あおぞらが子供のころ、そして就職してからの電話の思い出を記します。
ちょっと長くなりました。
小学校の時
電話機は昔のロボットの顔のようでした。
電話を申し込むときは右手でハンドルを回し、左手で受話器を取ります。 送話器はロボットの口になってます。
交換手の「何番?」という声が聞こえます。
実家は19番でした。
自分が用があって掛けるのではありません。親にどこに電話を掛けろと言われて掛けるわけです。
それで親に「〇〇屋」と言われてればその通り「〇〇屋」と言います。
番号ではなく、それで繋いでもらいます。
祖父は時計が狂っているようだ。「電話で時間を聞け」
サイレンが鳴った。「火事はどこなのか、電話で聞け」
出かけたいが「〇〇行きのバス時間を聞け」
こんなことが通用してました。
交換手としては迷惑だったでしょうね。
数年後に申し込みは番号でするようにという周知がありました。
近所に電話を設置している家がありませんでした。実家は商家だったので電話がありました。
電話が鳴って、出てみると近所の家の○○さんをお願いします、ということもしばしばあります。その家に行って○○さんから電話ですと知らせに行かなければなりません。雨でも雪でも、これは子供の仕事です。
その家の人が来て電話に出ます。済めば、ありがとうございますと帰っていきます。
また、電話を貸してくださいと近所の人が来ることもあります。この場合は電話が終わった後、料金を交換手に聞いて、料金を置いていきます。市内1通話10円でした。そのころは1通話が3分という制限がなかったかも。
この辺には公衆電話はまだありませんでした。
長距離は申し込んでから何時間後に繋がるか分かりません。
半日も掛かったでしょうか。
繋がっても音量が小さいので聞き取るのが大変です。時にわきから無関係に声が聞こえたりします。混信です。その声に「話し中」といった覚えがあります。
それから10年ほど後
東京オリンピックの年、昭和39年に就職しました。
茨城県石岡市の工場でした。今でもあります「ソントン食品工業㈱」です。主としてパン添加物・ジャムなどを作ってます。
東京までは各駅の電車でも2時間弱の場所です。
総務課のおばさんが言ってました。出勤してまず最初の仕事は本社への電話を申し込むことだったと。
そして至急電話で申し込んでも2時間掛かると言ってました。
繋がったら、工場長が電話して、切らないで、各部署で用を済ませてから切るということだったそうです。
時間が掛かる理由は回線が少ないことと数多くの電話局を経由しなければならないことだったんでしょう。
電話がつながるのに3時間も4時間も掛かるなんて、今では何のことか分からないことですよね。
これが本来のブログ名の「思い出散歩ふらふら」だったのです。
あっちの思い出、こっちの思い出を思い出すままにふらふらと書いてました。
この電話の話はほぼ同様のことを以前に書いたことがあります。
今はタネが尽きて思い出はほとんど書きません。
でも、今はその当時からのお付き合いの人は極小数ですので、同じようなことを蒸し返してもいいのかなあとも思っています。
今日もおいでいただき、
ありがとうございます。