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岩手県出身の人(4) 2.26事件で暗殺された斎藤実
齊藤実は岩手県奥州市の出身で、岩手県では原敬(第19代)に
次いで2人目の首相(第30代)です。
以下の新聞は図書館のマイクロフィルムからのものです。
昭和7(1932)年5月22日発行 岩手日報号外
首相は国会議員が選ぶんではないんですね。
昭和7年5月23日付け
大蔵大臣 高橋是清
昭和7年5月27日付け
斎藤内閣は昭和9年7月3日までです。
昭和11(1936)年2月27日付け
2月26日に事件が起きた。
記念館内には 春子夫人の血に染まった衣類の展示品もあります。
春子夫人は昭和46年まで存命で、99歳の天寿を全うしました。 ← 夫妻銅像
館内には膨大な図書があり、朝鮮総督を務めたこともあるので、
朝鮮に関するものがかなり多かった。
旧家
斎藤実の墓
正面は斎藤実のお墓ではありません。
途中に原田甲斐の妻の墓がありました。
原田甲斐なんて知りませんよね。
随分前に「モミの木は残った」というドラマがありました。
その時の主人公です。
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岩手県の人
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岩手県出身の人(3) 平民宰相 原敬(はら たかし)
第19代の首相で、初めての政党内閣を作った。
岩手県盛岡市出身 党は立憲政友会です。
大正7年9月27日付け 岩手日報
この頃は首相は議員が選挙で選ぶのではなかったようです。
「平民宰相」とあります。
「白河以北一山百文」(しらかわ いほく ひとやま ひゃくもん」という
言葉を聞いたことがありますか。
明治維新の戦争で、賊軍となった東北地方は無価値と中央政府から さげすまされました。
原敬はそれを逆手に取って号を「一山(いちざん)」としたそうです。
大蔵大臣は高橋是清です。
高橋是清は岩手県出身の人ではありませんが、
このコーナーであとでもう一度出てきます。
黄檗宗大慈寺 この辺は大慈寺町で、
向かいに大慈寺小学校がありました。
山 門
墓 所
お墓は大きいものではありません。
大きい墓は作らないように遺言したのでしょうか。
ある説で、原が爵位を受けなかった理由は
1.藩閥政府から授与されるのを嫌った。
2.衆議院議員で居たかったから。
3.自分の代はともかく、爵位を受けたことによって
子孫の負担になるおそれがあるから。
と、いうようなことを書いたものを何かで見ました。
菩提寺
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岩手県出身の人(2) 宮澤賢治
(1)は前の5000円札の新渡戸稲造でした。
宮澤賢治はその名前を聞いたことが
ないという人は少ないかと思います。
宮澤賢治生家
宮澤賢治死亡の新聞記事 岩手日報 昭和8年9月23日付け
まもなく祥月命日です。9月21日
文化人切手 平成8年8月27日発行
右は盲目の学者 塙保己一
賢治の詩碑のある所の入口
木の上の帽子は下のシルエットの帽子でしょうか
下ノ畑ニ居リマス 賢治
賢治ファンの人には知られた文句かも
郵便として差出せるようになってます。
花巻のとある局長さんから送られたものです。
このシルエットの元の写真も目に浮かぶ人もあるでしょう。
雨ニモ負ケズ・・・の詩は賢治の死後見つかったものなそうです。
宮澤賢治墓所入口
身延別院 ?
そういえば、7月に団体旅行で山梨県の身延山に行ってきました。
身延山久遠寺
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岩手県出身の人(1) 新渡戸稲造
新渡戸稲造は札幌農学校から、東京大学に入るが「太平洋の橋とならん」と私費で渡米。後京都大学教授、第一高等学校長、東京帝国大学教授、国際連盟事務次長を歴任。
昭和8年10月17日付け 岩手日報
客死(かくし、きゃくし)=旅先で死ぬこと。よその土地で死ぬこと。
(革りは多分、あらたまりと読むものと思います。)
昭和12年5月9日付け岩手日報
我が国際文化事業の先覚者故新渡戸稲造博士の銅像は帝国美術院会員朝倉文夫氏の手で製作中であったが、此程美事な等身象が完成、来る15日午後三時多磨墓地に博士の知友石井菊次郎子、佐藤外相、グルー米国大使、佐藤北大総長永田秀次郎氏等が集まり盛大な除幕式を行ふ予定である。
(石井菊次郎子の子は「子爵」ということ)
文化人切手 昭和27年10月16日発行
昭和59年11月1日発行 5000円札
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