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10年記念焼き直し

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 ブログ10年記念焼き直し(22)
    幼稚園で女の子にもらった笛
 これは平成21年2月13日のブログからです。
 今思うとおかしいのですが、A子ちゃんから笛をもらったんです。
 セルロイド製で、平べったい台形で、何本も管が通っていました。
 色は白でした。台形なので管の長さが異なり色々な音が出ました。
 写真のような形でした。これは息子が小学生の時に持っていたので、思い出の笛によく似ているので息子からもらいました。
イメージ 1

 別の女の子(たしかユタカちゃんといった)がこんな笛を持ってたんです。欲しいなあと思ってました。
 私はA子ちゃんに「頂戴」と言ったのでしょうか。A子ちゃんがこんな笛を持ってるなんて知るはずもありません。
 不思議で支障がありません。人見知りの激しい私が。でも,もらったんです。
 まさかA子ちゃんのほうから「あげる」というわけもありません。私がそんな笛を欲しがってることを知るわけもありません。
 でも、私がユタカちゃんの笛を欲しそうに見ていたので、A子ちゃんは自分が同じような笛を持っているので、気の毒に思いあげようと思ったのでしょうか
 いずれA子ちゃんから笛をもらいました。お返しに「沖政宗」という酒の瓶に貼るレッテルを数枚あげました。
 卒園して20年ほど経って彼女にそのことを聞く機会に恵まれました。
 一度聞いてみたかったんです。
 笛をくれたのは本当に彼女だったのか。私の記憶違いか。
 彼女は私に笛を上げたという記憶はないとのことでした。残念ですがしょうがありません。
 ただ、その笛のことは覚えていました。ミズボウソウに罹ったときに、母親に連れられ湯治に行ったそうです。その時に湯治場でそのような笛を母親に買ってもらった覚えがあるそうです。きっとそれに違いありません。
 彼女にもらったという私の記憶に間違いはなかったのです。
 で、彼女に聞く機会とは・・・・彼女と結婚したのです。
 あの笛が縁というわけではありません。
 婚約前に彼女と付き合ったことはありません。
 でも、もしかしたらあの笛に見えない赤い糸が・・・。な、はずはない。
 あれから、さらに40年も経ってしまいました。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 それからさらに10年が経ち、今年は金婚式を迎えました。
 A子さんからあの笛をもらってから70年以上にもなります。

 皆様、今年は大変お世話になりました。
 来年もよろしくお願いします。
 どうぞ良いお年をお迎えください。

 今日もおいでいただき、
        ありがとうございます。



ブログ10年記念焼き直し(21) 小学校の思い出

小学生でも農繁休業がありました。
1年生は休みませんでしたが、2年生以上は休みました。休みにしなくても欠席します。親が休ませるんですね。農業はまだ機械化されていませんので、人手はいくらでも欲しかったんでしょう。小さい子の子守も必要ですし。
 小学生の唱歌にありました。「雨あ〜め、降〜れふれ、田〜に畑に〜子〜どもはせ〜っせと苗運び〜、子犬も駆けます、田〜んぼ道」
 運動会は2回ありました。春の小運動会と秋の大運動会と。そのうち1回になりました。秋の大運動会だけが残りました。小運動会はなくとも大運動会でした。

 当然、学芸会もあったようです。あったようです、というのはあおぞらは学芸会の記憶がないのです。妻(同級生)はあった、と言います。「あった。私は出た」と。あったんでしょう、他の人もあったと言いますから。あおぞらは出たことがないのは勿論のこと、見た覚えもないのです。

 学校はいつでも出入りが自由だった。平和な時代だった。朝、6時半に行っても入ることが出来ました。用務員さんが開けたのか、あの頃は先生が宿直をしていたらしいので、宿直の先生が開けたのかもしれません。小講堂に卓球台があったので、それで遊ぶのですが、早い者勝ちなのでそのように早く行ったのです。
 そんなに早く学校に行く子供にご飯を食べさせて出す親は大変だったろうなと思います。

 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます
 

 ブログ10年記念焼き直し(20) 

   平成20年10月16日

 昭和20年代前半の田舎の小学校(1)

 

 私は昭和23(1948)年4月に「小学校」に入りました。戦後なので今の小学校と基本的には同じだと思います。

 少し前の学年の子どもは「国民学校」と行ったそうです。かの有名な墨塗りの教科書を使ったんでしょう。 教育勅語は聞きませんでした。

 私のころは少し落ち着いて、ま、普通の教科書でした。

校舎は当然木造で2階建てでした。児童数は1200人ほどで、離れた地域の子どもには分校が3か所で、3年生、4年生になると本校への通学となります。

服装は一年生から一応洋服(単に和服ではないということ)で和服で来る子はいませんでした。2,3年前まではいたようです。そしてそのころは未就学の弟や妹を連れて来る子もあったらしいです。それでも学校に行かせてもらえばいいのです。

ランドセルはどうだったでしょうか。少なかったかもしれません。あおぞらは母の実家が文房具店でランドセルもあったらしい。それで皮ではないがランドセルを背負わされてもらいました。

一年生の時、「ひらがな」を先に習いました。3年上の子は「カタカナ」が先でした。

「みんないいこ。おはなをかざる。みんないいこ」これが一年生の最初だったのかなあ。

判然としません。

算数の教科書には足し算は2+3= のようには書いてありませんでした。

2と3は と書いてありました。

ほかの教科書はどんなだったか理科も社会も全然覚えていません。音楽と言えば歌うことと児童が使う楽器はカスタネットだけでした。先生にはオルガンがありました。

教科書は毎年同じものを使用するので、新しいのを買わないで上級生のを譲ってもらって使うこともありました。

                                 続く

 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。

 
 

ブログ10年記念焼き直し(19) 

   平成20年11月12日のブログ

 中学生3年生の職場実習

 これは昭和31(1956)年の夏休みでのことです。

 

 あのころは中学校を卒業して、そのまま就職する人が多かったんです。金の卵だって。もてはやされて。

 そのような時代ですのでした。

 職場実習というのが夏休みの期間に1週間ありました。もちろん希望者だけで、職種も希望です。

 私は事務系ではなく、工業系を希望しました。ところがそのころ街には工場らしいものがありませんでした。

 それぞれが町役場、運送会社、パン屋やお菓子、農協などに行きました。

 私ともう1人クラスの仲間と自転車屋に行くことにしました。最初は先生に連れられて行きました。

 朝、出勤(?)して挨拶のあと、仕事の手伝いをするわけですが、自転車が1日に1台売れるわけでもありませんでした。並べてある自転車を磨いたり、分解掃除のため自転車をばらしたり、パンクの修理を手伝いました。

 そっちを上げて。これを拭いて。2人で、はい。はい。

 パンク修理はチューブをタイヤとリムから外して、その状態で一度空気を入れてみる。そして浅い桶に汲んだ水の中にチューブを少しずつ回しながら入れて、空気の泡が出てくる場所を見つけます。そこがパンクしている場所ということです。

 見つかったらそこに印を付けて、布で拭いて、乾かします。

 修理部分が乾いたら、そこをヤスリで磨っておきます。またそこを覆うゴム板も同様に磨っておきます。この両方に専用のゴム糊をきれいに薄く塗ります。少し時間をおいてから両方をぴったり合わせて、ヘラでコリコリやって密着させます。

 落ち着いたら、元のようにタイヤとリムにセットして、空気を入れて、終了をなります。

 ただ、1度だけですが、これで終了にならなかったんです。それはパンク個所がもう1か所あったのでした。また空気が抜けてしまいました。残念やり直し。


 あ、そうだ。エンジン付きの自転車か、バイクがあったんだなあ。メーターが付いているものがあった。

 お昼はお弁当を持って行き、居間にあげてもらい、店の人と一緒に食べました。お弁当は楽しいが、店の人と一緒なので、ちょっと緊張してお茶をこぼしてしまったことがありました。


 実習期間が終わり、最後の日に夏の下着のシャツを2枚頂戴しました。

 さしたることもしないで、役にも立たないで、もしかしたら邪魔だったろうに。全く恐縮なことです。


 その自転車屋はまだそこに店があります。当時のご主人はとうになくなり息子さん夫婦がやっています。


 平成30年11月現在もそこの自転車屋さんは健在です。

 その時のクラスメイトは昨年亡くなりました。 


  今日もおいでいただき、

    ありがとうございます。    


                                         

 ブログ10年記念焼き直し(18) 
  落下傘の降下の様子
平成20年11月10日(月)の
         ブログの焼き直しです。
昭和30年代後半、学生時代のこと。
 千葉県・習志野空挺団が近いので落下傘降下は普通に見られることだった。授業中も窓から見られた。
 遠目での降下の様子は、多いときは5,6機の飛行機からそれぞれおよそ10人がポンポンと続けて飛び出す。そりゃあ、見事なものだ。タンポポの綿毛をフ―ッと吹き飛ばしたような感じだ。ふわふわと数十人が降りていくのが遠くに見える。


 一度どこに降りるんだろうと、その方向を捜しに行ったことがある。この辺かなという辺りに来た時、運よく飛行機が飛んできた。そして降下を始めた。見上げれば青い空に白い落下傘だ。それも一つや二つではない。20人ほどだろうか。ポンポンと飛び出してくる。段々降りて近づいてきた。降りる速さが一様ではない。スーッと早い人、ふわふわゆっくり降りてくる人、様々だった。
 
 一番驚いたのは、ん、もったいないなあ。教えるのもったいない。 
関係者以外は多分知らないんだろうな。いやいや、防衛庁長官だって知らないんだろうな。
それはなんと、降下しながら雑談と思われる話をしてるんだ。命令口調、報告口調、そういう感じではなかった。笑い声まで聞こえたように思う。
慣れてしまえばそんなものなのかな。でも、ちょっとリラックスし過ぎじゃないの。
こんなことは上官には内緒でしょ。


そこの草原(短い草)に未舗装で赤土がむき出しの幅3メートルくらいで長さが100メートルの場所があった。
何だろうとボ〜っと見ていたら、小型飛行機が着陸態勢で向かってきた。そしてそこに着陸した。40過ぎの自衛官が降りてきて話しかけられた。なんと同じ大学の大先輩とことだった。
これが滑走路だったとは。
そのころは囲いがなく自由に出入りができたが、ナイキとかアジャックスを配備するとかいう話が出たころにバラ線が張られてしまった。
 
訓練には体力だ。日中、10人くらいが隊列を組んで駆け足行進をしている。列から少し離れて上官らしい人が掛け声を掛けながら町の中を走っていた。
6時の起床ラッパ。午後9時の消灯ラッパが毎日聞こえていた。思い出すなあ。
 
 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。
 

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