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10年記念焼き直し

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ブログ10年記念焼き直し(17) 
        落下傘の降下訓練。
平成20年11月10日(月)のブログの焼き直しです。
昭和30年代後半、学生時代のこと。

近くに習志野空挺団があった。そこで落下傘降下の訓練を見たことがある。
自衛隊の基地(駐屯地)内での訓練だ。基地は低い垣根を回しただけなので、中がよく見えた。
水防訓練か大きな木槌で杭打ちもやっていた。

さて、降下訓練だが、初歩は地上にセットした飛行機の出口から飛び降りる。着地したら柔道の受け身のように前転する。高さは3メートルくらいかな。何人もが次々と飛び降りていた。下にマットのようなものを敷いてあったように思う。
少し離れたところにT字型の鉄塔がある。水平部分の先に巻き上げ装置がある。落下傘を着けた隊員を吊り上げる。上がったところで、放すと落下傘はふわりと降下するという具合だった。
 塔の高さは遠くてよく分からなかった。20〜30メートルあったんだろうか。
 以上は訓練の様子です。

  次回は落下傘の降下の様子です。

 今日もおいでいただき、
     ありがとうございます。
ブログ10年記念焼き直し(16) 
平成20年10月19日(日)のブログの焼き直しです。
    キジのあかんべ
これは昭和20年代小学生の時のことです。
父はハンターだった。
あるとき、配達があった。父は自転車で鉄砲を持ち、犬を連れた。私も自転車でついて行った。
配達を終えて、いつもカモが来るため池に行った。そうっと近づき、さっと父が姿を現すと2羽のカモがバタバタっと飛び立った。
父の鉄砲は2連銃だ。バンバンと2羽続けて撃ち落とした。その間、わずか2、3秒だ。
犬が飛び出し落ちたカモをため池からくわえて持って来た。
父はイヌから1羽受け取るとため池を指してもう1羽持ってくるようにと「持って来い」と命令した。
犬は尻尾を振って嬉しそうに飛んで行った。
 
父の自慢話。
あそこの山で、犬が匂いを嗅ぎつけ、「ポイント」したんだ。 にんまりしてそっと近づいて、鉄砲を構えて態勢を整えた。
万全だ。
犬に「よし」と声を掛けた。
犬は待ってましたとばかりにダダっと茂みに飛び込んでキジを追い出した。
キジが飛び出した。よしきたと狙ってバンバンと撃った。
ところが2発とも当たらず、キジは「アカンベ」をして飛んでいってしまった。
イヌは「せっかくちゃんと追いだ出したのに」と悔しがって鳴くんだ、と父は笑いながら話した。
そんなことが1日に2回も3回も続いて、イヌが怒って家に帰ってしまったことがあるという。
父はやっぱりへたくそなんだ。
父は猟に限らず、よく失敗談を楽しそうに話す。

イメージ 1
父が撃ったキジの剥製。60年ほど前のものである。
あおぞら家新築の際(40数年前)、父に新築祝いにいただいた。


 
 ブログ10年記念焼き直し(15)
   小学生が鳥をおろす。
平成20年10月18日(土)のブログの
焼き直しです。
これは昭和20年代小学生の時のことです

父は猟をやるので、冬はキジ、ヤマドリ、カモなどをとってきた。
小学生も高学年になると鳥のおろしかたを覚えて、おろすようになった。
毛を毟っておろした者が心臓、肝臓、砂のうなどを食べる権利があった。男兄弟はみんなおろすことが出来るので、食べたいので、自分がと希望した。
おろす手順はうまく説明できない。でもどうしてなのか、鳥の体は解体しやすいようにできていた。不思議なことだ。
初めから食べられやすいように体が出来ているなんて。
こんなことは近所でも我が家だけの特殊なことだった。
ノウサギのときはこれは父が処理をした。難しいから。
この方は解体しやすいようにはできていなかったのであろう。
 
 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。

ブログ10年記念焼き直し(13) 
平成20年10月19日(日)のブログの焼き直しです。子供の小遣い稼ぎ(2)
これは昭和20年代のことです。

春になると庭にたくさんの水仙が咲いた。品種もいくつかあり、父が育てたものだった。父は水仙が好きだった。
父の許可があり、水仙を売ることが出来た。10把、20把と束を作った。花が咲いているものと蕾のものと組み合わせて花1輪に葉が4枚とした。生えているのが原則そうなっている。
花の大きさ、葉の大きさは子どもなりにバランスを考えたような気がする。
藁で束ねるが藁はしのを取って軽くたたいておく。使う時に水で濡らして柔らかくする。
クリを買ってもらった八百屋さんに買ってもらった。また、母が華道の先生に話をしてくれて、お稽古日には先生に持っていった。
1把、八百屋さんが4円、先生は5円だった。
今思えば、あんなちゃちな花束が売れるなんで信じられない。でも当時は春早い時期は花が少ない時期なので、売れたのであろう。
 もちろん農家の人もスイセンは育てている。
 その当時の水仙の球根を移植したものが、今でもあおぞらの庭で育っている。
 
 今日もおいでいただき、
    ありがとうございます。
 
ブログ10年記念焼き直し(11) 屠殺を見てしまった。食べ物への感謝
平成20年10月17日(火)のブログの焼き直しです。
これは昭和31(1956)年のことと思う。
凄惨な場面の描写があります。
 中学生の時、屠殺場で、ブタを大ハンマーで屠殺するのを見たことがある。
中学校の学校田で稲刈りをしたあと、数人で学校へ戻る途中の屠殺場に寄ってみたのだった。
 屠殺人が大ハンマーを振り上げて、ブタを隅に追い詰める。豚は死を察してキーキー鳴いていた。そして豚の動きが止まった一瞬に屠殺人はハンマーを豚の眉間に振り下ろした。
 ブタはキーっと一声もがいて息絶えた。屠殺人は直ぐに喉を切って血を出した。
 これを「残酷」というのはきれいごとであろう。
 その日は弁当を食べることができなかった。
 随分前にある著名人が「自分で殺すことが出来るものを食べるのが、体に合っている」というようなことを言っていた。
 それだと私は小魚、小鳥くらいしか食べられない。しかしそれが正解かもしれない。
 ただ、現実には豚肉も牛肉も食べる。
 少なくとも、食べられる動物(豚、牛、鶏等)と、それを私たちに食べられるようにしてくれた人には感謝しなければならないであろう。
 前出の屠殺人だって決して楽しいはずがない。(その人は街の肉屋さんだった)
 そういう仕事をしてくれる人が居ればこそスーパーで肉だけを見て、おいしそうだと買って食べられる。
 単なる食べ物ではなく、命を差し出した物への感謝があってしかるべきであろう。あだや、おろそかにはできない。
 このことを書いていて生きるということは、他の動植物の犠牲の上に成り立っていることを私自身が再認識させられた。
 
 今日もおいでいただき、
     ありがとうございます。

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