本 そして Art

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オリンピックも終わりテレビの前に座ることも少なくなった。それでは何か生産的なことでもと思ったが

私の体は、PCの前に陣取りキーボードを叩き画面に集注している。

ネットサーフィンが済むと、PC麻雀を始め、牌をクリックしている。

まったく生産性の無いダラケタ生活である。


まだはっきりしていないので今は書けないが、ある目的をもって、声を出して読む練習をしている。

読む本を探していると、茨木のり子の詩集『倚りかからず』を見つける。

そこにコピーした紙がはさんであるのを見けた。

ここにもコメントしてくれるOSS102さんのブログからのコピーであり、

それは、茨木のり子の詩であった。

その中の一編が下の詩である。これを読んで頭をゴツ〜ンとやられた。



自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ。


     ぱさぱさに乾いてゆく心を
     ひとのせいにはするな
     みずから水やりを怠っておいて

     気難かしくなってきたのを
     友人のせいにはするな
     しなやかさを失ったのはどちらなのか

     苛立つのを
     近親のせいにはするな
     なにもかも下手だったのはわたくし

     初心消えかかるのを
     暮しのせいにはするな
     そもそもが ひよわな志にすぎなかった

     駄目なことの一切を
     時代のせいにはするな
     わずかに光る尊厳の放棄

     自分の感受性くらい
     自分で守れ
     ばかものよ



ばかものである私の背すじは少しは伸びた、いや伸ばそうと自分に言い聞かせたのでした。


『倚りかからず』に収録されている『笑う能力』も面白く、作者のセンスオブヒューマンに拍手をおくりたい。

すこし長いけれど、誰でも覚えがある状況が散りばめられ面白い詩です。


笑う能力

「先生 お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
他家の姉が色づいたとて知ったことか
手紙を受けとった教授は
柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか


「次の会にはぜひお越し下さい
枯木も山の賑わいですから」
おっとっと それは老人の謙遜語で
若者が年上のひとを誘う言葉ではない


着飾った夫人たちの集うレストランの一角
ウェーターがうやうやしくデザートの説明
「洋梨のババロワでございます」
「なに 洋梨のババア?」


若い娘がだるそうに喋っていた
あたしねぇ ポエムをひとつ作って
彼に贈ったの 虫っていう題
「あたし 蚤かダニになりたいの
そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」
はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは


言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま
いとをかしくて
深夜 ひとり声たてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりともするのだが そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている
乏しい能力のひとつとして
いまわのきわまで保つように」
はィ 出来ますれば


山笑う
という日本語もいい
春の微笑を通りすぎ
山よ 新緑どよもして
大いに笑え!


気がつけば いつのまにか
我が膝まで笑うようになっていた


幸いに膝はまだ笑っていないが、乏しい能力は持ち続けていきたいなあ、と思ったのであります。



(もしかしたら以前に書いたかどなたかのブログで読んだような、記憶が薄れつつあるわが身、ゆるしてください。)

どんな栞?

ここのところずっと本の中に顔を突っ込んでいる。

石川啄木の貧乏生活話から抜け出し、洲之内徹のきまぐれ美術館を開き、その放浪といってもいい生き方に憧れ、

清岡卓行著の単行本、10年ほど前に読み始めた本の上下巻の上をようやく読み終えて、

下巻を読み始めて早くもしおりを挟んで隅においやり、向田邦子の父の詫び状を取り出している。

こんなしっちゃかめっちゃかな本の選びかたであるが、私にはこれらの本を手にとる何か共通点があるのかしら?

そんな共通点などと考えることも面倒くさく、ただ活字を追っているだけだ。

作者が語る言葉たちに心を優しく包んでもらっているのかもしれない。

初めての本ではなくて何度も読み返している本には、

深く考えることをしなくても文章が気持ちに寄り添ってくる安心感がある。

洲之内徹の本には付箋がたくさんついている。読みたい本、調べてみたい絵などが載ってあるページ。

たまたま自分が持っている本であれば、それを取り出してきてそれを読み始める。

そしたらそっちのほうに興味が移り・・・となる。

こういう場合ほとんどが随筆、エッセイである。書き手の人間性が伝わってくるのが良い。

ところで、本に挟むしおりには色々と種類がある。

一般的には、本屋がくれる出版社名入り紙のしおり、本そのものについてくるあの生地でできた紐。

これをしおりと呼んでいいのかどうか分からないが。

それからお金を出して買うしおり。これには色々と種類があるが、ふたつほど買ったことがある。

モジリアーニの展覧会で彼の絵が印刷されてある大きなしおり。

私が持っているのは文庫本がほとんどなので、その倍もある長さのこのしおりは大事にしまってある。

それと、10年前に買ってようやく下巻を読み始めて休止している本にはさんであるしおり。

これは、12センチほどのステンレスシルバーにシェークスピアの言葉が彫ってあり、

一方には紐が通してあるというもの。紐の先にはちっちゃな星がついている。

これもしおりなんだあ〜と感心して買ってみた。


ところで、私がいちばん気に入っているしおり(と呼ぶとして)は本にくっついてくる紐だ。

でも最近の文庫にはあれがついてこないので、しかたがないのでペラペラしおりを使っている。

それ用のしおりじゃなくてもそれの代わりをしてくれるものもある。

たとえば、CDについてくる背表紙(というのかしら?)、美術館の入場券、究極は本についてくる帯。


上巻は600ページ、下巻も本文は580ページある『マロニエの花が言った』を読み終えなくちゃ。

また10年かかるかしら?

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アメリカは今日から新学期が始まり、それにつれてフリーウエイの交通量も増えました。

親たちもやれやれとホットしていることでしょう。

昨日スーパーに行ったら月曜日なのにけっこう混んでいました。

買い忘れたものがあり今日も行ってみると、あたりまえでしょうがガラガラでした。

新学期用の学用品のセールも終わり、ハローイン用のコスチュームが売り場に並んでいました。

驚いたことに、クリスマツツリーも売り場に並んでいたのにはびっくりです。

こうして何かにせかされるように今年も過ぎていくわけですね。
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以前、石川啄木の本を読み始めてと書いたことがありました。

あれから先に進めず自分に課した宿題としていたのですが、

どうにもその気になれずけりをつけるつもりでちょっと書いてみます。


日本を立つ前に何を思ったか石川啄木全集を買ったのでした。

特別彼の文章が好きかというとそれほどでもなく、

どうしてかと問われれば、啄木が小樽に少しの間住んでいて、小樽で育った私としては

何か身近に感じたのだと思います。格好のいいこじつけですが。


ノーベル書房版、改造社版復刻 石川啄木全集というものです。全5巻あります。

最初パラパラとめくりそれから今まで一度も読んだことがありません。

何度も引越しをした時も処分されずに残っているということは、いったいなんなのでしょうね。

自分でもよく分かりません。それではこの本に対して失礼ではないかと、取り出してみました。

が、前へ進まないのです。第一巻は小説集なのですが、気持ちが入っていかないのです。

あきらめて、第5巻の書簡集を中ほどまで読みました。

啄木はあちらこちら動いています。北海道だけでも札幌、小樽、函館、旭川、釧路と。

それらの場所から友人知人に手紙を送っています。これだけの書簡が残っていたというのもすごいことです。

短いのをひとつだけ・・

謹 賀 新 年
明治四十一年元旦

 さすらひ来し此の濱邊の冬は寒く候。
 御無沙汰の罪は幾重にも。

                    小樽区花園町十四
                          石川啄木 拝

金 田 一 京 助 様



小樽の冬は寒く生活も苦しく手紙を出せるほど気持ちの余裕もない、

そんなやりきれない啄木の心情が表れています。



皆さんご存知のように啄木は26歳で肺結核のため死去するのですが、妻節子も同病で1年後に亡くなります。

1930年に長女京子が24歳で、その2週間後には、次女房江も19歳で、2人とも肺結核で亡くなっています。

今なら助かっていた命でしょうね。悲しくてやりきれない話です。


私がこの全集を前に読み進めないのは、この悲惨な状態が根底にあるのを感じるからでしょうか。 

それから、印刷されている字が昔の漢字仮名遣いなのです。これがちょっと読みにくいのです。


啄木は、明治38年、文芸誌『小天地』を主幹、編集人で刊行しましたが、資金問題で継続できなかった。

この『小天地』の復刻版が私の手元にあるのです。いつ入手したのか記憶にありません。

もしかしたら、この全集を買ったときに付録としてついてきたのか、それも覚えがありません。

これを書くために、全集、小天地を拾い読みしてみると興味をひかれる部分が出てきたりして、

これは腰を落ち着けて読みなさいということかと思ったりしています。

いましばらく自分にたいして宿題としておきましょう。

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春の空は灰色で・・・

外は曇り空でも気温は春のそれである。

本好きな私がここのところほとんど本を読んでいなかった。

先週、俵万智さんの「ある日カルカッタ」を読んだ。世界のあちらこちらを旅したときのエッセイである。

前にマンハッタンに来た時講演に行ったことがあり、その時のことも書いてあり懐かしかった。

「暮らしの手帖」を開く。この雑誌は広告が載っていなくてすっきりとして、内容も私が好きなものが多い。

広告が載っていないと書いたが、暮らしの手帖社出版の書籍や、安心できるアイテムが

雑誌の後のページに載ってあるのだけど、アイテムの説明が売らんがためというのでないのが良い。


週末、お茶をそばに置いて暮らしの手帖を開く。空は灰色がかっている。

‘いつもいいことさがし’‘家庭学校’‘すてきなあなた’・・などなど、

言葉の集まりが、洗濯したてのタオルに顔をうずめているように心を包んでくれる。

体中にやわらかい優しい思いが広がってくるのを感じる。

現実のことをいっとき脇におしやって、優しい時間に身をまかせていようと心の声が囁く。


昔からそうだったが、本が私を違う世界に誘ってくれた。その世界に遊んでいると幸せだった。

そうして空想の時間を楽しんで現実の時間に戻ってくると、少し心に余裕ができた。


本棚には、買ってからまだ読んでいない本が背表紙を見せて、「読んで、読んで」と誘ってくる。

気持ちが落ち着かないと読めないと思っていたが、まずは本を手にとって開いてみれば良いのかも知れない。

まずは手にとってみる。そうすると気持ちが落ち着いてくるのかもしれない。

その場合難しい本(といってもそんなものは持ってないが)は避けて、心を優しく包んでくれるのが良い。

「暮らしの手帖」は消費者の立場になった記事、信用できる記事が、読み物が詰まった雑誌だ。

商売的に考えるとこれで大丈夫かと心配もするが。

32号では、“雑誌は広告のかたまりなのか”‘雑誌は本来どうあるべきでしょうか’

の記事が目を引いた。

宣伝のようだが、暮らしの手帖社からの回し者ではありません(笑)。



暮らしの手帖を読んでいて私の気持ちが落ち着いてきた週末の朝でした。

余白の浮遊

あるひとつのことに秀でている人は、目的を定めたら途中で諦めないということで、

困難に出会ってもそれを肥しとして、また励みとして進んでいくのだと思う。


今朝観た新日曜美術館は、各界で活躍しているひとたちが、自分の好きな画家について

話す回があり、今回はパティシェの辻口博啓さんが触発された、桃山時代の絵師、

長谷川等伯の国宝「松林図屏風」をとりあげていた。

わたしは、古い日本画には詳しくない、と言っても新しい日本画、外国の画に詳しいというわけでは無いが。

ただ単に好き嫌いの問題であり、この長谷川等伯もそう意味で知らなかった。

長谷川等伯は、そのころ勢力を持っていた、狩野派との対峙で一匹狼であった。

それゆえ、等伯が様々な苦労をしたが、後世に名が残るような作品を残した。


辻口さんの実家は和菓子屋であったが、父親が借金の保証人になったばかりに

家屋を手放さなくてはならなくなり、彼はいつの日か必ず店を再開させるという思いで

東京へ出て行くのである。

彼は等伯の生きてきた道と、自分の歩んできた日々を重ね合わせ

また、この「松林図屏風」の絵が、辻口さんの生まれ育った能登の松林ではないかという確信

をもち、長谷川等伯の「松林図屏風」に傾倒していったようだ。


この番組のために、画集でしか見ていなかった「松林図屏風」の実物に始めて出会うのである。

それは一双の屏風画でそれぞれに松が描かれている。はっきりと力強く描かれている松は

左右に2本づつで他はぼかしたように松が描かれている。そして大半が余白なのである。

しかしその余白の何と存在感の力強さか。

等伯は秀吉の命で襖絵を描いているが、それは金屏風に色調豊かに花鳥が描かれたもので、

その大きな違い、この水墨画にいたった等伯の心の裡を考えないではいられない。

テレビの画面からしか感じられない一双の絵であるが、そこに潜んでいる、

見るひとに訴える余白の叫びのようなものが、こちらに伝わってくる。

その波動が自分の心の裡に流れ込み、自分の重ねてきた過去の日々をすくい上げ、

屏風の余白にうちよせられ、それを見詰めている自分を感じる。


この絵を見ていて感じたことは、見えることではなく心の裡に何を持って何を感じ、

日々生きていくかということの大切さ。

この絵のなんと潔くおおらかで簡素であるか。自分の終盤にはこの境地に達したいものだと願う。



辻口さんは、世界最高のパティシェであるが、ここまでの過程で、「ぜったい・・」と言う言葉を

自分に言い聞かせ努力してきたそうだ。

群れていれば安心して緊張感がなくなる。そこから脱出していかなければと言っていた。

誠にもっともと頷く私であるが、たまには浮世の群れにも混ざり合いたい並みの私である。

ここのところブルーな私だったが、またがんばるぞ〜と勇気をもらった日曜日の朝でした。

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