思い出散歩、ふらふら

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 都庁の 展望台に 初めて 上ってみた。 さすが、都庁だね。無料だ。1回上ってみた

かったんだ。
 
 展望台への エレベーターの 乗り口と 降り口に ちゃんと 職員が ついている。有料

並だ。

 無料で 利用させて、怪我人でも 出しら 何にもならない からね。

 ありがたいことだ。

 庁内地下には 商店街もあり、食堂も いっぱいあった.

お昼近かったので、食堂で ラーメンを 食べた。ラーメン自体は 普通だが、箸が 割り

箸では なかった。

 木で出来た 繰り返し使える 箸だった。 黒く 塗ってあるが、滑らず、先のほうも 細く

角ばっていた。
 
 割箸より 使いやすい 箸だった。


写真 上 上がギザギザしたのが、新宿パークタワー。 235メートル。
     
   中 南の展望台の喫茶店でのケーキとコーヒー。ケーキセット850円。食べかけ。

   下 地下の食堂で。 とんさいラーメン。600円。

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 昭和20年代。小学生5年生ころか。  子どもの収入源(4)

 友達に誘われて、納豆売りをすることになった。近所に卸してくれる所があった。普通の民家のよう

で、特に 店らしい感じは ない家だった。

 友達と 一緒に行って、10個 借りた。

 そのころの 納豆は、三角の 経木に入っていたり、ワラの「 つと 」に 入っていた。

 さて、借りては みたものの、どこへ行って 売れば 良いのか 分からない。

 引っ込み思案の、人見知りする私が、よくこの話に 乗ったと思う。

 不思議。お金が欲しかったんだろうなあ。

 近所の家に行った。1つ買って もらった。嬉しかった。 勇んで、次の家に 行った。残念、断られ

た。 そして次も、断られた。

 もう 意気 阻喪 してしまった。

 そうだ、叔母さんなら、買って くれるだろう。 少し離れた 叔母さんの家に 行った。

 叔母さんは、不思議そうな 顔をしていたが、思惑通り 1個 買ってくれた。 しかし、そこから、家に

連絡が行って 納豆売りは 止めさせられて しまった。

叔母の家にも 電話があった。110番だった。(警察とは関係はない)

 2個 売れただけで、終了となった。 申し訳ない 仕儀となったが、 卸してくれた人に 8個 返却した。

 1個8円で仕入れて、10円売りだった。4円 受け取る ことが できた。


 あのころは、納豆1つを 家族みんなで 食べたんだ。 削り節を入れたり、大根おろしを 入れたりして、量を増やして。
 


 その後、田んぼで採った せりを 売ったことが あった。これは 子ども会としての、行動だったかもし

れない。

 これも、親に 止められたように 思う。


 一昨日、先一昨日に書いた 栗や 水仙のように 特定のところに 行くのは良いが、不特定の ところに

売り歩くのは、親から見て 惨めに見えたのか、店を張ってる 商家の見栄か。


 そのときのセリは、写真に比べたら、別の植物か と思われるほどだ。

 茎はずっとずっと短くて、外側に反っていた。 根も外側に張り出していた。 また、こんなに青々は

してなかった。いかにも 野生という 感じだった。


 数日前、「 子どもの仕事 」 で、キジ、ヤマドリが 出てきたので、 明日は 父の猟と 犬にしよう。

 

栗拾いと栗ご飯

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秋は、栗拾いの 季節だ。

昭和20年代、小学生のとき。子どもの収入源の一つ。

 我が家(実家)で 所有する 栗林があった。栗の大きい木が 10本ほど 生えていた。
 
 拾いに行くときは、朝早、薄暗いうちに起きた。眠かった。朝霧が立ち込め 寒かった。兄弟で行くこ

ともあった。
 
 夜に風の吹いた朝は、急いで行った。自分んちのなら、急がなくても 良さそうなもの。

 でも、林の近所の人に 拾われてしまえば お終いだ。

 名前の通り、つやつやした 栗色の栗が たくさん落ちている。ニコニコ、うきうきして拾うんだ。

 拾っているときに、風が吹くと、危ない。イガが 落ちてくる かもしれない。
 
 一応、拾うときは 虫食いは 拾わないようにした。イガに 入ったたまま 落ちている ものもある。

それは栗を取り出してしまう。

 多いときは、5キロくらい拾った。

 拾い終わったら、急いで帰って、朝ごはんを食べて、登校した。



 栗が段々溜まってくる。

 食べきれないので、小遣い稼ぎに、栗を売った。

 売りに行くときは、もう一度、見て 虫食いや形の悪い者は除外した。売り物だから。
 
 八百屋さんに持っていくと、結構、良い値段で買ってくれた。

 これが、私たち 兄弟の 小遣いになる。ありがたいことだ。

 
 自分たちが 食べる分は とっておいた。栗は美味しいよ。木によるのか、多少 味に差があった。

 蒸かして、干して 保存もした。
 
 売るときに 除外したものは、捨てない。

 食べられる 部分を 取り分けた。これは主として 母がやって くれた。

 その食べられる部分が、栗ご飯の 材料になる。


 今、兄は 栗ご飯が 嫌いと言う。何故かと 聞いてみた。

当時、栗ご飯は 何回も何回も、いや と言うほど 食べた。それも、栗が いっぱい 入った栗ご飯。



 私は、嫌いではない。昨日も食べた。

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 父が 猟をやるので、冬はキジ、ヤマドリ、カモなどを 捕ってきた。

小学生も高学年になると、鳥の下ろし方を覚えて、おろすようになった。

毛を毟って、おろしたものが、心臓、肝臓、砂のうなどを 食べる権利が あった。兄弟みんな、おろ

せるので、食べたいので、自分がと 希望した。

 これは、近所でも 我が家だけの 特殊な ことだった。

 野ウサギを 捕って来たときは、これは父が 処理した。


 
 小学生高学年は 店番も するようになるが、そうお客様が 多いわけでは ない。お客様が 来てから

応対に出るが、兄弟で 応対を 譲りあった。要するに 出たくない。

 配達もあった。自転車で配達した。範囲は半径1キロちょっとかな。


 中学生になると、掛取りもするようになった。

 あるとき、支払いの悪い お客様のところに 集金に行くことに なった。兄は「いくらでも 良いか

ら、必ずもらって来い」と言った。

 そう言った兄も まだ高校生だった。

 私はその家に行って、支払いをお願いした。

 確かにはっきり言って、貧しいのは分かっている。

そこの奥さんは「もう少し待ってください」とのことだった。 

それは、いつものことだった。私も、兄から 言われてきたので、「いくらかでも 頂戴できるまで、帰れません」と言って、私は 座り込んだ。

 しばらくして、奥さんは しぶしぶ 100円 差し出した。100円と笑うなかれ。

 いとこの保母は、臨時で 給料が安かった とは言え、月給3,000円だった。

 しかし、今 その自分の姿を 想像すると、吹き出して しまう。


 ここまでは、家の手伝いなので、当然のこと無報酬。


 明日は、子どもの 収入源に ついての話。


写真のキジは 父が 捕ってきたものを 剥製にすた。

「ドジョウ汁と 屠殺」

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 ドジョウは 食べ物だ。祖父は 大好きだった。それで、家族全部が 好きになっていた。もちろん、私も好きだ。

 その昔、ドジョウ売りが 来ると、よく買っていた。売るほうも あそこへ行けば 売れるということを 心得ているのだろう。

 調理は 母がやっていた。豆腐、ネギ、ゴボウで 普通のドジョウ汁だ。使い切れなかった ドジョウは、桶に入れて、生かしていた。ドジョウの身が 軟らかくなる とかで、大豆を なん粒か 入れていた。
昭和20年代のこと。


 妻も食べるので、結婚してからも 何回か 食べる機会が あった。ドジョウは、買ったものは 養殖もので、小さい。もらったものは、天然もので 大きい。

 調理するとき、ドジョウが鍋の中で、バタバタ 音を立てて 暴れる。あの音は少なくとも、私にとって 快音ではない。そんなことを 言ったら、調理する妻に 申し訳ない。

 食べるときに「美味しい」と言って食べて、その音が、どうも、と言うのは、虫が良すぎる。


 それでは、牛を屠殺するのを 見たこともないし、見たくもなくて、ただ牛肉が 美味しいと 言って食べるのと 同じであろう。


 私は 中学生の時に、屠殺場で、豚を大ハンマーで 屠殺するのを 見たことがある。昭和31年ころ。

 屠殺人が、豚を隅に追い詰める。豚は死を察して、キーキー 鳴いていた。そして、動きが止まった一瞬に 屠殺人は ハンマーを 豚の眉間に 振り下ろす。

豚はキーと一声で もがいて、息絶えた。屠殺人は、直ぐに 喉を切って 血を出した。

 それを 残酷というのは 綺麗事であろう。

その日は、お弁当を 食べることが 出来なかった。

 随分前に、ある著名人が「自分で 殺すことが 出来るものを 食べるのが、体に合っている」というようなことを 言っていた。

 それだと、私は 小魚ぐらいしか 食べられない。しかし、それが 正解なのかも しれない。

 ただ、現実には肉も食べる。

少なくとも、食べられる動物と それに携わった人々に 感謝しなければ ならないであろう。

屠殺人だって 楽しいはずが ない。(その人は、町の 肉屋さんだった。)

 そういう仕事を してくれる人が いるから、肉だけを見て、肉も美味しく 食べられる。

単なる 食べ物ではなく、命を差し出した物への 感謝があって しかるべきで あろう。あだや、おろそかには 出来ない。

この文を書いていて、生きるということは、他の動植物の 犠牲の上に 成り立っていることを 私自身が 再認識させられた。

明日は話題を変えて、カレンダーにしよう。
 


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あおぞら
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