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「部分 給食」

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私が 小学校に入学したのは、昭和23年(1948)4月だった。

 給食が 1年生はどうだったか、忘れたが、2年生は確実に給食があった。

 給食は、 今では死語となった「部分給食」だった。当時、特に 部分給食 とは 言わなかった。
 単に「給食」と言っていた。「部分給食」はのちに「 完全給食 」が できたので、区別するために 付けた名称であろう。
 
今のような 給食を「完全給食」と言った。今、単に給食と言えば、この完全給食をさす。



 当時、給食内容で1番多かったのは、言わずと知れた「脱脂粉乳」である。

 脱脂なので、乳脂肪分が 無いだけである。蛋白質、糖分、ミネラルなどは残っている。ビタミンはかなり 少ないだろう。製造方法や時間経過の関係で。

 脱脂粉乳は 溶かして、乳状にして 供された。当時の 製造方法の 関係もあり、十分には 溶け切れない部分も あった。

 私は好きだった。お代わり しても好いほどに 好きだった。 嫌いだった という人も また多い。妻もその一人だったらしい。飲んだ振りをして 捨てたという。 罰当たりが。

 脱脂粉乳の外に たまに トマトジュース、キューブ状の 干しリンゴ、味噌汁。味噌汁は父兄が作ったのかな。

 給食が 何年あったか 分からないが、たった1度だけ 白桃の缶詰が 供されたことがある。二つ割りが 1個だった と思う。

 甘いものに 飢えていたときに、シロップの甘さは 飛び上がらん ばかりのも のだった。

 香りも良かった。シロップを 一口飲んだきりで、止めてしまった。直ぐに思った。こんな美味しいものを 一人で食べて はいけない。弟や妹にも 分けてやろうと。

 容器は 取っ手の付いた アルマイトの コップだった。

 学校が 引けると、白桃が 入ったコップの 取っ手を 持って、大事に 大事に シロップを こぼさないように 一歩、一歩 気をつけて 家に帰った。

無事 持って帰ることが 出来た。弟、妹に 分けて、食べさせることが 出来た。

 そのアルマイトのコップは 毎日、持ち帰り、また、朝に持参するものだった。

 一度、持参を 忘れたことがあり、他の人から 借りたことが ある。それで、教科書と 同じように 毎日持参したんだなあ ということが はっきりしている。

 この部分給食は いつまで 続いたのか。 私は 完全給食を 知らない。

 この給食は どこも同じかと 思っていた。当時、隣村であった1歳違いの 義姉は 給食はなかったという。 食糧事情が 良かったので あろうか。

 また、完全給食が いつから 実施された ものであろうか。


 脱脂粉乳は、今では 今風に「スキムミルク」と改名した。「低脂肪、高たんぱく、高カルシウム」を謳って、立派な食品になった。ま、牛乳は素質のある食品だから。


 明日は、牛乳瓶、ガラスへと話を移そう。

桑の実は 美味しい。 

    
 ポポーや あけびは 店頭に 並ぶことが あります。

 しかし、桑の実、山葡萄,木苺、スグリ、イチイ、びっくりグミ、白栗(シラクリ)、ガマズミなどを 食べたことありますが、店頭には まず並びません。

 白栗とは 栗の未熟なもので、普通は表面が いわゆる栗色に なるのですが、未熟で まだ色が付かなくて 白いものです。

 これを生(なま)で 食べます。水みずしく、薄い甘みがあり、 かじると、コリコリ、カリカリして、独特の食感があり、美味しいと 思いました。 山で、採って すぐ食べます。

 茹でたりすると 美味しくありません。

 1番美味しいと 思ったのは、やはり 黒く熟した 桑の実ですね。
 プチュッとした あの感じと甘み、・・

「山の畑の 桑の実を 小籠に 摘んだは・・・・」という あの桑の実です。

 びっくりグミは、我が家で 植えてあります。美味しいんですが、手入れが悪いか このごろ成りが 悪いです。

セイヨウグミは 実は小さいし、美味しく なかったと 思います。

 イチイの実は 薄甘く、ぬるぬるしていて、あまり美味しいとは 思いませんでした。

 木苺は みずみずしく 甘くて 美味しいですね。

 山葡萄は 栽培されて、果汁として 市販されています。

 子どものころ、自分で 調達するおやつは こんなものでした。

 果物では ないですが、まれにスイバ(スカンポ)をかじってみたり、レッドクローバーの 蜜を吸ったりしました。

 また秋、ケンポナシの 枝の先端の 膨らんだところを 噛んでみたり。これは軟らかく、チョット苦くて甘いです。
こんなもの、腹の足しに なるのでは ありませんが、遊びの部類です。

 銀杏(ギンナン)は売ってますね。こうなるまでに 大変な作業が あります。

 国会議事堂の周りに 公孫樹(イチョウ)の並木が ありますが、全部 オスの木の ようでした。
メスの木があったら、秋は果肉の 着いた銀杏が 落ちて大変でしょう。臭くて。

 あ、桑の木も オスメス あるんだって。

明日は ポポーと 久し振りに めぐり合った 新宿での 出来事です。




 

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「ポポー」
 中学生のとき、母の友人が「ポポー」という果物を 母に持って きてくれました。食べさせて もらったら、香りが とても素敵で 美味しいものと 思いました。大きなタネが 入っていました。
私は とても気に 入りました。

 その後、なかなか このポポーに 出会うことが ありませんでした。社会人になってから、東京・新宿のタカノとかいう 果物専門店で やっと 巡り会いました。

 そこで買ったものは、最初に 食べたときより、軟らかくて 熟した感じでした。私は 最初の印象が 強いので、前のほうが おいしかったなあと 思いました。

 あれから7,8年後の 昭和40年ころの ことです。

  「あけび」
 あけびを 知らない人に どんなものか、口だけで説明するのは 非常に難しいです。ポポーとあけびは外見が似ています。

 リンゴや ブドウのように 球形じゃないし。うん、円筒形でバナナを 小さくした感じかな。色は薄い深緑、紫も入っています。

十分熟すと、 外縁が 縦に割れて、中身が 見えるよう になります。

 食べられる部分は 白く軟らかくて 黒いタネが いっぱい 埋め込まれて います。食べられる(飲み込める)部分は 非常に 少ないです。

 食べられる部分を 口に含んで、スイカのときのように 種を吹き 出すのです。吹き出し方が スイカと違い、機関銃のように 連続的に 吹き出します。

 そうしなきゃ ならない というのでは ありません。タネが多いのです。

 ま、機関銃のように 出せるには 多少の慣れが 必要でしょう。

 私が 子どもの時は あけびを採るのは 競争でした。そのため、熟すまで、待ってられませんでした。

 あけびを 最後に採ったのは 私の子どもが 小学生のときです。

 そのころは、もう野山で あけびを採って 食べようなんて 子どもは 居ませんでした。

 あるところに、大きな木で、採る人もなく、熟したあけびが たくさん なっている木が ありました。

 子どもと一緒に ゆうゆうと 採ることが できました。楽しかったねえ。

 でも、残念ながら、その木は 切られて しまいました。 くやしい。

 昭和55年(1980)ころです。


 写真は あけびです。産直で、買ったものです。左上のものに 白く横線が 見えます。そこが 割れ目となります。色は 私のイメージと 少し異なり、紫が濃いものが 多いです。

 
 

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子どものころ、バナナは 外国の高級な 果物で、町のお店で 売っていませんでした。
 見たことも ありませんでした。
 
 雑誌では、モノクロですので、大体の形は 分かっても、色は 分かりません。ましてや、香りや味は知る術が ありませんでした。

 雑誌で、バナナの皮で 滑って転んだ 場面を見て、皮は滑るもんなんだ、というだけで、本体は分かりません。

 兄が 中学校の修学旅行で 東京に 行ったとき、1本買ってきました。

えっ、これが あの「バナナ」というものかと なったわけです。
ああ、こんな色なんだ。

 1本のバナナを いくつかに切ってもらい、兄弟で 分けて少しずつ 食べました。香りも好く、大変美味しいものでした。外国の味が しました。

 少し大げさに言えば、この世に こんな美味しいものが あったのか、と思いました。

昭和28年(1953)ころのことです。


 私は 今でもバナナが 大好きです。あの香りが高く、甘い、シュガースポットの出たものが。(さらに安いしね)

 ついでに桃のこと。(なにに付けた ついでかは 分からない)

 桃太郎のお話に出てくる桃は 上がとんがっています。今の桃は とんがっていません。

 不思議に思いませんか。

 その昔、実家の畑に 1本の桃の木が ありました。木に虫が付きやすいです。それで 切られてしまいました。

 その木になる桃は上がとんがっていました。そして、固くて、甘みが少ないものでした。

 今、そのような桃は売れないので、なくなりました。新しい品種は 軟らかい 甘い桃だけです。

 私も今のものが好きです。

トマトの品種で、「ももたろう」というのが ありますが、これは昔の桃のように 上がとがって います。
 
 明日は、思い出は休んで、先日のこと。田んぼアート。

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 マヨネーズは、高校のとき 母に 自家製マヨネーズの 作り方を 教わりました。母は婦人会ででも 教わったんでしょうか。
 よく知ってたなあと 思います。あのころに。

 分量は 卵黄1個に サラダ油1合、酢と食塩少々だったと 思います。
 容器は 金属を避けるように 言われた気がします。このころは 我が家(実家)では鶏を 飼っていましたので、卵に不自由しませんでした。

 まず、卵黄を容器にといて、それをかき回しながら、サラダ油を初めは ゆっくりと 1滴1滴たらしていきます。そして、だんだん入れる速度を 速めてもいいようです。

 失敗したことはありませんが、母が言うには、時計回りでも、反時計回りでも良いが、同じ方向に回すように 言われました。そうしないと、分離してしまって、失敗すると。正しいかどうか分かりません。理由も。

 当時マヨネーズは既に店頭にあったような気がします。

 大学に入って 自炊生活のときに 思い出して 作ってみたことが あります。我ながら、うまくできました。
カリフラワーに付けて、食べました。まだ、なじみの薄い 野菜でした。
また、ワカメに マヨネーズと 醤油と 唐辛子で 和えるというのは、私のオリジナルでした。

 そのころ、卵は パック売りではなく、1個1個の バラ売りでした。値段は 普通の大きさのが 8円、大きいのが 9円でした。大きいものは、ときには 黄身が2つ 入っていました。

 現在の特売くらいの 値段でしょうか。卵は 物価の優等生と 言われるわけです。

 そのころは本当に庭鳥〈鶏)でした。今の工場生産とは 違います。卵買い人が 農家を回って 卵を買い集め、木箱に 籾殻のクッションで、出荷したようです。

大根が大豊作で、2本で5円ということが ありました。 農家がリヤカーに 積んできて、八百屋さんに持ってきて 卸すのです。いくらで 卸すのか わかりません。

 しかし、リヤカー1台で いくらに なるのでしょうか。小売で200本でも 500円です。

ちなみに、そのころコロッケが 5円、メンチカツが 10円でした。

 畑から大根を抜いて、洗って、積んできて、その手間賃くらいにでも なるんでしょうか。生産者が大変だろうなと 学生の身ながら 心配しました。

 その2本で 5円の大根を 買いました(学生服姿で。当時は普通の姿)。

 1本は そのまま保存ですが、もう1本は 大変です。上の茎の半分は 刻んで塩味で油炒め。ほろ苦くて美味しいです。残り半分は 大根の一部とともに 塩漬けに。
 味噌汁の具は 当然大根の千六本。大好きな秋刀魚に 大根おろしはたっぷりと。

 それでも まだ残ってる。どうするの。どうしたっけ。うーん。醤油で煮たっけかな。

 あのころ、バナナは 1本20円でした。リヤカーで 売りに来る人がいました。値段はいまと比べてどうでしょうか。

 昭和34年〜38年(1959〜63)のことです。

 明日は「初めて食べたバナナ」の話にします。


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あおぞら
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