|
特養の勤務シリーズ152 写真所々
じいばあ園での写真を 所々とりとめもなく 上げてみます。
昭和62年5月 お祭りキャラバン訪問。
25歳厄年連
42歳厄年連
終了後は
握手して
お別れです。
じいばあ園は中心地からちょっと離れているので屋台は来ません。
でも、中心地から離れた地域には通称「キャラバン」と言って、厄年 連の一部が踊りを披露に来てくれます。
じいばあ園も、開園時からキャラバンの立ち寄り場所に指定していた
だきました。
大変ありがたいことで、今(平成22年)でも続いています。
研修旅行
岩手県・八幡平。昭和63年10月。
行く途中は 秋だったんです。
八幡平は 雪
着いたら冬だった。
園のマイクロバスを 私が運転して行きました。
雪が融けたぞう。
事務長が離れて
います。
奥入瀬渓流
じいばあ園の研修旅行は原則、園のマイクロバス使用、男性職員運転です。 このときは、夏のタイヤで行ったので、コースを変更しました。
事務長(いつも言う鬼瓦のような顔)と一緒の時は事務長は「運転代わろうか」と 言ってくれます。
園長はそう言ってくれません。2日間私が運転することになります。
ただ、隣に座って、道路はあっち、こっちと言ってくれますので、道不案内の私
には 大変助かります。
そうでないと、途中で車を止めて、地図を見たりします。
この八幡平の時も 少し道を 間違えました。
初めて行くところなので、間違えても、しょうがない。
事務長と2人で道を確認し、進路変更。
乗ってる女性軍は食べるのとおしゃべりで、道を間違えたことなんか
気にもしません。
平成元年6月 特養・デーサービス利用者 交流会 輪投げ大会
それっ!
平成元年7月 県老人福祉施設 対抗 輪投げ大会
平成元年8月、じいばあ園の夏祭り。
見上げた顔のきらきらした目に惹かれました。
平成2年 4月5月6月生まれの職員の誕生会。
私は5月生まれ。
平成12年7月。 じいばあ園の運動会。 子供の嬉しそうな顔
おかあさんと一緒に 走った楽しい思い出は消えないでしょう。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。
用語は 当時のものを 使用しています 。 私は既に 退職しています 。 ご覧いただき、ありがとうございます。
|
特別養護老人ホーム
[ リスト | 詳細 ]
|
特養の勤務シリーズ151 組み合わせ
大きな行事の時は 家族が大勢来てくれます。
この敬老会は平成12年9月のものです。
写真係、一生懸命撮りまくったようです。
私自身もよく こんなに写真を 買っておいたと、我ながら あきれぎみです。
ご夫婦
ご夫婦
親 子
美人親子です。
親 子
言われなくとも
分かるような感じ
親 子
親 子
しょっちゅう
面会に来ます。
親子
同じく親子と言われなくとも分かる親子。
嫁 姑
嫁 姑
姉妹
姉妹
仲良し
親 戚
自分で食べら
れますが、甘え
てます。
寮母
おひとつ
どうぞ
じいばあ園では 敬老会、新年会には お酒類も 出されます。
特に禁止されている人は 残念ながら、飲めません。
この年の敬老会に 何故みんなが 折り紙の兜を 被っているのか、
忘れました。
大きな意味は ないはずです。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。
用語は 当時のものを 使用しています 。 私は既に 退職しています 。 ご覧いただき、ありがとうございます
|
|
特養の勤務シリーズ150 敬老会の花嫁
このおばあさんが例の
「 命というものは、神様からの預かり物だから、神様から返せ、と 言われるまでは 大事に預かっていなっければ ならない 」
と言った人です。
じいばあ園の寮母が結婚しました。 じいばあ園の敬老会の日でした。忙しいところ、わざわざ来てくれました。
昭和63年9月
お二人で、来てくれました。皆さん、大感激です。
孫の花嫁姿を見ているような喜びだったようです。
もう一人、来てくれた寮母が居ました。
平成2年5月
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。
用語は 当時のものを 使用しています 。 私は既に 退職しています 。 お読みいただき、 ありがとうございます 。 ご覧いただき、ありがとうございます。
|
|
特養の勤務シリーズ 149 外国人寮母
きつい、汚い、臭い、そして給料が安い、ということで、介護の仕事に就く人は大分減ってしまったようです。
介護福祉士養成校に入る高校卒業生も少なくなり、またそこを卒業しても他の仕事に就いてしまう人も多いといいます。
この養成校を卒業すると 介護福祉士の資格が得られます。 政府ではインドネシアから、介護の仕事に就く人を受け入れました。 現地で日本語を学んできたそうです。 こちらの施設で、3年間介護の仕事をして、介護福祉士の受験資格を得て、受験します。
3年後、受験1回で合格しないと、帰国させられることになっています。
介護経験3年で受験資格を得られるのは、これは日本人でも同じです。
私も3年の勤務実績に基づいて 受験しました。
第1回目でしたので、傾向と対策が分からず、苦労しました。
でも、筆記試験は 無事合格しました。
介護福祉士の資格は介護福祉士養成校を卒業する方法と受験資格を得て試験に合格する方法があります。
ところで、
現在、介護現場で働いている人に対する給与面でも 政府は多少考え直してきているようです。 じいばあ園でも人員的にきつくなり、行事は大分減り、
今は、運動会なし。 文化祭なし。 誕生会なし とのことです。
まあ、夏祭り、敬老会、忘年会は残っているようですが。
そして、有給休暇もなかなか取れないとのことです。
私が勤務していた頃は、有給休暇も普通に取ることが出来ました。
給与が改善されて良き人材が集まれば良いですね。
さて、じいばあ園にフィリピン出身の女性が寮母として働いていたことがあります。 地元の男性と結婚して住んでいました。
母国では看護婦だったそうです。
彼女は会話には不自由しませんが、読み書きができませんでした。
仕事を覚えても、自立して仕事をしてもらうことができません。
介護は記録をしなければなりません。
誰がどうした、こうしたと、書くことができないので、誰か寮母に付いて、仕事をしなければなりませんでした。
日勤が何人と決まっていても、彼女を1人と勘定できません。
洗濯当番なら、良いかと思っても衣類に 書かれた 名前が読めない ので、配達が出来ません。
私達はなかなか彼女を生かし切れませんでした。
今、インドネシアから来て、受験に備えている人も 読み書きに苦労 してるようです。
それと、入居者との会話で、地方語にも苦労してるようです。
向こうでは共通語しか勉強してこなかったでしょうから。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。 用語は 当時のものを 使用しています 。 私は既に 退職しています 。 お読みいただき、 ありがとうございます 。 |
|
特養の勤務シリーズ 148 お花見 に 車椅子の 行列
じいばあ園ではバスでの お花見 のほか、近所に散歩をしながらの
お花見 もありました。
直線距離なら近いんですが、道路なりに車椅子で行くと、10分ほ
ど掛かります。
車椅子を自力操行の人もいます。
平成元年の近所の お花見 建物は 県の農事試験場
暖かい日差しを浴びて、のどかで 幸せを感じるような ・ ・ ・
入居者17人で、 寮母・寮夫6人(一人は写真をとった人)です。
ヒゲ の 寮夫も来てますね。
小学校の裏
満開です。
開花後、2日間の
雨のため色が褪せました。
昨日の近所の 桜。 小学校の校庭。
この場所に 小学校ができて 70年になります。
ということは、この桜の木も 70歳ほどに なります。
ソメイヨシノ としては もう寿命です。
ソメイヨシノ は 寿命が短いです。
この特養の 勤務 シリーズは 昭和 60年からの ものです 。
私は既に 退職しています 。 ご覧いただき、ありがとうございます。 |





