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特養の勤務シリーズ167 文集から(11)
花に囲まれて じいばあ園では入居者の生活の聞き取り文集を作ってました。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
私は大正5(1916)年生まれなんだ。
学校出てから、母と少しばかりの家で食べる分の野菜を作ってたの。 24歳の時、嫁ごに もらわれたの。 どの人が旦那様になる人かご祝儀の時まで分からなかったんだよ。 昔はそうだったの。 今の時代では考えられないでしょうけど。 嫁ごに来てからも家で食べる分だけ野菜を作っていた。
私はね、花好きだから、お庭とか家の周りにぐるりと花を植えてたんだよ。 そのうち、妹に言われて、畑にも花を植えたんだ。 立派な花ではないけど、春に水仙が咲くと、その後、秋まで色んな花が咲くようにしたんだ。
草取りや株分けしたり、秋に草を刈ったりとか、結構やることがあるんだよ。 好きだからやったのよね。 うん。お世話をした分だけきれいに咲くような気がするね。
咲いた花は私が適当に花瓶とかに挿して飾ったり、近くの人にあげたりしたの。 町に行くときも、誰か人にあげようと わざわざ紙に包んで持っていったりしたの。 みんな喜ぶので、花をあげて歩くのが好きだった。 アジサイは白と青で大きく咲くし、ユリは匂いがとっても好いから好きなの。
白ボタンとかシャクヤクなんかもいいんじゃないの。 花も命があると思って、水を替えたりして、長持ちするようお世話したんだよ。
ここ(じいばあ園)の中庭の花を見てると、家で花作りしていた頃が懐かしく思い出されるね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この方は私がじいばあ園で園芸クラブを担当したとき、本当に熱心でした。
左半身がちょっと不自由で、車椅子使用でした。 参加意欲が旺盛で、リハビリも熱心でした。 でも、今年亡くなったそうです。 今日もお読みいただき、ありがとうございます。
また、おいでください。お待ちしています。 日曜日は特養の勤務シリーズです。
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特別養護老人ホーム
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特養の勤務シリーズ166 文集から(10)
馬っこは かわいいもんだ 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 馬っこはメスだけ飼ってたんだ。 農耕にも使ってたけど、子をとって、2,3歳になったら売るんだよ。 ちょっと離れた村に良いオスが居て、歩いて連れて行ったんだ。 ま、戦前のことだからさ。トラックじゃなく、歩いたんだ。 おら、その馬の餌のクズの葉をよく取りに行ったもんだ。
うん? 冬の餌用に乾して厩の二階に積んで置くのよ。 馬っこだって、はらんでるときは栄養付けるため豆とか青米の煮たものを食べさすんだ。
豆を煮た汁は飲ませるのさ。喜んで飲むよ。 煮た豆は好きだよ。うん、ご飯も好きだ。なあに、酒だって飲むよ。 うん、人と同じで下痢だってするし。 世話はよくしたなあ。近くの川で馬の体を洗ってやるのよ。ブラシで洗ってやると、気持ちが良くて、いい顔するんだ。
あのね、馬だってね、楽しいときは楽しい顔、面白くないときは面白くない顔をするんだよ。 おらあ、オヤジに言われたもんだ。
「 川で、水で洗ってやるのは、人がお風呂に入るのと同じなんだぞ 」って。 いやあ、馬っこも いたずらするんだよ。 馬桶をひっくり返したりして。 ひどいもんだ。 いや、いや。機嫌が悪いわけでは ないんだ。 いたずら、遊んでるのよ。 馬っこの鳴き声、分かるかって?
分かるさ。(急に頭を垂れて、涙ぐんだ。何かを思い出したようです) 悲しい声だ。それは子馬が売られて行く時の親馬の声だ。 売られて行くのが分かるんだなあ。 おらも泣いてしまったよ。何回もそういう思いをしたよ。 でも、子馬の世話は嫌にはならなかったな。
えっ? 馬っこのかわいいところ? (両手の人さし指をピンと立てて) 耳さ。 それから目だな。
それからね、なんと言っても世話をしていると懐いてね、すり寄ってくるんだ。 そうすると、もう かわいい。 ホントにかわいい。
馬と文化シリーズ 第1集
山口華楊画
「仔馬」
平成2(1990)年6月20日 発行 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
この文はあおぞらの聞き取りです。なかなか聞き出すのは難しい面もありました。
多少、会話風になっています。 この人は2年前のあおぞらのブログの初日に登場したZさんです。
2年後の今日、文集で再登場です。
小さいときから多少は知的な遅れはあったらしく、じいばあ園に入所するまで、兄夫婦に世話になっていたようです。兄嫁に育てられたとも言ってました。
私を慕ってくれて、私を「オヤジ」と呼んでいました。 もちろん彼のほうがずっと年上です。 今日もお読みいただきまして、ありがとうございます。
またおいでください。 日曜日は特養の勤務シリーズです。 |
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特養の勤務シリーズ165 文集から(9)
チャルメラの音、遥か・・
じいばあ園では入居者の生活の聞き取り文集を作ってました。
寮母が聞き取りをし、第14集まで作りました。 第2集から第14集までは私が編集長をしました。 全部、手書きです。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 家族がこんなことは聞いたことがなかった、なんてこともありました。 支那ソバの屋台を引いて稼いだのは24、5歳のころと思う。 その頃の町は今より賑やかだった。 昔からの大きな商店もたくさんあり、人出も多かった。 夜の9時ころから夜中の12時ころまでチャルメラを吹いて歩いていたんだ。
支那ソバの屋台を引いていたのは、3人居たんだ。中国人の金さんともう1人は日本人だった。 3人とも縄張りみたいなものはなかった。だから、それぞれ好きなところを流して歩いた。 冬になると、「切りあ〜め、きんつば」と言って菓子を売って歩く屋台もあった。
支那ソバはやっぱり夏場よりも冬場のほうがよく売れたよ。
冬は今より雪が多くて、寒かったが、辛いとは思わなかった。 昼間はソバ打ちから始めて、つゆの仕込をした。
だしは豚の骨と花がつおでとったね。 具材は焼豚と支那竹とノリ、刻みねぎだった。 美味しかったよ。1杯10銭で売って歩いたんだが、1晩で50杯も売れることもあって、結構実入りがあったよ。
仕立て屋で「若松」という店では、夜なべ仕事をしているので、仕事の途中によく買ってくれたんだ。お得意さんだった。
今、じいばあ園で一緒にいる桃夫さんにもよく買ってもらったよ。
今、こうして一緒に暮らしてるのが不思議な感じがするよ。 自分で作った支那ソバ、食べてみたいなあ。
今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
また おいでください。
日曜日は特養の勤務シリーズです。
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特養の勤務シリーズ 文集から(8)
父ちゃんは いつまでも
じいばあ園では入居者の生活の聞き取り文集を作ってました。
寮母が聞き取りをし、第14集まで作りました。 第2集から 第14集までは 私が編集長を務めました。 全集とも手書きです。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 家族がこんなことは聞いたことがなかった、なんてこともありました。 .・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .・ ・ ・ ・ 私は大正7(1918)年生まれで、6人兄弟だった。 小学校を卒業してから、家の農業を手伝っていたんだ。
19のとき、仲人が来て、1つ上の人と結婚したんだ。
お父ちゃん(ご主人)か?
まあ、美男子でさ、優しくてとても好い人だったよ。 一緒に麦を作ったりして畑仕事をしてたよ。 お父ちゃんは24で召集になり訓練に行ったんだ。
行くときは何も言わなかったが、月2〜3回手紙をくれたし、月に1度は 会って、一緒におにぎり食べたりした。
それが2年くらい続いて、戦争に行ってしまった。 そして、戦死してしまったんだ。 お父ちゃんが死ぬなんて信じられなかったよ。 遠くで死んで、知らせを受けても、遺骨もないし。 なかなか戻って来ないが、いつかひょっこり戻って来るんじゃないかと思ってずっと待ってたんだ。 そのとき、子どもが1人居たんだ。 お父ちゃんの分まで大事にしなければと思ったね。 舅・姑に子どもも私も可愛がられて暮らすことができたんだ。
とにかく優しかった。 お父ちゃんに何か言うとしたら、こう言うかな。
「私は父ちゃんの分まで長生きするから、お父ちゃん、ずっと見守っててね」って・・・。 .・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .・ ・ ・ ・
「父ちゃんは いつまでも」も彼女の胸の中にいるんですね。
今日もお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
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特養の勤務シリーズ163 文集から(6) 幸せ者
じいばあ園では入居者の生活の聞き取り集を作ってました。
寮母が聞き取りをし、10集以上作りました。 楽しい話、悲しい話、一度は語ってみたい、聞いてもらいたい、そんな話を聞き取ってまとめたものです。 家族がこんなことは聞いたことがなかった、なんてこともありました。 私は明治43年7月生まれです。
小さい頃、お父さん、お母さんに「読み書きだけは出来ないとだめなんだから」と、言われて尋常小学校6年まで通わせてもらったんだよ。 遊んで帰ったり、学校から帰ったりすると、勉強好きの母からいつも「勉強したか」と言われて勉強したものだった。
そうでなかったら、勉強なんてしなかったもの。 お陰でいくらかでも読み書きが出来るようになったんだよ。 私の家では誰も読み書きが出来なかったので、家に手紙が来ると近所の家に持っていって手紙を読んでもらっていたんだよ。
だけど、私が読み書きが出来るようになると、家の人たちは安心していたようだった。
今までは家の中のことが他の人に知られて嫌だと話していたので、私はだんだん家の中で重宝がられたんだよ。 年頃になると読み書きが出来るからって、体が小さくて、いい顔ではなかったけど、お嫁さんにしてくれる人が居て、嫁ぐことができたんだよ。 家の人たちは字の読める人が遠くに嫁ぐと困るので、近くに嫁がせたんだ。
だから、嫁いでからも実家に手紙が来ると読んであげたものだった。 嫁いだ先でも読み書きが出来る人が居なかったので、みんなに優しくしてもらったんだよ。 昔は学校にさえ通わせてもらえない時代だったから、私は恵まれているほうだったね。
全部、お父さん、お母さんのお陰です。
親は本当にありがたいものだよ。
そして、私は幸せ者だ。 聞き取り寮母の但し書きに平成元年9月27日逝去とあります。
聞き取って、文集が発行される前に亡くなりました。 このかたは平成21年4月29日に特養の勤務シリーズ32 冷たい。死んでる!で紹介した方です。
あおぞらが夜勤のときでした。
数時間前に自分でトイレに行ったのは見ていました。
あおぞらが休憩時間が終わり、相棒と交代して見回りした時、既にベッドで冷たくなった彼女に遭遇しました。
お気の毒なことでした。 「いい顔ではなかったけど」と言ってますが、それは謙遜で、十人並みの器量でした。 今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
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