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今朝、まだ暗いうちに家を出て、息子を岡谷インターまで送って来た。
帰るとき、諏訪湖の上に太陽が力強く顔を出し、 息子の今回の旅が良い物になると、確信.......した。 私が20代の頃、東京の枯渇した日々から抜け出す為に アジアを中心に海外へ出て行かねばいられなかった ドキドキとワクワクが思い出され、 何ともHappy な気持ちになり、 そろそろ本格的に子離れしなければ.......とも、思った。 息子は今日から10日間、バリ島一人旅なのである。 一人とは言っても、 ウブドに住む20年来の友人、マデが仕事を休んでまで 息子の遊び相手になってくれるので、 何の心配もいらない。 私達はかつて長野へ移住する前、インドネシアへ移住を希望していた。 息子がアレルギーや喘息、化学物質過敏症で、生きるか死ぬかを繰り返していた頃、 私は実家へ行くこともできなかった。 勿論、国内旅行なんて、夢のまた夢......だった。 息子が1歳6ヶ月の時、 姑が定年退職を迎え、退職金から私達に旅費をプレゼトしてくれた。 くたくたに疲れていた毎日。 いつ息子が死ぬかわからない恐怖の日々。 そんな中、すがる思いで、滞在中の食事は全部自炊できるよう 米から調味料、野菜に至るまで、何から何まで持ち込んで出発した。 ところが..........。 バリは私達にどこまでも優しかった。 有機無農薬の野菜以外は食べられない息子が、何でも食べられた。 お米だって、どこで食べても大丈夫だった。 バナナやココナツ、ピーナッツをむさぼるように食べても、何の問題も無かった。 お風呂にも浄水器をつけていたけど、それでも皮膚が真っ赤になり かゆがるのが常だったのに、 シャワーを気持ち良さそうに浴びていた。 息子は血液検査で一番強くアレルギー反応が出るのは杉だった。 杉の花粉の季節、 喘息がどんどん酷くなり、呼吸が止まってしまったことが何度かあった。 でも、赤道直下のバリに杉は無いし、息子が反応する花粉が何も無かった。 びっくりだった。 そして、もっとびっくりだったのは、 アトピーで皮膚がドロドロの息子は、 日本で公園に連れて行くと、 お母さん達が子供の手を引いて、その場からさ〜っと離れて行かれてしまったけど、 バリでは 「可哀想に、可哀想に、」 と、皆が抱きしめてくれた。 日本での私の苦労やストレス、孤独は一体、何なんだ!? 息子に何が起こったんだ!? ここは、天国か!? 私達のバリ島通いが始まった。 息子が3歳になるまで繰り返したけど、 正規のルートでは長期滞在のビザが降りないので、 移住を諦めた。 その後長野に移住し、 私は農家民宿を始めた。 私の農家民宿や農業の原点は、バリ島のウブドでの生活なのだ。 あの、何でも受け入れてくれるウブドの人達に近づきたい。 (話しが反れるが、当時、ウブドの老人達は第二次世界大戦時、 日本兵に酷い目に遭っているのだ。 でも、それは、それ。目の前で苦労している私達を何とかしてあげたいと、 皆、とても、とても優しかった。) そして、あの豊かな自然や農業を再現するのが私の目標なのだ。 そんな実家のようなバリへ息子は行った、と言うより、 帰って行った.....のだ。 じーちゃんが 「サヤ チュチュ、サヤ チュチュ(『私の孫』の意味)」 と、泣きながら息子を抱きしめ、迎えてくれる姿が目に浮かぶ。 一回り大きくなって帰って来て欲しい。 そして、何かを得て来て欲しい。 土産話が楽しみだ。 母は応援する為に、頑張らなくては♪ |
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最近になり、小さなお子さんを持つお母さんから
悲痛な声で電話がかかってくる。 関東地方のお母さんが、日々、放射能に対するストレスと戦っていることが 痛いほど伝わってくる。 私は息子が小さいとき、アレルギーと喘息、化学物質過敏症で何度も死にそうになり、 何とかしなければならないと思い、 東京を脱出したから、その気持ちは痛いほど解るつもりだ。 私の農家民宿はすでに8月も予約でいっぱい。 でも、小さいお子さんを持つお母さん達は、 今すぐにでも脱出したいのだ。 この間から私なりに考えていることがあります。 数日から1週間、または1ヶ月という長期に渡って 滞在されたい方、いらっしゃいますか? もし、いらっしゃるのであれば、 そんな場所を必要と言って下さるのであれば、 私の背中を押すことになり 行動に移そうと思います。 ここは長野県上伊那郡辰野町です。 お母さん達、大丈夫だよ。 ちなみにここは8月1日、0.05〜0.07μSvでした。 |
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