岩手県出身の人(5)後藤新平
現奥州市水沢区生まれ
福島県須賀川医学校卒業。ドイツに私費留学。24歳で愛知病院院長。
帰国後衛生局長を経て、明治31(1898)年、台湾総督府民政長官。
新渡戸稲造と共に製糖業振興に尽力。
大正9(1920)年、東京市長に当選
水沢町に読売新聞正力社長から寄付された故後藤伯記念館は巨費を投じ東京清水組の手に依って鋭意工事を急いでゐたが近く竣工を遂げ十一月三日の明治節を卜して盛大な落成式を挙げることとなった。
当日は読売新聞正力社長が参列、式後公民館の贈呈式並に祝賀会等も催される。 ・ ・ ・ ・
日本初の公民館 正力松太郎氏から寄贈された公民館
正力氏が新聞事業を始める時に後藤が資金援助をしたことの報恩とのこと。
この裏に後藤新平記念館がある。
中にこんなことが
中学校のとき、いつも学校新聞に書いてありました。
後藤新平の言葉ということは聞いていました。
記念館内部
東京市長退任後、関東大震災が起き、帝都復興院総裁になりました。
昭和通りは関東大震災の復興事業として計画、建設された道路である。当時東京市市長だった後藤新平の原案では道幅を108メートルとするものであったが、広い道路の重要性が当時は受け入れられず、結果現在の道幅に狭められ1928年(昭和3年)に完成した。
(ウィキペディアより)
いつでも構想が大きすぎるので、「大風呂敷」と言われたとか。
ここと前回の斎藤実旧宅とは100数十メートルの距離。
1歳違いでともに切磋琢磨した仲。
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