはれてゐる鉄骨鉄筋コンクリートの構造である、外郭は奈良朝時代の 雅壮麗なる趣きと桃山時代の豪宏なる味はいとを一処にしてその特徴を十分に発揮したものでその壮大な風姿は復興の帝都第一の美観である、震災後の帝都における日本建築の貴重なる代表物といふべきものである、
                   
 あおぞら注:この建物は第三期の建物と言われるもので、東京大空襲で焼失したという。
 そして戦後再建(第4期)し、このたび落成したのは第五期の建物というそうです。
  俥(くるま) : 人力車です。
  さなきだに : そうでなくとも      (私は初めて出あった言葉でした)
 
      今日もおいでいただき、ありがとうございます。
    

こんな広告 縦・横

こんな広告 
縦に組んだり、横に組んだり
 
 
 明治44年11月22日 (廿を使用している)
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      関連広告で縦・横
 
 
                       大正2年12月14日
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                   金儲けの広告もあります。
 
 
 
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 ↑ 列車時刻表 広告主の希望なのか、単にスペースの都合なのか
      頭 左
 死亡広告 亡くなったのは2日で葬儀は14日、このころ死亡広告を出すのは大きな家柄だったのでしょう。それで準備に時間が掛かったのかも。
  当時は土葬だったでしょう。
 
 
                       大正4年4月17日
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     格好を付けて亀の子文字(?)で題字を表記している。
   The Iwate Nippo と書いてあるんでしょう。当然、左書きです。
   でも、当時読める人は少なかったと思われます。 
 
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                   飾り文字
 
        
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   隙間に枠をはめ込んだような感じです。
                            頭 右
 
  当時の新聞広告には、こんなこともあったという事を紹介しました。
 
 
       今日もおいでいただき、ありがとうございます。
 

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