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画面が モザイク なのではなく、番組が カラーと 白黒とが 混在していました。

 
 まもなく、テレビも、また変わるんだそうですね。

 「 地上デジタル 」 とかに なるんだそうですね。 我が家はまだ、従来のものです。 現在見

ているテレビが 見えるうちは、ぎりぎりまで 買うのを 控えるつもりです。

 これも、テレビとしては大きな変化なんでしょう。でも、見た目は あまり 変わらないようで

す。



 劇的変化は、やはり、「 白黒 」 から、「 カラー 」 に なったことでしょう。

でも、これは 一斉に 切り替わったのでは ありません。 番組ごとに ポツリ、ポツリと 切り

替わりました。

 最後まで、白黒だったのは、番組ではなく、コマーシャルでした。 ですから、番組は カラー

で、そのコマーシャルが 白黒というわけです。

 広告主が カラーだと 費用が掛かる ということで 遅れたのだ とか。

 今だったら、むしろ 宣伝効果を 狙って、率先して カラーに したんでしょうがねえ。

 NHKでも 人気番組の カラー化が 早かったようです。 たとえば、ひょっこり ひょうたん

島 とか、お笑い 三人組 とか、ジェスチャー、歌のグランドショーなど。

 放送局が カラーで 放送したって、テレビ( 受像機 ) が 白黒用 だったら、なんにもなりま

せん。

経済事情も 良くなって きましたから、昭和39年 10月の 東京オリンピックを カラーで

見ようという 家庭も多くなり、カラーテレビが 大普及したと いわれています。

 とは、言いながら、その年の カラーテレビの 価格は 私の地域では、高校卒の人の 年収ほど

の 金額した。 月収ではなく、年収ですよ。

とても、おいそれと 買える値段では ありませんでした。

 電話の普及も まだまだ でした。

日本は、高度成長に 向かっていました。

そんな時期でした。



ご覧いただき、ありがとうございます。


 明日は、東京 見物 24 「 パイプオルガン の ある お寺 」 です。

 明後日は、東京 見物 25 「 歴代 本因坊 の 墓 」 です。

○ 四十七士 の 凱旋

イメージ 1

イメージ 2

 我が家で たった1枚の 錦絵です。

下方で 大きく 描かれているのが、「 大星 由良之助 良雄 」 と あります。

1枚なんですが、3枚なんです。 3枚を 合わせて 一つの絵に なっています。

 3枚に それぞれ作者の 名前が入って います。 ( 同じ名前です )

 そのようにした 理由は 分かりません。 技術的理由か、政治的理由か、はたまた 別の理由か。

特に、出来が良いものでは、ありません。

 ご覧いただき、ありがとうございます。

○ 共同 水道

昭和20年代のこと。

当時、街から少し離れた所は まだ水道が 引かれて いませんでした。 井戸水が 主流でした。

 昭和20年代は、多分、全国的に そうだったんだと 思います。

私たちの近所に 共同水道 と いうものが ありました。 道路際に 水道の蛇口が ありました。 近

所 何軒かが 共同で使用料を 払って、使用、管理していたもの の ようです。

 蛇口は 一応、鍵で 開閉するように なっていました。 そこに洗い場は ありませんでした。 水を

汲んで 家に運ぶ システムです。 洗い場がないということは、洗濯や野菜、食器を洗うことが出来

ません。あまり水を 使わないように なっていたので しょうか。

井戸よりは 衛生面で 安全です。 近くに井戸も ありました。 そこは洗い場も ありました。
 
 私たち子どもは 鍵がなくても 蛇口を開けられる ようにして、水を使って 遊びました。

 使用者たちも 黙認していました。 水道使用量のメーターが ないので、料金が 変わらないから

だった、と 思います。
 
子どものことで、料金などは、あまり興味が ありませんでした。

 ですから、はっきりした システム は分かりません。


  明日は、「 四谷の お岩さんは、今。」 です。

 明後日は、「 将軍 慶喜公の 妾の、 」 です。

 あのころは、中学校を 卒業して、そのまま 就職する人が 多かった。金の卵だって。


 昭和31年、中学3年生の夏休み。1週間。

 職場実習というものが、行われた。もちろん、希望者だけで、職種も 希望だった。

 私は 事務系ではなく、工業系を 希望した。 そのころ、町には 工場らしいものは なかった。

 それぞれが、町役場、運送会社やパン屋、お菓子屋、農協などに行った。


 私と もう一人が、自転車屋だった。 一番 最初は先生に 連れられて、行ったものと 思うが、記

憶にない。

 朝、出勤(?)して、挨拶の後、仕事の手伝いを するわけだが、自転車が 1日に1台 売れるわ

けではない。 並べてある 自転車を 磨いたり、分解掃除のため、自転車をば らしたり、パンクの

修理の手伝いをした。

 そっちを上げて。これを拭いて。2人で、はい。はい。

 パンク修理は、チューブを タイヤと リムから 外して、その状態で 一度空気を 入れてみる。
 
 そして、桶に汲んだ 水の中に チューブを 少しずつ回しながら 入れて、空気の泡の 出てくる場

所を捜す。そこがパンクか所だ。

 見つかったら、そこに印をつけて、濡れたチューブを 布で拭く。 修理部分が 乾いたら、ヤスリ

で修理部分を 磨って置く。 また、修理に 必要なカバーするほうの ゴム板も 同様に 磨っておく。

 修理部分と ゴム板の 両方に専用の ゴム糊をきれいに 薄く塗る。 少し時間を 置いてから、両

方をピッタリ 合わせて へらで、コリコリ やって、密着させる。

落ち着いたら、元のように タイヤとリムに セットして、空気を入れて、終了となる。

 ただ、一度だけだが、これで終了に ならなかった ことがあった。 それは、パンクか所が もう1

カ所あったのだ。空気が抜けてしまった。 残念、やり直し。


 そうだ、エンジン付きの自転車か、バイクがあったんだ。メーターが付いていたのを覚えている。


 お昼は お弁当を 持っていって、居間に上げてもらい、店の人と 一緒に食べた。

 お弁当は楽しいが、店の人と一緒なので、ちょっと緊張して、お茶をこぼしてしまった。

 実習期間が 終わり、最後の日に、夏の 下着のシャツ 2枚を 頂戴した。


 さしたることも しないで、役に立ちも しないで、もしかしたら、邪魔だったろうに、全く恐縮な

ことだ。


 
 その自転車屋は まだそこに店がある。 当時の ご主人夫婦は とうに亡くなり、息子さん夫婦が

やっている。

 商売は 厳しそう。


 明日は東京見物 8 東京時代祭り。サギの舞。

 あさってから、大人になってからの、特別養護老人ホーム(特養)での研修シリーズ。

○ 落下傘降下訓練 ○

習志野 空挺団。学生時代、昭和30年代 後半のこと。
 
 落下傘降下の 訓練を 見たことがある。 自衛隊の 基地(駐屯地)内の 訓練の様子だ。 基地は低

い垣根を 回しただけなので、中がよく見えた。水防訓練か、大きな木槌で、杭打ち も やっていた。
 
 さて、降下訓練だが、初歩は 地面に設置した 飛行機の 出口から 飛び降りる。 着地したら、柔道

の受身のように、前転する。 高さは 3メートルくらいかな。 何人も 次々飛び降りて いた。 下に

マットの ようなものが 敷いてあった ように思う。
 
 少し離れた所に T 字型の 鉄塔がある。水平部分の 先端に 巻上げ装置が ある。 落下傘を 着けた

隊員を 吊り上げる。 上がったところで、放すと落下傘はふわりと降下するという具合だった。塔の

高さは 遠くて よくは 分からなかった。 20メートルか 30メートルか あったんだろうか。

最終の 訓練は、実際に 飛んでいる 飛行機からの 降下となる。 地上の訓練を いくら積んでも、

これは 緊張するんだろうね。

以上の 訓練風景は 1度しか 見たことがない。

 遠目での 降下の 様子は 日常の ものだった。 多いときは5,6機から、それぞれ、およそ10人

が、ポンポンポンと 続けて飛び出す。 そりゃあ、見事なもんだ。

 タンポポの 綿毛を フーッと 吹き飛ばしたような 感じだ。ふわふわと 数10人が 降りていくのが、

遠くに見える。

 一度、どこに降りるんだろうかと、その方向に捜しに 行ったことがある。

 この辺かな、という辺りに来たとき、運良く、飛行機が飛んできた。そして、降下を始めた。
  
 見上げれば、青い空に 白い落下傘だ。 それも一つや 二つではない。 20人ほどだろうか。

 ポンポン 飛び出てくる。 段々、降りて近づいてきた。降りる速さが 一様ではない。 スーッと早い

人、ふわふわ ゆっくり 降りてくる人、様々だった。


 一番驚いたのは、ん、もったいないなあ。 教えたくないなあ。 関係者以外は 多分知らないんだ

ろうな。 いやいや、防衛庁長官だって 知らないだろう。


 それは、なんと 降下ながら、雑談と 思われる話を しているんだ。 命令口調、報告口調、そうい

う感じでは なかった。 笑い声まで 聞こえたよう に思う。 慣れてしまえば、そんなものかな。 ち

ょっと リラックスの し過ぎじゃないの。 こんなこと 上官には 内緒でしょ。

 訓練には 体力だ。 日中、10数人が 隊列を組んで、駆け足行進だ。

列から 少し離れて、上官らしい人が 掛け声を 掛けながら、町の中を 走っていた。

 6時の 起床ラッパ、9時の 消灯ラッパが 毎日 聞こえていた。思い出すなあ。

 おやすみなさい。

 (・・・新兵さんは、泣くのかよー)・・ これが 分かるのは、かなりの年配の人。


 明日は、自分の 訓練だ。中学校時代の 職場自習。 昭和31年のこと。

 


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あおぞら
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