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12月1日

帰国まであと二日になりました。早いものですね。

今日はマンションの持ち主の友人と近くにある温泉に行ってきました。

以前からこの温泉は知っていたのですが、食わず嫌いというか 、たいしたことないだろうとバカにしていました。

景色がすばらしいということは無いのですが、地元で近くて便利というのが気にいりました。

遠くまで電車に揺られて行くのが面倒くさい時は、ここが良いねと行きつけの店を見つけた思いでしょうか。

体も温まり、泡の出るものを飲みお腹もふくらみ満足して帰ってきました。

友人は私が日本を発つまで、泊まってくれます。


12月2日

宅急便で荷物を空港へ送った後、ふたりで駅ビルへいきます。

荷物を出したのでもう買い物はできないから、なんて言いながらタートルネックのトップを買う。

駅ビルにある喫茶店でお茶をして、地下で惣菜を買いマンションに戻る。

「あっという間だったね」などと話ながら、この日も暮れていきました。


12月3日

アメリカに帰る日です。朝、食事の後、掃除洗濯をします。マンションを貸してくれた友人への

せめてものお礼です。普段は誰も住んでいないのであまり汚れていません。

全て済み、マンションのドア閉めて、鍵を友人へ返すと寂しさがこみ上げてきます。

5週間お世話になったところです。「お世話になりました」ドアに向かって頭を下げます。

友人がそばで笑っていました。

駅ビルで少し早いランチをしました。すこし気持ちが落ち込みます。日本を発つときはいつもこうです。

楽しかった時間と親切に迎えてくれた友人たちの顔が浮かびます。

旅にはいつか終わりがくるということは、初めからわかっています、が、それでも寂しいものです。

自分とオットトッコイの年齢、健康状態を考えると、今度はいつ来られるかと思います。

マンションを提供してくれるた友人には本当にお世話になりました。

鍵を渡してくれ、私の都合で立てた計画で東京にいるときは、付き合ってくれました。

何をもってお礼の気持ちを表せばよいのか分かりません。幸せものです私は。

駅で、友人と別れます。お互い元気でまた会おうねと言葉を交わして。


飛行機は雨模様の中を飛び立ち、無事我が家に帰ってきました。

楽しかった旅も終わり、日々の生活が待っています。


今回の旅で出会った皆様、楽しい時間、ほんとうにありがとうございました。

そして、この長い旅日記にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

また普通の生活に戻ります。
11月30日

昼少し前に浅草に着く。浅草に来た目的は観光ではなく、アンジェラスという喫茶店である。

洲之内徹の「気まぐれ美術館」の『絵を洗う』章で、このアンジェラスが出てくる。

おぼろげだが、ずい分昔に一度この喫茶店にきたことがあると、洲之内徹の文章を読んでいて思った。

今回はそれを確かめるのと、やはりこの章で書かれている、森芳雄の「テラスの女」という油絵が

まだこの店の壁に架かっているのかを知りたいと思ったからだ。

イメージ 1

通りの角にあるその店を見た時、やはりこの店には前にきたと思った、が、店の中に入りどうも違うような気がした。

1階のケーキ売り場に記憶がないのだ。たぶんこの近くにあったほかの喫茶店なのかもしれない。



1階の奥の席に座りケーキと紅茶を頼む。女性が横向きに立っているその絵は壁に架かっていた。

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『絵を洗う』では、この絵があまりに汚れているので、州之内さんが洗ってあげて、ついでに

ガラスも入れてあげ、お礼にケーキをもらった。ということが書いてある。

私はちょっと感激して辺りを見回す。もしかして今私が座っているこの席に、彼が座ったかもしれない。

そんなことを考えながら、森芳雄の少し暗い印象を受ける絵を眺めていた。

私は立ち上がり店の人に事情を説明して他にも絵があるか聞くと、上の階にあるとのことで見せてもらう。

店自体が茶系統の壁で照明も暗いので、架かっている絵がはっきりとしなくて、客もいるので

そばまで行ってみることはできなかった。3階への階段のところには、関係者は立ち入り禁止のサインが出ている。

この3階で洲之内徹は、ここにあった何枚かの絵を洗ったのだ。

そおっと覗いてみたが、もちろん彼がそこにいるわけも無く、それでも充分に満足して1階に戻る。

少し長居して、店の中も見せてもらったので、昼時でもあるのでケーキをもう1個頼む。

(泡のでる飲み物が好きな私にとっては、ケーキ2個は、非常にめずらしいことなのである)

ケーキはその名も「アンジェラス」という。スポンジケーキをチョコレートが被っている。

それだけのことだが、甘いもの好きにはたまらないのかもしれない。

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ケーキでお腹が膨れたところで店を出る。雷門通りにある台東区循環バス、めぐりんのバス停からバスに乗る。

観光客も乗るようだが、この地域に住む人たちのためにあるようだ。東武浅草駅から上野駅、

上野公園の中を走り、私は京成上野駅で下りる。街中を眺めながらのちょっとした観光である。

乗車券は100円。途中の千駄木駅で、文京区のバス、B−ぐるがあるのを知り、

それに乗るべくバス停を探しながら、御徒町の松坂屋の前から湯島方面へ向かう。

湯島天神の前まで来る。その反対側に大きなマンションが建っている。

それを見たら又昔のことを思い出した。

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40年ほど前に働いていた会社の社長の家がこのマンションの6階にあったのだ。

懐かしさより、まだここに建っていることのほうが不思議だった。仕事の打ち合わせによく通ったものだ。

その6階の窓から見えた、湯島天神の階段は小さく見えたが、今、目の前にある階段は見上げるほど高い。

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さて、そこからしばらく歩き、白山通りにぶつかる。その角に文京区役所が高くそびえている。

ここから文京区の、B−ぐるバスに乗る。後楽園のそばから、水道橋駅を曲がり白山通りへ出る。

白山下、団子坂、六義園、駒込駅、巣鴨駅、東洋大学、白山下そして文京区役所前。

街並みを眺めながらぐるりと回ってきた。途中人が降りたり乗ったりしたが、私はいちばん後ろの席で見学。

こうしてバスから眺める街は、普段着の生活を垣間見える安上がりの観光ではないかと思う。

200円で、台東区と文京区を回ってきて、得をしたような気分になり満足する。


神田川(両側に高いビルが増えた)を渡り、水道橋駅から総武線に乗った。

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11月29日

水戸にある茨城県近代美術館へ向かう。上野から1時間ちょっとで水戸駅に到着。

ここも近代的な駅前広場があり、高くなっているので遠くまで見通せる。

街を歩いていく途中で、“さくら川”を渡る。ちょっと嬉しくなる。

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そこからしばらく歩くと美術館が見えてきた。日本三名園の一つである偕楽園から続く、

千波公園内の千波湖のほとりに立つ美術館は、緑青色の銅版葺きの屋根と茶系色の自然石からなる外壁。

周りの景観と調和した美術館である。

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ここでは、中村彝の「カルピスの包み紙のある静物」小出楢重の「毛糸の束」と出会えた。

そのほか、小川芋銭のマンガチックな絵、佐伯祐三の「コルドヌリ(靴屋)」などと出会う。


館内を見終わり外に出て、敷地内にある、中村彝アトリエを覗いてみる。

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水戸で生まれた中村彝は、明治の終わりから大正期にかけて活躍した洋画家。

彼のことは洲之内徹の、「きまぐれ美術館」で識った。洲之内徹が盗んでも自分のものにしたい

と言った彼の自画像がある。アングルは同じだが顔の表情がわずかに違う自画像があった。

何枚も描いたのだろうと思う。

大きな窓があるアトリエは、新宿区下落合に建てられたものを、昭和63年にここに新築復元された。

肺結核を患って、大正13年に37歳の生涯が終わる。時代が今であればと・・惜しむ。


ふたたび歩いて水戸駅へ。ここから特急で10分ほどの友部駅に到着。

バスの時間が間違っていて、1時間ほど待つことになる。奮発してタクシーで笠間日動美術館へ。

笠間日動美術館は、フランス館、日本館、屋外彫刻庭園、企画展示館からなる。

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日動画廊創業者の、長谷川仁が1972年に故郷の笠間に開館した。

私の好きな印象派の絵があり(モジリアーニを含めて)また日本の作家の絵画もある。

面白かったのは、画家が愛用したパレットに絵を描いたコレクションがあった。


ちょうど紅葉まっさかりで、それと対照的な竹の青さがマッチしてすばらしい眺めだった。

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企画展示館で、「向井潤吉展」懐かしき日本の原風景というのが開催されていた。

彼の名前は始めて知る。北海道から鹿児島まで40年にわたり、古い民家の絵を描き続けた画家。

今は見ることが少なくなった家や茅葺屋根の民家は、そのような家に住んだことが無いものにも

懐かしい郷愁を起こさせる、優しいタッチの絵である。

これと同時に、柳下柾史写真展「ひだまりの茅葺き民家」というのをやっていた。

絵と写真の違いはあるが、こちらも郷愁をさそう写真が出展されていた。


分館として、春風萬里荘(北大路魯山人旧居)があるが、疲れていて興味が湧かなくて見なかった。

それを今ちょっと後悔している。この稀有な人物、魯山人がアトリエとして使っていた建物で、

茶室もあるということで、もったいないことをしたと思っているが、仕方がない。


帰りは循環バスに乗り友部駅に戻る。特急で上野へ戻り、亀戸のマンションへ。


忙しい一日は終わった。疲れた。(今、これを書きながら思い出しても疲れる)
11月28日

新宿南口で3時集合ということになっている。20分前に着き駅前を眺めてみる。

前回ここに来てから1年ぶりだが、その変貌に驚く。前に工事中で囲いがあったのが無くなり、

ビルや店が並びその賑やかなことは、月並みだがお祭り騒ぎのようだ。

私が東京に来た当時の南口は、小さく利用者も少ない出入り口だったと思う。

あの頃(昭和38年ごろ)は西口が大改修され、それに続き東口が発達し、歌舞伎町界隈が賑やかになった。

それに比べて南口は遅れていたが、前回と今回でその後の発展ぶりに驚いた。

高島屋タイムズスクエアビルができ、東急ハンズがあり、NTTドコモビルが建ち、そのほか

名前は分からないがたくさんの高層ビルが立ち並んでいる。ビル群が新宿駅を囲んでいる。

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不景気と言ってもどこかでは利益を上げているのだろうと、経済の不思議を感じる。


携帯が鳴り香さんから、「今、どこ?」私、「改札を出たとこの大きな柱のところ」と答えていると

誰かが背中をポンとたたく、振り返れば香さんが、笑って立っていた。蓼科以来である。

ふたりで話していると、デンチがこちらに向かってくるのが見えた。

今回はおケイさんが来られなくなり、4人で会うことになった。

あとお久美さんだが、彼女とはどこかで会うことになり、我々3人は駅構内から出る。

クリスマス商戦はなやかな新宿の街は、人とネオンと呼び込みでごった返している。

高くそびえるNTTドコモ本社ビルが目立つ。高島屋へ向かい私たちはブラブラ歩く。

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スタバがあり隣のドーナットショップに人の列。香さんによれば人気があるドーナッツ屋さんだそうだ。

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たかがドーナッツに1時間近くも並ぶ人たちの気が知れない。

新宿駅の線路を渡る橋を歩いていると、香さんが見てとビルを指差した。そこには高層ビルが並んでいた。

どこかおかしくない?と言うのでよく見てみると、ひとつのビルが一枚の板のように見える。

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えっ、驚くと、彼女が場所を少し移動してみてというので、そのようにすると、そこからは

ビルが後ろに伸びているのが見えるのだが、斜めに延びているので正面からは平面しか見えなかったのだ。

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    ( 後で食事に行く前に撮った写真です )

高島屋に入る。高級感漂う店内は、豪華なブランドものが並び、お呼びじゃないよと、東急ハンズへ移動。

ここも若向きの洋服、アクセサリーが並び、こちらもお呼びじゃないよと、店内ブラブラする。

ひとつだけお呼びがあった。スイーツが並ぶフロアー。私たち3人はここでお茶をすることにする。

ミルフィーユ、モンブラン、和三盆ときなこのロールケーキ、もちろん仲良く味見し合い。

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お久美さんがこちらに向かっていると連絡があり、しばらくすると笑顔がすばらしいお久美女史登場。

女4人賑やかに辺りを圧倒して、ではでは食事に参らせ候などと、怪しげな日本語をあやつり、

「その前に、バウダー・オン・マイ・ノーズ」(ふつうに言えば、トイレに行こうよ)などとますます調子ものになる私。

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    ( 女子トイレから外が見えます。手を洗うところが窓になっています )

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    ( なにか悲しげなビル群です )
 

ようするに浮かれているのであります。これで泡の出る飲み物を飲んだらどうなるのでありましょうか。

香さんが予約を入れてくれていたところは、韓国レストランです。個室でなかなかいい雰囲気。

彼女の情報の多さには脱帽です。お陰で毎度変わったところへ連れて行ってもらえます。

泡のでる飲み物で乾杯。今夜のコースは、ナムル、キムチ、有機野菜と春雨のチャプチェ、

トッポギ、ニラチジミ(はんぱじゃないニラの量)ブルコギ、石焼ビビンバを平らげたのです。

途中私は、名前に惹かれ焼酎「晴耕雨読」を飲んでみました。これも旨いのですが、一刻者のほうが好み。


食べるのと話に夢中で予約時間終了、我々は席をたち退室。

入り口には順番を待つ人たちが並んでいます。人気があるようです。

この後我々は喫茶店に席を移ししゃべりの続きをしたのですが、ほとんど私がしゃべり通しました。

やはり、泡のでるのとイモでできた飲み物は、口を軽くさせます。

そして、外に出ると、辺りは夜なのですが、ネオンサインで明るく、クリスマスイルミネーションがきれいです。

新宿駅南口で、みなさんと再会を約束して別れたのでした。

お久美さん、香さん、おケイさん、デンチ、どうもありがとう。2年後待っています。
11月28日

アメリカへ帰る日まで残り1週間を切ました。過ぎてみればあっという思いであります。

しかしまだ予定は終わっていないのです。今日はちょっと忙しくなりそうです。

夕方、日本に来てすぐ蓼科へ行ったグループとお別れ食事会を新宿ですることになっています。

その前に、林芙美子記念館へ行ってみることにしました。


都営地下大江戸鉄線中井駅で降りる。川(妙正寺川)を渡り、西武新宿線の中井駅を過ぎる。

ここで私を不思議な感覚が包む。そうだ昔この景色をみたことがある。いっきに46年前の景色が蘇ってきた。

東京へ出てきてすぐのころ、池袋からこのちかくに越してきて、ひと駅先の新井薬師駅を利用したのだ。

今渡ってきた川の姿に何か見たようなと感じたのもそのせいだ。懐かしさが蘇ってきて通りに佇んでしまった。

東京に出て間もない自分の姿を思い出す。小樽から家出同然にたどり着いた東京での生活。

ひとりでやっていけるのだろうかと思う不安な日々。反面、都会での生活に高揚した気持ち。

その健気だった自分の姿が懐かしく思い出される。そして、あれから流れた膨大な時間を思った。

その時(今も、であるが)は文学の何かも知らず、ただ日々を過ごしていくのに必死だった。

林芙美子記念館がこんなに近くにあることをまったく知らず、46年ぶりにこの地を訪れ、

ここを訪れる気持ちにさせた自分は、何かに引き寄せられてたどり着いたという思いがする。

今回は、林芙美子が住んだことのある尾道へも行ったが、ここはもっと私に迫ってくるものがある。

林芙美子記念館は、空襲を免れて彼女が亡くなるまで住んだ家を、夫で画家の手塚緑敏が

芙美子の遺品を管理し、彼の死後は、新宿区が管理することになった。


入館料は150円、その安さに驚く。ボロンティアの案内人の説明を聞きながら敷地を見て回る。

この日とばかりに葉を伸ばした紅葉が屋根を越えて天に伸びる。居間、書斎、台所、風呂場など見る。

彼女が綿密に計画を練って作られた当時としても新しい様式が取り入れられた家だった。トイレも水洗式。

放浪生活で自分の家を持たなかった彼女の家に対する意気込み執着がこの家を作らせたのだと思う。


ここで私に幸運なことがあったのです。案内人の女性が私に林芙美子の姪、福江さんを紹介してくれました。

小柄で笑顔がすてきな方です。彼女は芙美子の死後、緑敏と結婚してこの家に住んでいたそうです。

現在は別のところに住んでいるが、毎日朝晩、雨戸の開け閉めをしにこの家に来るそうです。

居間の縁側に座り記念撮影をさせてもらいました。

彼女が話してくれたことですが、この縁側から見える庭には孟宗竹が一面植えられていたが、

芙美子の葬儀に人が家に入りきれず、大分切り倒したということで、今は少しだけになっていました。

林芙美子は47歳という短い一生でしたが、前にも書きましたが、小説家であろうが画家であろうが

後世まで残る作品を書くひとは、その一生の中できっぱりと仕事をしていくものだと、改めて思いました。

今回の旅で行ったところは、ほとんどが下準備をして訪れたところです。

この林芙美子記念館は、時間があったら行ってみようかしらと簡単に考えていたところでしたが、

46年前の自分の姿を思い出させてくれた、感慨深い時間と空間でした。


おっと、感慨にふけっている間に、仲間との約束の時間が迫ってきました。急がなくちゃ。



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   ( 庭から居間を見る )

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   ( 紅葉が天へのびる )

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   ( 屋根の間から伸びていく紅葉 )

イメージ 4
   ( 居間の縁側で、姪の福江さんと記念撮影 )

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