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 彼は、言いました。 「 オレの アパートまで、着物で 来たら、下駄をやるよ 」

 彼は :来られるわけが ない: と 思って、私を からかったのです。

 彼C平君は、高校の 同級生でした。 自転車で 一緒に通学も しました。

 C平君の父は サラリーマンですが、祖父が 下駄を 商っていました。

 C平君の ところには、時々遊びに 行っていたので、下駄を 持っていることは、知っ

てました。

 履物屋さんは まだ、下降線ながらも 下駄屋さんも 健在でした。



 あのころの 学生は、学生服を 着ていました。

 通学でも、校門を 入るときに、守衛さんに サンダル履きは 注意を 受けました。

帽子は 強制されませんでした。

 夏は 別としても、常に 学生服でした。

 学校は 違っても、彼も 学生服でした。

 住んでた所は、私は 千葉県、彼は 東京です。


 さて、私は 彼の鼻を 明かしてやろうと 思いました。

 そして、はがきで、行く日を 予告して、着物で 東京に 行くことにしました。

 今だったら、電話、ケータイでも すぐ連絡が 付くのですが、あのころは どちらも

アパート住まいで、電話が ありませんでした。

 それが、ごく 当たり前でした。

 着物と 言ったって、着たきりスズメで 1枚 しかありません。 亡くなった 祖父が

普段着としていたものです。

 下駄を 貰いに 行くのですが、何を 履いて 行ったか 覚えていません。

多分、着物を持ってくるときに、当然 下駄も 持ってきたものと 思います。

 いくら、私でも 靴を履いて行く ということは ありません。

 女物と異なり、私は ただ、着るだけですので、自分で着ました。

 角帯の締め方、羽織の 紐の 結び方は、家に居たころに 兄に 教わりました

 若さで、それを 着て、バス、総武線、小田急、バスと 乗り継いで、彼のアパートに 

辿り着きました。

 C平君は、遂に「 来たかあ 」 と いう感じで、笑顔で 迎えて くれました。

 一晩 泊まって、翌日 下駄を 貰って帰りました。

 途中の 車中のことは、覚えていません。


 そのC平君も 幼い子を 残して、30歳で 東京で、交通事故で 亡くなりました。

 私の無二の親友でした。


お読みいただき、ありがとうございます。

 写真は、千葉県の アパート内で 撮った 20歳ころの 私です。もう40数年前です。


 

○ 学芸会、記憶 喪失

 今でも あるんでしょうね、学芸会。

 学芸会は 小学校まで ですか。

あのころは、一つの役は 一人でやるので、役が 付かない人が 大勢いたようです。

 今は、一つの役を 数人で、やり、みんなが 出られるように するらしいです。

妻は、学芸会が 好きだった ようで、いつも 何かしらの 役が 当たって いたようです。

 ある年に、役が 付かなかった そうです。 それで、先生に 何か役を、と 申し入れて

役をつけてもらった そうです。

 無茶なことを 言う子です。

 先生は、困ったでしょうね。 既に 決まった子を 替えるわけには いかないでしょうし。

 筋を変えて、新しい人物を 登場することに したんでしょうか。



 これを 読んでいる方は、それで、お前は どんな役を やったんだ、と 仰せでしょう。


 それ なんですよ。 同級生の 妻が 出演した と いうからには、学芸会は あったんで

すね。

 いつか、ほかの 同級生にも 聞いてみたら、当たり前でしょう、と 言わんばかりに、


「 学芸会はあったよ 」との 答えが 返ってきました。

あったんでしょうね。

 私は、出演しないのは、もちろんのこと、見た覚えもなく、 「 学芸会が あった 」 と

いう記憶が ないのです。

小学校 6年間は、ほぼ 皆勤でしたので、毎年 学芸会の日に 休んだ と いうことは、な

い はずです。

 あのころは、できる子が 出演したんで しょうから、私に 当たるわけは なかったのです。

 でも、そういうことが、大の 苦手な 私は、テレビドラマで 見るような、嫌なことは 記

憶喪失するという現象が起きて、 記憶から 消し去ったものと 思います。

 お読みいただき、ありがとうございます。

 明日は、「 着物で、来たら・・ 」 です。

○ 1年生の 世話 女房

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1年生、私は ホントに グズでした。 担任のユリコ先生は すぐに 分かったんでしょう。

 私の隣の席に できの良い B子ちゃんを 並ばせました。

 私は いつも ボーっと しています。 先生の 言ってることを 聞いているのか、いな

いのか。

 隣の B子ちゃんは しっかり 聞いています。

 「 はい、6ページを 開いて。 そこじゃなく、ここ。」 B子ちゃんは、ちゃんと

 開いてくれます。

 配布物に 名前を 書いても くれました。

 あるとき、紙のケースに 入った 2枚1組の 三角定規が 2人に 1組 渡されました。

 もらった笛と 同じように セルロイド製でした。

ありますよね。 ちょっと 形の違う 三角定規が 2枚 1組のが。

 先生は 言いました。1枚ずつ 分けるようにと。

 私と B子ちゃんは 1枚ずつ 分けました。 紙のケースは いつも世話に なっている

B子ちゃんに私は、「 はい 」 と 渡しました。

B子ちゃんは にっこり 「 ありがとう 」 と 受け取りました。

 ここまでは、私としては 上出来だったのです。

 その直後に 先生の声が 聞こえました。 「 ケースは じゃんけんで 勝ったほうの人に

あげましょう。」 聞こえなければ、良かった。

 それで、じゃんけんを したら、私が 勝って しまいました。

 馬鹿な 私は、ケースを 自分の物に してしまったのです。

 よく言えば、先生の 言うように じゃんけんで 勝ったので、自分のものに したのです。

 しかし、その前に B子ちゃんに あげた はずなのです。

 これも、私が ボーっとしている 一つです。

 
 2年の間に 席変えは 何度か ありました。

 でも、先生は 2年間、私と世話女房とは 離婚させません でした。 私のことが、危なっ

かしくて、目が 離せなかった のでしょう。

 B子ちゃんに任せておけば、安心です。


 大人になっても、あの三角定規の ケースのことが、頭から離れません。 悔やんでいます。

 B子ちゃん、ごめんなさい。

 でも、もう、直接 謝ることは 出来ないのです。

 ここに 懺悔して、B子ちゃんの ご冥福を 祈ります。


 お読みいただき、ありがとうございます。


明日は、「 幻の 学芸会 」 です。

  月曜日ですので、恒例の ポストも。

写真は、50年ほど前に 私が使用した三角定規。 あれから、何回か 引っ越したが、捨てずに 持って

いました。

昨日、お葬式に 参列しました。 同級生の 母親です。

 もう、満で 99歳に なった方でした。

弔事などから 私が 卒園した 幼稚園の 先生だった と いうことが 分かりました。

その幼稚園が、昭和4年に 私立から 町立になるときに、資格のある 教諭が 必要とい

うことで、来て 貰った と いうことでした。元々は 地元の 出身のようです。

 来て貰ったときは、町で 大変な話題で、大喜び だったとか。

お生まれは、お寺なそうで、女学校に進み、さらに 県外で教諭の 勉強を したんで

しょう。

 昭和4年から 20年まで 勤めたと いうことでした。


まだ、独立した園舎が ないころです。

 私は22年の 入園ですので、直接は お世話に なりませんでした。 兄は 3歳上です

ので、お世話になったはずです。

 弔辞を 読んだ 昭和10年の 教え子という方も、もう80歳と いう おばあさんでした。



戦後 間もない ころのこと で しょうが、

 故人の甥の弔辞では、おばさんは 自分の子どもが 6人も居るのに、さらに甥・姪 数人

を 引き取り、自分の子どもと 分け隔てなく、育てて もらって 大変 感謝している、と い

うことでした。

 あの食料難の時代、並大抵ではなかったことでしょう。

本当にびっくりです。



 確かに、あのころは、我が家 ( 実家 ) にも、時期的に ずれは ありましたが、3家

族が 身を寄せて いました。 いずれも 父親 不在でした。

お互い 助け合って 生きてきました。

今は、そんなことは 出来なく なりました。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 当時、町に 一つの幼稚園。

 新しく 独立園舎が 出来て、引っ越しました。

 あれから、もう60年も 経ちました。

 建物は 変わりましたが、その幼稚園は、今でも 同じ名前で、同じ場所に あります。

実家から、わずか 100数十メートルのところです。 通園が 楽に なりました。

私たちの入園は、昭和22年、終戦 間もない 食糧難の 時代でした。 それでも、みんな

お弁当を持って 行きました。

 冬は、お弁当を だんぱんき ( 多分、「 暖飯器 」 こう 書くんだろうと 思います )

に 乗せて、温めました。

 「 だんぱんき 」 とは、1メートル 四方で、高さが 15センチの 木の枠の下に 金網

を 張ったものです。

 大きさは 正直のところ、大変 不確かです。 そんなもんかな、という 寸法を 書きまし

た。

 子どものころと、今では 大きさの 感覚が 異なりますので。

 その枠の中に みんなの お弁当を 並べて、重ねて、ストーブの上に 天井から、ぶら下げ

るのです。

 お弁当が 温まると、タクアンの 匂いが 漂ってきます。 そろそろ、お昼の 時間の 合図

です。

 でも、私は この匂いは、あまり 好きでは ありませんでした。

 お昼の 時間になると、椅子に 腰掛け、目をつぶって、手を 合わせています。

 静かにした子を 先生が 頭を なでます。 そしたら、お弁当を 食べられました。

 という、記憶があります。

変ですよね、みんな一緒に「 頂きます 」 では、なかったような 気が しています。

 昼休みが、終わって、授業 (?) 開始のときは、園児が カラン カランと ハンドベル

を 鳴らしながら、外で 遊んでいる 園児に 「 お始まりだー 」 と 大きな声を 掛けまし

た。

 授業内容は、どんなん だったんでしょう。 紙はない。 鉛筆、クレヨンも ない。

 オルガンは まだ なかったような。

 歌を習ったり、お遊戯を した 覚えはあります。 そして、女の子と 手を 繋がされて、

恥ずかしかったのも 覚えています。

外には、ブランコが あったように 思います。

私たちの時代は、町立ではなく、女学校の 「 保育 実習所 」と なっていました。

 女学生が 時々、数人 実習に 来ていました。 ( 実習 というのは、後から分かったこ

とですが。)

 卒園 近くに、写真を 撮りました。 園児、先生 全員です。 女学生も数名。

園舎の中で 撮りました。 そのとき、写真屋さんが マグネシュームを 焚きました。

ぱっと光って大きな 煙が ボーッと 出たのを 覚えています。 初めてのことで、びっく

り しました。

 撮影の日、妻は 病気で 欠席だったそうで、写っていません。 でも、卒業生 名簿には

名前の 記載は あります。

 失くして しまいましたが、粗末な紙に ガリ版で 刷った 「 保育 証書 」 ( 証は 言

偏に登 ) と いうものが、ありました。


 お読みいただき、ありがとうございます。


明日は、「 幼稚園、笛を もらった 」 です。


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あおぞら
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